茅ヶ崎にて
三月の初め、まだ寒さの残る小雨の茅ヶ崎を歩いた。
特別な街ではない。なぜなら私は茅ヶ崎に住んでいるから。
当たり前のように過ごす街を、天気の悪いこの日に海岸沿いを歩いてみたくなった。
季節はまだ冬。空は小雨混じりの曇り。まるでテレビで観たロンドンの空のようだ。
サザンビーチという名の茅ヶ崎で唯一の海水浴場は、もちろんあの国民的人気バンドの名前から取ったものだ。
茅ヶ崎に生まれた私個人の好みなのだが、茅ヶ崎は冬の海の方が好きだ。人もあまりいないし、静かに過ごせる。ただし、風のない日に限る。冬の海岸に吹き付ける冬の風は、ただ単純に寒く辛い。そんな状況の海岸で、物思いにふけたり、読書ができる程私は仙人気質ではない。
この日は風もなく海も穏やかな日だった。要するに冬の海のベストコンディションである。
天気こそ曇りだが、風がなければいいのだ。人もまばらで波も穏やかだ。
時々小雨が降り出す。なおのこと人はいなくなり、小雨まじりのどんよりとした海岸にいることに、気持ちのいい孤独感が湧いてくる。
そういえば曇りの海に赴いたのなんてどれくらいぶりだろうか。
海岸に腰を下ろし、曇りの茅ヶ崎の海を眺めてると、そこが茅ヶ崎ではなく、どこか別の、まだ行ったことのない国の景色に思えてきた。
普段来ない天気や時期に、よく行く場所を訪れるだけで、見慣れた景色は変わり、旅になる。
20代の頃はそんなことを思いながら、台風の日や、大雨の日、外に出るのも億劫な高温の日、様々な過酷な状況の中、この茅ヶ崎を歩いていた。まだ経済力もなく無駄に時間だけがある豊かな時期。曇りの海に来て、一昔前の「豊かな自分」に出会えた気がした。
まだその豊かさを思い出せることに安心した。もちろんあの頃には戻れないし戻りたくもない。最近は前しか見れないほど忙しく、過去のことなんて思い出す余裕なんてなかった。だからたまにはこうゆうのもいいのかもしれない。
金がなくても楽しかったあの頃。今はあの頃と違う豊かさを手に入れた。
忙しすぎて、過去の自分の豊かさを忘れるところだった。そんな体と心の危機に自然と体が海に向かったのかもしれない。
茅ヶ崎の海はいつも何かを感じれる場所だ。また自然にこの場所に来るんだろう。
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