見て、触って、確かめて
初めてコンピュータを目にしたのは、高校2年のとき。部室に、キーボードと一体型で、BASIC プログラミング言語でうごくヤツが、納品されたんだ。ブラウン管テレビにつないで使い、データはカセットテープに記録してた。
当時、自分はアマチュア無線部に入ってて、にもかかわらず、物理と数学がからきしダメの文系人間だったから、オームの法則とかインピーダンスとか電流増幅率とか、ポカーン ( ゚Д゚) 状態。とうとう無線の4級国家試験は受けずじまい。。。
そういうセンスの無い人間だから、見よう見まねで、かんたんなプログラムを BASIC で作ってはみたものの、モノにならなかった。頭に入れようとしても、ザルみたいに通り抜けてしまうんだよね。。。
同じころに PC-9800 が発売され、同学年の中にはマシン語でプログラムを書くやつが出始めた。どんな変態かよ(笑)。。。まだC言語が普及する前だから、じかにマシン語をいじるしかなかったんだね。
マシン語・プログラム言語・MS-DOSのコマンドの前に立たされた文系民って、ヘブライ語・古典ギリシャ語・ラテン語をしゃべる博士の前に立たされた5歳児みたいに、無力だ 。。。
でも、革命がおきた! IBM をビッグブラザー* にたとえて打倒しようぜ! というコマーシャルと共に、アップルの初代マッキントッシュが 1984 年に発売されたんだ。
すっごい衝撃だった。。。高価すぎて手が出ず、紹介されるテレビ番組でしか見たことはなかったけど。。。手で触るようにマウスをうごかすだけで、直観的に操作できてしまえるという、非力な文系民でも使えるコンピュータ。。。ありがとう、ジョブズ、ありがとう、ウォズニアック。。。
今日の聖書の言葉。
神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。
テモテへの手紙一 2:5 新共同訳
そのあと、マッキントッシュのWYSIWYG(What You See Is What You Get:見たままのものを実際に作成出力できる)のユーザーインターフェースを、まるコピしたような Windows 3.1 が出て、世界標準は Windows になっていったわけだけど、あの 1984 年のマッキントッシュは、人類歴史におけるエポックメーキングな出来事だったと思う。
ユーザーにとっては、ユーザーインターフェースが、すべてだ。それにしか、さわれないし、それしか、理解できないんだもん。
でも、ユーザーインターフェースの仲介によって、ユーザーは、マシン語でうごくCPUから、すべての恩恵を引き出すことができるんだよね。
イエス・キリストは、ちょうど、このユーザーインターフェースみたいな存在なんだと思う。人類が神に直接ふれるには、神は巨大すぎて、キャパシティーを超えている。。。なにせ、神は絶対的な超越者だからねー。。。でも、人類が神のすべてにアクセスできるように、神と人類のあいだをとりもってくれるのが、神であり人である・人であり神である、イエス・キリストなんだ。
わたしたちは、イエスを見て、触って、体験することで、神とつながることができる。そして、イエスをとおして、神の恩恵のすべてを享受することができるんだ。
初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。―― この命(イエス・キリスト)は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。―― わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。
ヨハネの手紙一 1:1-3 新共同訳
註)
* ビッグブラザー(偉大な兄弟、英語: Big Brother)とは、ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』に登場する架空の人物で、非人間的な全体主義の前衛党を率いる独裁者だ。
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