旅のはじまり〜ナミブ砂漠250kmマラソン完走記その1〜
そもそも僕は旅が好きだ。
大学卒業後は就職もせず、歩きや自転車で日本を放浪していた。
わりと変わったものが好きで、
四国八十八ヶ寺1200kmの道程を歩いて巡るお遍路というものをしたり、
東京から青森の大間まで自転車で行き、そのまま北海道を一周して帰ってきたりした。
もともと引っ込み思案で目立たない人間だったので、
他のひとがなかなかやらないことに挑戦することで、これまで自分を覆ってきた殻を破り捨てたかったんだと思う。
そんな僕がマラソンをはじめた。
だとすると、最終的に最も過酷な部類のレースである海外の砂漠250kmマラソンに惹かれたのはまあ、自然なことだなと。
うん、極めて自然だ。当然の流れだ。全然おかしくないぞ。
「7日間、砂漠生活ね。砂まみれね。もちろんシャワーとかないから」
「食料は全部自分で用意して背負っててね。あ、水だけはあげる」
「250km自力で移動しないと帰れないから、そこんとこよろしく」
そんな砂漠250kmマラソンに参加する人は、世の中的には変人ばかりなのかもしれない。
そしてその変人たちは、僕の見立てでは大きく3タイプに分かれる。
1、マラソンやトレイルランやトライアスロンなどが好きで好きで、いろんなレースにも出まくっている競技者アスリートタイプ
2、マラソンとかやったことない or そんなにやらないけど、スゴいことや面白いことを成し遂げることに愉しみを見出す冒険家タイプ
3、1と2のミックスタイプ。
ようするに、、、
走るの大好き!
なのか、
面白いことやりたい!
なのか。
実は砂漠レース参加者の中には、
「走るの全然好きじゃないんだよね」
って人も結構いる。これ、意外でしょ。
ちなみに、砂漠のレジェンド達を差し置いて
砂漠レース出場歴1回の僕が物知り顔で語るのはどうかと我ながら思うわけだが、そこはご愛嬌でお願いします笑(大センパイ方、恐縮です)
さて、
僕が実際に参加した
【ナミブ砂漠250kmマラソン(サハラレース SAHARA RACE2016)】
は、ゴールデンウィークに丸かぶり開催ということもあり日本人出場者が過去最高の40名!(例年は10名前後)
だったのだけど、
実感としては、「おもしろいことがやりたくて来た」というニュアンスが強いひとが多かった。
そりゃそうだ。
移動含めて2週間弱の日程を確保する必要があり、もちろん準備や練習にも相当の時間とお金がかかる。
そんな多大なる犠牲を払うことにもなるレースに、単純に競技性だけで出場しようとするひとは稀である。
なにかしら、競技性以外の要素へのパッションや理由を持っている。
というか、競技性を求めていない出場者のほうが多数派、というのが実際のところかもしれない。
"砂漠250kmマラソン"というのはひとつの壮大な「旅」であり、
世界の果てで行われる、自分自身への「挑戦」なのだ。
砂に囲まれた世界の果てに、世界中から冒険者たちが集まる。
そこには溢れんばかりの情熱が凝縮されて、見えない何かを形成している。
出場選手219名には219通りの様々な背景があり、壮絶なドラマがある。
苦難や、発見や、失望や、感動がある。
その多くが、到底言葉にはできない領域の体験となる。
そして誰に語られることもなく、ナミビアの空に消えていく。
あるいは人生の偉大なる1ページとして内なる記憶の片隅に刻まれ、ふとした瞬間にその断片が掘り起こされる。
そこにはある種の儚さが存在する。それでいいんだ、と思える類の儚さだ。
旅というのはそういうものだし、そうであるべきものなのだと思う。
そんなひとつの旅を終えた僕は思う。
「いやこれ旅っていうか、、、
サハラレースっていう名前のちゃんとしたレースだから。
ちゃんと完走記書けや、お前」
はい、すみません。
ということで、
ランナート木村誠によるナミブ砂漠250kmマラソン完走記、はじまります。
砂漠の教訓その1
人生とは旅であるが、砂漠マラソンの完走記はしっかり書け