見出し画像

神の島、久高島

 太陽の塔で有名な超大物芸術家、岡本太郎。彼の著書に沖縄文化論がある。その作品を初めて読んだのは20代前半の時だ。その中で久高島のことを知り、過去に二度訪れた。久高島とは、沖縄本島南部の知念岬から5キロ程の場所にあり、平坦な全長3キロ程の小さな島だ。この島は、沖縄の人にとって一番神聖な場所と言っても過言ではない。

琉球神話の中で、琉球を開いたアマミキヨが初めて降りったった島で、この久高島から琉球を作ったと言われている。つまり琉球、沖縄の始まりと言える島なのだ。それゆえ島には聖域のため立ち入り禁止の場所も多い。沖縄の人の中には、気軽に行ってはいけないと言う人もいるとか。

季節は3月。とても穏やかな天気の中、私は安座間港から久高島行きのフェリーに乗っていた。

画像1
安座間から久高島に向かうフェリーの中から。

これが二度目の久高島だ。高速船に乗りわずか10分足らずであっという間に島に到着した。フェリーを降りると、たかが本島から10分足らずなのにもっと遠い離島に来たような静寂に包まれる。これもこの島の魅力だ。港からすぐの集落でレンタルサイクルを借りて島を巡ることにした。前回と同じ流れだ。集落はとても小さく、すぐに抜けてしまう。そこからは畑や手付かずの森林地帯に変わる。島全体が聖域なのだが、この集落の北側からの聖域は、神事ごとなどがある日は立ち入り禁止になることもあるらしい。

まずはアマミキヨが降り立ったとされる島最北端のカベール岬を目指した。島の中央からまっすぐ伸びる白い砂の道を真っ直ぐ自転車を漕ぐ。日も高くなり3月とはいえかなり暑い。誰もいない白い道を1人で暑さの中進む。意識が無になる。

画像2
カベール岬に向かうまっすぐな一本道。
走っているとどこか異世界へ向かうような感覚になる

夢と現実を行き来しているような感覚になるのは、暑さだけではなくこの島の持つエネルギーのせいなのか。宗教もスピリチュアルもまったく信用しないのに、この時だけは久高島の気を感じた気がする。

画像3

カベール岬から見える景色は絶景だが、やはりどこか神聖さを匂わせ、気が引き締まる。再び自転車に乗り今度は島随一の聖域、フボー御嶽に向かった。

このフボー御嶽は島の人にとってとても大切な場所だ。島の神女が祭祀の時にしか入れず、他一切の人間は立ち入り禁止になっている。入口にも立ち入り禁止の看板が掲げられている。

画像4
フボー御嶽の入り口
これより先は関係者以外一切立ち入り禁止。禁足地だ。

人を寄せ付けない雰囲気に圧倒された。信仰が生きている島なのだなと再認識した。近年この御嶽の中に入り、その様子をsnsに上げる大変に非常識な方達がいるらしい。島の人達、沖縄の人達にとってのとても大切な場所であるからしっかりと敬意を持って頂きたいものだ。

次に向かったのは島の真ん中くらいにあるイシキ浜だ。

画像5

五穀伝説が伝わるイシキ浜も沖縄の人達にとっての神聖な場所だ。

五穀伝説は、イシキ浜に五穀が入った壺が流れ着き、それが沖縄本島に伝わり穀物が広まったとされる伝説だ。人間が生きる上で欠かせない食物がこの浜から伝わったということだ。その他にも、久高島の神女たちがここからニライカナイに向けて祈りを捧げる場でもあるらしい。ニライカナイとは、沖縄の人達にとっての天国とでも言えばいいのか、亡くなった人がいくあの世の概念である。

久高島で行われる祭祀にイザイホーと呼ばれる儀式がある。12年に一度行われるこの儀式は、30歳以上の既婚女性が島での神女になる儀式である。歴史は古く600年以上前から行われていたという。しかし島の過疎化が進み1978年を最後に行われていない。これだけのパワーを放つ島の儀式でも途絶えてしまうものがあることに驚いた。現代の人間には信仰など不要になってしまったのだろうか。この辺の話は、先に紹介した岡本太郎の沖縄文化論に詳しく書いてあるので気になる方は是非手に取って頂きたい。

ふと何かの本で久高島は呼ばれる人しか行けない島だと書かれていたのを思い出す。自分は呼ばれたのだろうか。それは分からないしそんな気もしない。私自身がこの島の持つ独特な雰囲気に魅了されたから来たのだと思う。島に降りたった瞬間に感じる圧倒的聖域感。別に私はスピリチュアルなどの感性はない。むしろリアリストだ。だがこの島に降り立てばこの島から神話が始まったのも納得できる。きっと自宅に帰ればこの島で感じた物も、日常にかき消され忘れていくのだろう。でもその時はまた来ればいい。何回忘れても思い出す為に何回でも訪れよう。島の文化、人々に敬意を払い。私にとっての久高島は生きる意味を見つめ直せる場所なのだ。

画像6
画像7
画像8
カベール岬へ向かう道の横は
画像9


画像11


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?