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『邦人奪還 自衛隊特殊部隊が動くとき』元特殊部隊員が伝える、「特別警備隊」創設の舞台裏と尖閣隠密上陸のあらまし 成毛眞が聞く! <前編>

左から伊藤 祐靖氏と成毛 眞(撮影:菅野 健児)

成毛 現場がじつに細かく表現されてます。 
「このディテールがあるからこそ、物語に没入してしまう。兵士じゃないと書けない内容だ」と、そんなことを思いながら、『邦人奪還』を読みました。日本では珍しい、「元特殊部隊員が書いた」というジャンルですよね。

伊藤 全自衛隊初の特殊部隊ができたのは、私も創設に関わった海自の「特別警備隊」で、2001年ですから、日本の自衛隊特殊部隊の歴史はまだまだ浅いんです。ですから、出身者自体も、2007年に42歳で退官した私が一番上の世代だということになります。文章を書くほどの物好きとなるとさらに限られまして(笑)。

成毛 だからこそ貴重です。『国のために死ねるか』(文春新書)や『自衛隊失格〜私が「特殊部隊」を去った理由』(新潮社)も読ませてもらいましたが、なにしろ、これまでのご経験がとてつもない。

自伝の『自衛隊失格』で書かれている子供時代の破天荒ぶりや、陸軍中野学校7期生だった想像を絶するお父上、「軍国ばばあ」と呼ばれている激烈なお祖母(ばあ)さんなど、周りの方々がまた、とてつもない(笑)。そんな化け物じみた一家に生まれたご本人から簡単に自己紹介いただきましょうか。

著者の伊藤 祐靖氏(撮影:菅野 健児)

伊藤 1964年に東京で生まれて、茨城で育ちました。陸上競技しか能がなかったもので、そのまま「足」で推薦入学した日本体育大学へ進み、卒業後に海上自衛隊に入隊しました。

よく聞かれるのは、護衛艦「みょうこう」航海長在任中の1999年に、能登半島沖で不審船に遭遇したことです。北朝鮮の工作船と強く疑われる船に出くわしまして。結局、拉致された日本人が乗っている可能性もあったのに、これを逃したわけです。

が、これをきっかけに小渕恵三内閣の判断による「特別警備隊」の創設に関わることになりました。そこで7年、最初はスパイ映画の『007』シリーズが参考になるなんてアドバイスされたり、初めて尽くしで大変でしたが、なんとか軌道に乗せました。

42歳で自衛隊をやめた後は、3年半フィリピンのミンダナオ島に住んで、帰国後は警備会社等のアドバイザーを務めつつ、警察や軍隊への指導で世界を巡ったり、国内でも私塾を開いて後進を育てたり、3年位前からは発達障害の子供達のお手伝いもしたりしています。

成毛 読者のみなさん、じつはこのプロフィールの行間が凄まじいですからね(笑)。是非、伊藤さんのほかの著書も手にとって欲しいです。ご自分の体験を書かれているから臨場感があって、前のノンフィクションのご著書も面白く読みました。ただ、そこでは守秘義務の壁があり書けないことが多くて、今回はフィクションを書かれたと聞きました。まず、冒頭の尖閣諸島魚釣島の状況と描写が凄まじい。原稿で読ませていただいていましたが、まずここでびっくりしました。読むとすぐにわかるんだけど、伊藤さん、実際に山頂まで登っています……よね?

伊藤 はい、山頂付近に国旗を掲げに行ったことがあります。

成毛 そうですよねえ、どう考えても実際に登っていないと書けないシーンですよね。とは言っても、そう簡単には登れないはず。法律的にも難しいはずだし、そもそも大洋を泳いでいった先が岩山だし、人の手が入っていない原始の植生に足を入れるのは週末登山家では無理です。上陸の経緯をうかがってもいいでしょうか? 

ええっと、ぼくが行くとしたら、まずは、最寄りの空港はどこですか?(笑)

伊藤 石垣島まで飛行機で行き、そこから漁船に乗って魚釣島周辺海域に行きました。この時は、寄付金を募って石垣島などの漁師さんを支援して魚釣島周辺で漁業活動をしようという活動がありまして、何度か以前にも足を運んだことがありました。

上陸自体は2012年の8月19日のことで、朝4時ごろ暗いうちに一人にだけ8時か9時には戻りますと伝えて、沖合400メートルのところから海に入りました。周囲には巡視船もいましたし、他の漁船も漂泊していましたので、見つかると大騒ぎになると思って、最初の50メートルは潜水し、残りは水面を泳いで行きました。

成毛 潜ったと簡単におっしゃってますけど、アマチュアダイバーでは無理でしょう?

伊藤 そう言われればそうですね。真っ暗な外洋で潮の流れが非常に強いところを一人で素潜りする人は、同業者以外ではあんまり聞かないですね・・・

成毛 同業者……鮫もいる海域ですよね?

伊藤 いますが、襲ってくるのは稀です。むしろ、一番大変だったのは、広げると畳10畳分はある国旗を運ぶことでした。それを予備も含めて2枚と、旗を吊るすロープを持って行ったのでかさ張りました。

成毛 巨大な日の丸を掲げに行ったわけですね。

伊藤 そうです。まず魚釣島の西側から上陸して灯台へ行き、そこから国旗を掲げに登りました。8時ごろにはなんとか掲げて、というよりも、やっとのことで、大きな岩の部分に垂らすことができました。下山する頃には漁船の他の人たちも岸辺に上陸してきたので、その人たちに向かって、沖合で海保の巡視船がサイレンを鳴らして、「戻りなさい」と拡声器で声をかけてました。

上陸してきたみなさんが船に戻るのを手伝ってから、自分が乗ってきた漁船に戻ると海保の方が3人待っていて、任意で取り調べを受けました。「任意ですから」と2回もお断りをされたんですよね……。いつ旗を? そもそもどうやって登ったわけで? 夜のうちに? 山頂までの道はあるのか? と質問ぜめでした。そうそう簡単なことではありませんが、それ用に生まれ、そのための訓練をしてきているわけですから、漁船に帰られちゃうとロビンソン・クルーソーになってしまうので、非常に急いで登ったので肉体的にはきつかったのですが、それ以外は別に普通のことですからなんなくできました。それより、根本的に間抜けな話でして、海保の現場の人たちを励ましたくてやったことなのに、結局はご迷惑をかけてしまいました。

成毛 えっ?海保隊員を励ますとは?

伊藤 はい、その前に中国漁船に海保の巡視船がぶつけられて、その映像が流出するという事件がありました。直前には、香港の活動家が上陸して逮捕されたものの、何の処罰もないまま帰国させられて終わりました。現場の人たちからしたら、きちんと仕事をしても報われないし、ぶつけられても文句も言えないという、つらい状況だろうと思えました。似たような仕事をしてきた立場なので、応援したいと思ったんです。

隠密上陸だから不法侵入にはならなかった

成毛 海保の方からその後に何か言われたことはありますか?

伊藤 取り調べをされた海保の3人の内の一人の方が、山頂付近にある国旗を指差して、親指を立てながらにこっとしてくれたので、あれだけは嬉しかったです。

成毛 海の男のロマンですねえ。いやあ羨ましい。
調べてみると、石原慎太郎都知事(当時)が色々と発言して、野田政権が国有化したのが9月11日だから、登山時はギリギリ私有地だったんですね。

伊藤 そういうことになります。その後に、自主的に八重山警察署に出頭しまして、事情を丁寧に丁寧に、身振り手振りで上陸の仕方から、闇の中でどうやって登っていったかを説明しました。正確に記憶しているわけではないのですが、その時言われたのは、「不法侵入ではない」とのことでした。建物などがないから、侵入の形跡を問えないと言っていたと思うんです。ただし、これは潜水して隠密だからできたことで、「戻りなさい」「登るのはやめなさい」と声をかけられても無視して、退去しなかった場合は、「不退去」の罪になるようでして、何しろ隠密上陸なので私は問われていませんでした。とはいえ、二度とやるつもりはありませんし、その後に上陸した人の中には書類送検された方もいるので、お勧めはまったくできません。

成毛 勧められても技術的に登れないから大丈夫でしょう(笑)。

伊藤 そうですね、私も反省しています。ただ、昔は鰹節工場があって人がいたのでしょうけれど、今生存している人間で山頂まで島に入ったのは、私だけではないかと思います。だから、もっと政治家でも警察でも自衛隊でも研究者でも、あの島のことを本気で知りたいのなら私に話を聞きに来たらいいのにと思うのですが、あんまりいらっしゃいませんね……。

成毛 さすれば、私が聞きましょう(笑)。

伊藤 はい、お願いします(笑)。

成毛 島の山頂までの道のりに、動物はいるんですか? 植生は?

伊藤 海に近い場所はまだしも、山に入っていくと、ここから先は100年以上人が入ってきていない。とわかるんです。自然界の絶対ルールである共存というものが侵された形跡がないんですよね。ヤギは人が持ち込んだもので、現在は増えて数千頭もいるそうで、学者さんとかは、生態系を崩しているとおっしゃるかも知れないんですが、人間が一歩でも足を踏み入れると、そのレベルを遥かに超えた不調和音の残響のようなものがあるんです。それがまったくありませんでした。ヤギ、蛇、昆虫、木、草、こけなどは無論のこと岩、土まで、すべてのものが同調して、食べて食べらるという生態系のサイクルを維持しながら、共存していると感じました。

ノンフィクション以上のディテール

成毛 ヤギは「1978年の灯台建設時に食料用として2頭持ち込まれた」と文中にありますね。『邦人奪還』のこういうディテールはノンフィクション以上ですね。
例えば、ここはそれがよく出ています。

藤井は顔を歪ませた。失策に気づいたからである。表情を戻し、フィンを外して、それをバックパックにくくりつけて、砂浜から草薮のほうにゆっくりと歩きだして立ち止まり、また顔を歪ませた。その失策が深刻な問題だったからである。 その失策とは、虫の音だ。 コオロギとバッタ類の虫が、無数に鳴いている。山に向かえば向かうほど盛んに鳴いている。人の住む地ではありえない音量が島全体に響いている。 平和の象徴の虫の音だが、スネークオペレーションにとっては最大の敵である。連中の拠点に近づく際、1分間で4メートル前進する計画だった。このスピードなら、相手が人間であれば10メートル圏内を通過しても決して気づかれない。しかし、自然界の生き物はそこまで呑気ではない。わずかな異音を察知し、鳴き止む。突然、虫の音が一斉に止んだら、いかに鈍感な人間でも、何かの接近に気づく。 のっけから予想外の敵が現れたが、どんな作戦計画にも必ず失策は含まれているものだ。そもそも事前情報がすべて正確なわけではないし、人はミスを犯すものなのだ。

成毛 この「スネークオペレーション」とはどういう動きですか?

伊藤 気配を出さない匍匐前進のことで、こうやります。
<実際にやってみせる伊藤。床にうつ伏せに寝転がり、両手を伸ばして指を合わせつつ、くねくねと尺取虫のような動きで、無音だがスピードはまったく出ない>

成毛 ……絶対に無理です。

伊藤 一番神経を使う時は、1時間で1メートルしか進まない場合もあります。音が全く立ちません。つまり、虫が鳴くのも邪魔しないほどで、相手に気づかれないわけです。

成毛 たしかに魚釣島のような場所ではいかに自然を味方につけるかが重要のはず。それがよくわかる箇所で、この描写には唸りました。

伊藤 ここはまさに、早朝に登山した際の感覚をそのまま書きました。人間という動物が自分ひとりという環境を伝えたかったんです。動き自体はなかなかに体力を使います。気付かれずに近づくための、体の使い方の一つです。

成毛 さすが特殊部隊……ところで、そうやって苦労して敵地に侵入しても、海外ドラマを見ていると、特殊部隊員が敵に捕まってしまうことがよくありますよね。

伊藤 シルベスター・スタローンなんかがよく捕まって拷問されてましたね(笑)

成毛 拷問まで行かなくても、普通にやられると辛いことってありますか?

伊藤 痛みなんか比べものにならいのは、起こされることでしょうか。寝かさない。これは厳しいです。

成毛 やられたら、すぐに喋っちゃいそうです(笑)。

伊藤 3日を越すと、厳しいという単語では表現できないくらいになりますね……。

成毛 この小説が多くの方に読まれているというのも、そういう圧倒的なリアリティがあるからでしょうね。

『邦人奪還』の冒頭では、中国の特殊部隊チームが中国国旗を掲げ、それを日本国旗に海保が掲げ変えて、またそれを……と、不思議な国旗掲揚合戦になっていきます。途中で、海保に代わって海上自衛隊特別警備隊の隊員3名が魚釣島に隠密上陸していくのが、先ほどの「スネーク・オペレーション」の箇所なわけです。実際に尖閣で戦闘があるとしたら、こんな風に「せめぎ合い? 敵味方のいじめ合い」になる……という可能性に興味を惹かれました。

これは、尖閣の地理を考えるとまず納得がいくし、そもそも真正面から正規の海軍力でぶつかり合うのはお互いにとって得策ではないだろうから、大いにありうるシナリオだと読んだわけです。

伊藤 そうですね。海軍力のぶつかり合いをどう避けるか、そのための特殊部隊かもしれません。

成毛さんに原稿段階でアドバイスをいただけたことも、貴重でした。幅広い読書からの知識はもちろんですが、投資家としての成毛さんの視点は、アメリカやPMCの思惑を設定する際に大いに参考になったんです。北朝鮮を、資源の宝庫として韓国や米中が鵜の目鷹の目で見ているという現実など、原稿に生かさせていただきました。

成毛 いえいえ、今回はいろんな方のアドバイスを反映させたとか。

伊藤 はい、リアリティをとにかく出したく、名前は出せない方ばかりですが、お世話になりました。

モデルガンを見せて欲しいという成毛に、銃を構える伊藤さん。 発射音を抑えるための口径の小さい訓練用銃を使用している。(撮影:菅野 健児)


訓練後に自宅にて。顔にはフェイスペイント、手には、リーダーをしていたチームの刻印が入ったオール。刻印は、チーム員のコールサインだ。(撮影:菅野 健児)

後編につづく

伊藤 祐靖 1964年、東京都に生まれ、茨城県で育つ。日本体育大学から海上自衛隊に入隊。防衛大学校指導教官、護衛艦「たちかぜ」砲術長を経て、「みょうこう」航海長在任中の1999年に能登半島沖不審船事案に遭遇した。これをきっかけに全自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊「特別警備隊」の創設に携わった。2007年、2等海佐の42歳のときに退官。後にフィリピンのミンダナオ島で自らの技術を磨き直し、現在は各国の警察、軍隊への指導で世界を巡る。国内では、警備会社等のアドバイザーを務めるかたわら私塾を開き、現役自衛官らに自らの知識、技術、経験を伝えている。

*本稿は東洋経済オンラインの記事より転載しております。 


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