社会参加を考える
僕が相談員として働いていた時に何回も聞いて、どうにもはっきりしない言葉。それは「社会参加」「社会復帰」。
利用者によっての捉え方が、様々すぎて困る!
「外に出たい」
「仕事をしたい」「収入が得られるようになりたい」
「一人暮らししたい」
「認められたい」
「退院したい」「退所したい」・・・など
本人の状況で、変わってくるのは分かるけど、どうにも都合よく使われているような気がしています。それは、支援者にとっても言えること。
支援者にとっては、こう言ってしまえば、本人の希望をあやふやにさせ、何でも応用できる魔法の言葉みたいになり、
利用者にとっては、こう言っておかないと、支援者が動いてくれないこともありうる。
だから、僕は「社会参加」「社会復帰」と言われたら、しつこいくらいに本人に聞いています。
だったら、あなたはその(社会参加)ために何をするの?
今、どんなことができるのか?
社会参加をして、どんな生活をしたいのか? と。
本人としては、面談がめんどくさいから、早く終わらせたいから言ったのかもしれないけど、ね。
支援者として、僕も相談支援専門員として働いていて、計画をつくるときに、しっかり時間のある時には、しっかり内容を確認しながら聞けるけど、市役所への提出日が迫ってきて時間が足りなくなってきてしまうと、深く話を聞けずに、本人の希望に「社会復帰したい」と書いてしまうこともありました。
そこでふと考えた。
そもそも利用者にとって「社会」とは何を考えているんだろうか。施設で長期間、入所していた障がい者にとって「施設の外」が社会なんだろうか?地域で、自宅で生活している障がい者にとっても、引きこもっている人にとっては「家の外」が社会なんだろうか?自宅と作業所を行き来している場合は「行ったことのない場所」が社会なんだろうか?
だとすると、支援員としては障がい者に対して「社会」を感じてもらうのも一つの仕事だと思う。もちろん、作業や訓練がしっかりできるのは必要なこと。でも、自分の知らない外のことが分かっていないと、就労や生活はすぐには無理ではないかと感じます。
ただ、僕が支援してきた利用者で、長く施設や病院で暮らしていた人に対して「〇〇へ出かけよう」と声をかけてもどうも乗り気ではないこともある。いざ、出かけたとしても途中で調子を崩してしまうこともありました。気を張っているというか、怖がっているというか。
障がい者本人がこれまで接してきた「社会」がもし閉鎖的なものだったとしたら、その「社会」から出た場合には、社会はこれまでと同じように接してくれるだろうか。もし、これまでは自分の言うことをできる限りかなえてくれる場所だったとしたら、「社会」はどう映るどうだろうか?
逆に、施設や作業所で「社会は厳しい」「失敗は許されない」と訓練された場合には「生活しにくい」と感じ、窮屈になってしまうかもしれないし、すぐには慣れずにストレスを感じてしまうこともあるかもしれない。
また、障がい者には、テレビに映る社会はどう見えるのだろうか?キラキラして、自由で、憧れるものと見えるのだろうか?ドラマに出てくる嘘みたいな状況を夢にみるのだろうか?
自分は関係ないと思い、自分の世界に閉じこもってしまうだろうか?
本人にとって「社会に出る」とは何かを一緒に考えてみませんか?
社会を変えることをしなくても、「社会を知る」ことで、本人の成長につながる「自分のできることを知る」ことにつながると思います。
もし社会参加したい、社会復帰したいと思っているとしたら、一緒にお試しでもいいから、本人の希望通りにやってみる。失敗は嫌かもしれないけれど、本人も支援者もこれからの目標が見えてくると思います。
それと、支援者にとっては「社会参加したい」「社会復帰したい」という言葉が本人から自発的に出てきて、一歩を踏み出そうとしていることを喜びましょう。