「あの悲劇」で水耕栽培になっちゃった、うちの観葉植物の、名前募集します
うちの観葉植物、
名前は「よしこ」
っていうねんけど、(今つけた)
「あの悲劇」以来ずっと、
水耕栽培になっちゃって・・・
すっかり自分の、
「生きる場所はここだ!」
って感じになってて、
1ヶ月に1回、
お水にありつけるくらいが、
普通は、ちょうどいいはず、
にも関わらず、
そんな自分の個性も、
忘れちゃってる感じになってて・・・
「お肌もつやつやプルプル」
って感じで、たっぷりのお水と共に、
生き生きと、輝いてたんだよね。
ちなみにその時っていうのは、
根っこがものすごい、
まさに、伸び放題って感じで、
「よしこ」っていうよりも、
「もさこ」って言っても、
過言ではないくらい、
だったんだよね。
だけどさすがに、
「土から栄養を補給する喜び」とか、
不安定な水の上で、
浮いてる感じじゃなくて、
ちょっとくらい地震が来ても、
動じない、
そう、まさに、
「地に足がついた感覚」
みたいなものって、
やっぱり地面に根を張ってこそ、
得られるものなんじゃないか?
って、思ったんだよね。
それって、
植物として生まれてきた以上は、
やっぱり、味わいたい感覚
なんじゃないかなって。
そして、
僕は人間として生まれていて、
「よしこ」の運命は、
僕の選択にかかっている部分が、
少なからずあって、
ってことは、僕には、
「よしこ」を土に植え替える、
責任があるんじゃないかって、
思ったんだよね。
で、植え替えたのが、
先週くらいなんだけど。
今見たら、
心なしか、
寂しいような、
顔をしているというか、
どこが顔なのかは、
あなた次第っていうか。
もしくは、
ただ単に、
たっぷりのお水が、
「当たり前」になってしまっていた、
「よしこ」にとっては、
水が、足りなかったのかもしれない。
と、思ったので、ついさっき、
僕の飲みかけのコップに入った水を、
あげましたとさ。
すると、
土が、シュワシュワーってなって、
「あ、やっぱり」
とか思って、
僕は、お水をあげる直前に感じた、
「でも、飲みかけの水だし、どうなんだろう」
という疑問を、無かったことにできて、
この選択を、肯定したのでした。
ちゃんちゃん。
ちなみに「あの悲劇」
っていうのは、
ある時、洗い物置き場から飛び出した、
「鍋の蓋っぽいもの」によって、
「よしこ」の首?
多分首に当たるっぽい部分が、
「スパっ」て、
切れてしまった、
あの事件のことね。
あれ以来、我が家では、
誰もが洗い物置き場に、
洗い終わった食器とか、
特に鍋の蓋とかを置くときに、
なんとなく、
そーっと、そーっと、
置いてる気がするんだ。
少なくとも、
僕はそう思うんだ。
というわけで、
「よしこ」って名前はあまり、
気に入ってくれてないみたいなので、
うちの子の、いい名前募集します。
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