猪狩りのきふさ
時は平安、都に程近い山里に、のきふさ(のきゅうさと読む)という若者がいた。身の丈も体つきも中位で特に目立つところは無かったが、これを知るものは「猪狩りのきふさ」と畏怖と侮蔑の混ざった通り名で呼んだ。
その通り名の由来する通り、のきふさは猪狩りの名手で五日に一度、狩った猪を抱えて都を訪れ市や料理屋に卸し、時には宮中にも納めてかなりの財を成していた。
この時代、仏教は四つ足の獣の肉食を禁じたが、猪は神代以前からの授かり物として神事にも供されたし、宮中に於いても民にとっもご馳走でもあった。
猪狩りとして名を馳せたのきふさだったが、羽振りの良さに惹かれて弟子入りを志願する者や、手間手伝いを申し出る者も多くいたが、のきふさは全て断り山に入る時はいつも独りだった。
どのような術を用いて猪を狩るのか誰もが知りたがったが、のきふさの住まいには狩の道具は置いておらず、出掛ける時には熊の皮を縫った蓑を被り腰に山鉈を挿しただけの支度であったため、狩人の間でもその行動は謎のままであった。