恐るべき子供達へ 〜番外編〜うっきーという青年②
前回に引き続き「うっきーという青年」の
2回目です。六本木で出会い、僕の部屋に
泊まりに来る事になったうっきーですが、
当時、僕が住んでいた部屋は3階でエレベーターもなかったので、杖で3階まで昇り降りするのって
体力的な事や危険度を考えると大丈夫かな?
と心配していました。
ところが本人は意に関せず、
「手すりもあるから大丈夫。行ける行ける!」
とスイスイと3階まで昇り降りしたのです。
それ以降、うっきーが東京に来る時は
ウチに泊まって一緒に行動するようになり、
辻さんのライブを観に行き
昔の仲間と再会したり、新しい仲間も沢山でき、
僕の友達との飲み会やライブに参加しても、
明るくて、天真爛漫で、人懐っこい彼は、
すぐにその場に溶け込んで、
みんなと仲良くなっていきました。
ある時うっきーは
「自分で言うのもなんやけど、
僕って結構ワガママやと思うけど大丈夫?」
と聞いてきて、
「ん?うっきーのワガママなんて
可愛いもんやから大丈夫や(笑)」
なんて会話をしたり、一緒に
高崎にある山田かまち美術館に行ったり、
うっきーも含めた数人で福島での
ECHOES復活ライブを観に行ったりして
彼との友情を深めて行きました。
そして2011年の「恐るべき子供達へ」へ
写真のような風貌で出演した後、
(当時、辻さんがやってたバンド、
ZAMZAのビジュアルの影響と、
変身願望もあったのかなぁと
思います)
病に倒れ数年間の闘病生活に入ることに
なったのです…。
元々、小説家志望で、
病気になる前は彼の書いた小説が
ある文学賞の最終候補まで残り、
編集者さんと会う時に
現地まで一緒に行ったり、
「小説を読んでの率直な感想と、
直したほうがいいと思う所があったら、
言って欲しい」と言われて、
この部分は直したほうがいいかな?
と素人なりの読者目線で僕なりに
助言をした事もありました。
闘病生活に入ってからも、
車椅子でECHOESの渋谷公会堂、
辻さんの京都磔磔、大阪CLUB QUATTRO等の
コンサートに来場し、渋公のライブ後は
みんなと久しぶりに食事をして
楽しんでいました。
幾度となく大阪の病院に1人や数人で
お見舞いにも行っていましたが、
2016年5月、彼は永眠しました。
今でも脳裏にあの人懐っこい笑顔が
すぐ浮かんできます。
僕の記憶から、みんなの記憶から、
彼が消えない限り、ずっと心の中で
彼は生き続けます。
きっと辻さんのフェスティバルホール
のライブにも来ていたんだろうな🎶
うっきー、またどこかで‼️‼️‼️
恐るべき子供達へ 2014 ①
に続きまーす✨