#2000字のホラー参加小説「祖母の老眼鏡」
最近、祖母が宙に向かって話し始めた。まるで、誰かがそこにいるかのように。私はそれを気味悪く感じたけれど、父も母も、知らん顔をしている。
私は思い切って、祖母に「誰と話しているの?」と尋ねてみた。
祖母は、自分がかけていた老眼鏡を私に見せて、こう言った。
「内緒だけどね、この新しい老眼鏡をかけるとお爺さんが見えるの」
祖父は何年も前に他界している。
祖母はしっかりしていると思っていたのだけど、認知症になってしまったのだろうか、と悲しく思った。
そうして、父と母に彼女を病院へ連れていくことを主張した。
すると母が教えてくれた。
「あれは実は、最新のARグラス。お爺さんの姿をセットしておいたのよ。ときどき話しかけているのは知っているわ。幸せそう。買ってあげてよかった」
私は首を振って言った。
「ARグラスなのは見て解った。私がオカシイって言ってるのは、お婆ちゃんがかけていたアレ、電源が入っていなかったからなの」
そんな会話の数日後、祖母が急死した。
葬儀屋さんが来て、父と母とあれやこれやと打ち合わせをしている間に、私は母に言われて棺に入れてあげるものを、残された祖母の荷物からより分けていた。ふと、あの老眼鏡が目に留まった。手に取って、かけてみた。
驚いたことに、そこには祖父の姿があった。電源は入っていないのに。
老眼鏡を外すと、祖父の姿は消えた。もう一度かけると、やっぱり見える。本当に、かけているときだけ見えるのだ。
レンズの中の祖父は、怒っているような、やるせないような、むっとしたような表情だ。ときおり、何事かぶつぶつ言ったり、あるいは怒りの表情で何か叫んでいる。声は聞こえないけれど、何か納得のいかないことに対して憤慨しているようだった。
生前の祖父の、ああいう表情を何度か見たことがある。そういうときは、きっと祖母が間に入って仲裁をしていた。
母の父親で、代々続く網本の家系で生粋の漁師だった祖父は、地元の漁協ではなんだか偉そうにしていたが、頑固でわがままな性格のため家族からはあまり好かれていなかった。
祖父が建てたやたらと大きい家は、北海道の冬の寒さにも耐えられるように断熱材をたっぷり使って出来ていると言い張って、家族がストーブを「強」にすると「金が勿体ない」と小言を言った。そのくせ、自分はストーブのすぐそばの一番温かい場所に陣取って、ぬくぬくとしているのだ。
祖父が言うには、ストーブのすぐそばに置かれた肘掛椅子でくつろぐことは家長だから許される特権なのだそうだが、父も母も私もおおいに不満だった。
事業に失敗して、祖父のコネで漁協の事務の仕事にありついた父は、祖父に頭が上がらない。母も、祖母も、仕方ないと言った感じで、祖父のわがままを許しているようなところがある。
私は、それら全てが嫌だった。
襖越しに、母の声が漏れ聞こえてくる。
「あんまり安いのは……」
まだ、葬儀屋とあれこれと話し合っていたのか。
と、反対側のレンズに祖母も現れた。
右のレンズと左のレンズに、それぞれ祖父と祖母。声は聞こえないが、何事かをやりとりしている――というより、祖母が祖父を宥めているように見えた。生きている時の二人の姿そのままだった。
私は思った。祖母はきっと、この眼鏡をかけている間、祖父を宥めていたのだ。短気で、文句の多い祖父を、大人しくさせていたのだ。
やがて、二人同時にふっとレンズから消えた。祖母が、祖父を連れて行ってくれたのだろうか。
レンズの中の祖父は、晩年の痩せた姿だった。骨の上に皮が余った姿は、髑髏を連想させる。その姿は、何かから取り残される老人の悲哀を感じさせた。
「だって、もうお婆ちゃんにしてあげられることはないのよ? 最後くらい……」
まだ、揉めているのか。母の声が再び私を現実に引き戻す。
私も父も母も、生きている頃から、祖父のことも、祖母のことも見ていなかった。目の前のことに追われ、自分達の生活で手いっぱいだった。死んで、本人達がいなくなってから、初めて気にかける。残酷だ。
私は、老眼鏡をはずして、家の中を見回した。
そこここに祖父母の思い出はある。探せば見つかる。あの一客だけ持ち手が欠けた来客用のカップ&ソーサ―も、なぜか神棚におかれた高級焼酎のボトルも、スルメを炙ったときにつけた床の焦げ跡も。ああ、あの時納屋から持ち込んだ七輪をぶつけた傷も柱に残っている。
こんなものがたくさん残っている田舎の古い家に、ARグラスなんて似つかわしくないだろう。私は祖母の老眼鏡を「棺に入れるもの」に加えた。
と、ピキッと鋭い音がした。見ると、レンズにひびが入っていた。祖父が見えていた方のレンズだった。
(終わり)
◇ ◇ ◇
すいません、応募要項の「2000字程度」を「2000字以内」と読み間違えていたことに気づいたので公開済ですが直しました。うっかり八兵衛!
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