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壊れ逝く時代に

『楽園』という歌の歌詞を書いたとき、
「壊れ逝く時代に・・・」というフレーズを紡いだ。

歌全体に漂う喪失感と所々にあるフレーズは賛否両論を招いた。

2000年、時代はミレニアムで揺れていながらも
今ほどの揺れ動きではなかった。
まだ多くの人々のハートには前途洋々な希望の光があった。

僕が作詞家に成れた理由の一つにインターネットがあることは否定できない。
最初のデモテープはカセットテープでFAXでやり取りを行い、
事務所へ行くときには電信柱に書かれた番地を頼りにしながらという時代でありながら、
パソコン通信のようなものが始まりかけたインターネットの創成期でもあった。

あの時代にホームページで作家を募集するという
僕を引き上げた事務所はかなりの先駆者だったのだと思う。
そして僕は創成期の恩恵を受け、
わりとスムーズに音楽業界の扉を開けていただいた。
幸運だった。

あれからテクノロジーは進化して、
今やヒューマニズムな仕事はAIに奪われかねない状況でもある。
実際、クリエイテイブと言われる作業のほとんどを
テクノロジーは軽々と美しく仕上げてしまう。

そんな世の中にあって、
僕たちヒューマンは何か大切なものを忘れつつ今この時代を生きている。

僕はクリエイターとしての道を歩み始めたとき本名にこだわった。
本名で世の中に向き合い表現をする。
これは本当はかなりの勇気を必要とする。

今は匿名の時代であり、多くの表現者が匿名で表現を行なっているけれど、
僕はこのことがこの時代の精神性の退廃を生んだ一つの要因なのではないかと感じている。

YouTuberなどでも有名になると大抵は精神を病む。
それほどに顔をだす、名前を出すということには大きなリスクが伴う。

だけどリスクが伴うことだからこそ人は真剣になり、
それにより道は明確になる。

誰かを批判したりという場合にも
本名であることのリスクは計り知れない。

今日のブログ、ああだこうだと言っているようではあるけれど、
僕はクリエイターとして堂々と自分の顔と名前で勝負をしていく。

知る人が見れば笑われ、責められるような暮らしでも、
いつかはきっと志は通るのだと信じることこそが、
それこそがクリエイターの美学であると僕は思う。

プロフェッショナルとは存在の証明を意味しているはずだ。
架空の人物のプロフェッショナルというものは長続きするだろうか。
それはまさに間違えた意味での諸法無我。
誰もその本質を掴むことはできない。
存在を証明していないのだから真実はそこにはない。
それはまるで生成AIのようだ。

僕の作詞講座に受講する段階で匿名でという人もかなりいる。
最初は驚いた。
こんなファーストステップでさえも自分を隠したいのか。
それなのに表現をしたいという矛盾。
そうしてもしも売れたとしたときに
そこにあなたはいるのだろうか。
本人はそこに気づけていないのだろうか。

壊れ逝く時代の中で、僕たちは何ができるだろう。

あきらめたりしないでいつもハートはハッピーでいよう。

いつの時代にも挑むものには素敵な物語が待っている。

あなたはどう思うだろう。
この感覚に反発するだろうか、
その通りだと思うだろうか。

どちらでもいい。

人生は楽しみながら頑張りたいね。

Makoto ATOZI







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作詞家 Makoto ATOZIのnote
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