乳がんになったごきげん主婦マコト
誰しもあらがえないことがある。
抗えないことに折り合いをつけながら、自分のごきげんは自分でとるごきげん主婦マコトプロジェクト、抗えないことがある方に少しでもごきげんになっていただきたい、寄り添いたい思いで活動しておりますが…なんとも。
只好きなことをしていた20年前、幼児性暴力癖をテーマにしておりました昔の芸名、3歳の日本人形の芸風、愛奴人形姫子のほうが実はいろんなものに寄り添えていたのではないか。
寄り添えないのは老化でしょうか。
と思っておりました吉本2年目になろうかとする3月1日にいわゆるガン告知を受けました。
全く自覚症状なく定期検診でみつかったしこりはここにあるといわれて自分で触っても全くわからない。
私はガン家系でしていずれはなるのかなと覚悟はしておりました。ステージⅠグレードⅠで手術すれば完治するとのことだったのですが、告知のときは号泣してしまった。
ママ、私もガンになってしまってごめんなさいっ息子達にもごめんなさいって思いました。
そしてまず50歳くらいから黒白の服を好んで着ていたのですが、黒い服が着られなくなりました。
大きい病院を紹介され胸の全摘(ガンがある乳房を全て切除する)を提案された時、私は間髪入れずに
「全摘でー!再建は無しでー!お願い致します!」
と、いった。
西加奈子さんが「くもをさがす」というご自身の乳がんの闘病小説で仰っていましたが、命を保持することは衝動なのだ。
実はその後、お家帰って全摘か部分切除か、かなり迷ったのですが、最初の衝動を信じることにした。
そして
「乳首って性感帯ですよね?」
「再建(全摘手術の後又胸の形を作る)で性感帯は戻ってくるのですか?」
と聞いたら、形だけと言われた。
性感帯無くなるのか。
その時、病院に旦那と来ていた私は、性感帯..性感帯..と思って、東京ラブストーリーの赤名リカよろしく旦那に
「セックスしよー」
といった。
それは3月春休み、そのままお家に帰ると高校生の小学生の息子がいるのでラブホテルに行くことにした。
ふたりとも慣れてなくてどこにあるかもわからない、新大久保にあることがわかり行くことにした。
私NSCに入り知り合いが2年前より4.5百人増えている。
相手が旦那とはいえ、入るところを知り合いに絶対に見られてはならない。
二人で早足で入ろうとしたのだか、旦那が入口前で右往左往している。
「え!なにしてるの」
とキレ気味で話しかけると先ほどの強風で傘が急に壊れて開くのも閉じるのもできなくなっている。
結局二人でラブホ前で2.3分かけて傘をボキボキに折り小さくして入った。
階段をあがると小さなソファと中くらいのテレビと大きいベッドがある清潔感のある素敵なお部屋だった。
「私AVあんま見たことないから見よー」
てテレビつけたら1チャンネルだけあり4.5本立て続けに見たのだか、全部違う美しきOLさんが寝坊してパンツ履き忘れて出社してくるお話しだった。
こんなにパンツはき忘れるのか。
私、はき忘れたことないな。
と思いました。
それが、25年ぶりにラブホテルに行った話です。
違う違う乳がんの話です。
乳がんの手術は、ステージ0であっても人によって全摘したりするそうなんですが、性感帯のこと言ってる人を私知らなくて、皆さんどう折り合いつけているのでしょうか。
手術が怖くて怖くて怖くて、手術の日が来るまで毎日怖くて怖くて怖くて。
そして右胸が、なくなる自分の精神状態が未知すぎて全く想像出来なくて、それも怖くて怖くて怖くて。
生きたくて生きたくて生きたくて、生きたいから抗えない。
頑張れ私。
否、頑張るもなにも抗えない。