人生で大切なことは全て校長室で教わった
今回はちょっと趣向を変えて
僕の人生に影響を与えた出来事を紹介したいと思います。
STORIES.JPっていうWEBサービスがあるんですけど、ご存知でしょうか。
4〜5年前程からあるWEBサイトなんですが、
自分自身の人生の思い出とかストーリーを投稿できるサイトなんですね。
興味のある方は こちら から行ってみてください。
少し前にビリギャルってありましたよね。
学年ビリのギャルが慶應大学に入った話ということで、書籍化も映画化もされて、大ヒットしたあれですね。
もともとビリギャルという作品が生まれたきっかけというのも、このSTORIES.JPだったんです。
実はこれ一時期話題になった仮想通貨のCoincheckという取引所を作った社長さんが作ったWEBサイトなんです。
そういった意味では非常に有名なサービスなんです。
実は僕も5年ほど前にそのサイトに投稿したことがありまして。
当時は軽くバズって、Yahooニュースにも取り上げてもらった記事があるんです。
タイトルは
「人生で大切なことはすべて小学校の校長室で学んだ」
ということで、書かせていただきました。
僕が実際に小学校の時に体験した話なので、もう20年くらい前の話ですが、今でも思い出に残ってます。
今の僕の人格形成をする上で非常に大きな要因となった話なんですね。
詳しくは、ぜひ こちら から読んでいただければと思いますが、
簡単にここでもお話をしていきます。
僕は小学5年生の時、いじめに遭っていました。
学校というか、クラスというか、まあ反りが合わなかったんですね。
そして、それがきっかけで不登校となってしまいました。
当時の僕は、父親が自営業を営んでいた関係もあり、大人と接する機会が非常に多かった。
そういった生活環境も手伝って、当時小学校の勉強は
はっきり言って非常に簡単だと思っていました。
ちょっと学べば誰でもできるとかいう生意気なことを思っていたんですね。
しかも当時(今もそうですが)の僕というのは、知的探究欲求が非常に強かった。
新しいことをどんどん学んでいきたい。
どんどん先に進んでいきたい。
1を知ったら2を知りたい。
10を知ったら100まで知りたい。
そんな子どもでした。
僕は公立の学校に通っていたんですが、僕が通っていた小学校の授業
ってクラスの一番にできる人間に合わせるんじゃなくて
一番できない人間に合わせて進行していくんですね。
だから授業が進まない。
僕はどんどん先に行きたいのに。
落ちこぼれを作らないというところに焦点が置かれた授業でした。
そんな授業を僕はどうして過ごしていたかというと、
授業が進まない時に、自分で教科書を最後まで読んだりしていました。
そういった経緯もあり、小学校の勉強について僕は非常に簡単だと感じていました。
大人と接する機会も多く、小学校の授業も簡単としか思っていなかったクソ生意気な僕は、
すみません、誤解を恐れず正直に言います。
周りの同級生をバカだと思ってしまっていたんですよね。
喋ることすらなんだか嫌だと思うくらいにね。
更に、私生活では叔父に中古のパソコンという輝かしいおもちゃを与えてもらい、プログラミングに没頭するわけです。
だから、ますます学校の勉強も簡単に感じるし、
同級生との会話もつまらなく感じるようになったんです。
そうすると、当たり前ですがどんどん周りから浮いてくるわけです。
輪に入らないし、入れないんですね。
そういったところから僕はいじめに遭うようになりました。
当時精神力も強くなかった
僕は、こうして不登校になったわけです。
小学生の僕は学校と家だけの狭いコミュニティで生きていました。
その学校に否定されて、更に不登校になった僕をなんとか学校に連れて行こうとする両親とも、段々と不協和音を奏でるようになってしまいました。
学校でも家でも居場所がなくなってしまった子どもはどうなっていくのか。
当時の僕はどんどんと追い詰められていきました。
今もニュースで小学生が自殺したという痛ましいニュースを目にすることがあります。
でも今振り返っても、僕も一歩間違っていたらそうなっていたかもしれない。
そのくらい苦しい毎日でした。
どこにも居場所がなくもがいていた僕を大きく変えてくれたきっかけ。
それが、当時通っていた小学校の校長先生だったんですね。
不登校の間にも、何度か学校に行って担任の先生と話す機会もありました。
でもどうしても僕の心は学校へと向かいませんでした。
そういう時に校長先生が言ってくれたんです。
「小学校には来なさい」と。
それは小学生であるあなたの義務だからって。
「教室に行きたくなければ、教室には行かなくてもいい。
その代わりこの校長室で勉強すればいい」って。
あの一言は20年経った今でも思うくらい、僕にとって衝撃的でした。
そんな選択肢があるのか!
こんなことを言ってくれる大人がいるのか!
と感銘を受けました。
そこから僕の校長室登校が始まりました。
でも、基本的に公立の学校っていうのは、例外を嫌うんです。
担任の先生も面白くなかったでしょうし、当時の教頭先生は露骨に反対していました。
僕が校長室に通うようになった後も、何かにつけて嫌味を言われました。
校長先生に対しても然り。
でもいつも校長先生はきっぱりと言っていました。
「何かあったときは全て私が責任をとります」と。
校長先生という心強い後ろ盾があったので、僕もなんとか小学校に足が向くようになりました。
課題などをやっていくのですが、基本的にはすぐに終わらせてしまいます。
その後は図書室の本を隅から隅まで読み漁ったり、
校長先生とお話しさせてもらったりしていました。
校長先生は日々たくさんの業務や電話を抱えていらっしゃいます。
しかし、僕はこの校長室登校のおかげで、運良くそういった状況を間近で見ることができたんですね。
学校の運営ってこういう風に成り立ってるんだなっていうのを知って、小学5年生ながらに関心したのを覚えています。
(ね、生意気でしょ?笑)
こういう素晴らしい指導者がいる学校で学べるというのは幸せなことだな、と小学生ながらに思っていました。
あの校長先生の一言がなければ、もしかしたら僕は不登校のままだったかもしれません。
もしくはもっと悲惨な結果になっていたかもしれません。
実際僕が教室に復帰した時も、僕の校長室登校を面白く思っていなかった先生方には、子供でもわかるぐらい横槍を入れられました。
しかしそんな時でも校長先生は一貫して、僕を守る姿勢を貫いてくれた。
そんな素敵な先生のおかげで、僕は無事に小学校を卒業することができました。
そこからもう20年以上経つので、校長先生がお元気かどうかは分からないです。
でも本当にあの時、校長先生がきっかけをくれなかったら、今の僕は居ないです。
あの時図書室で学んだ本を読む楽しさも、今の僕の立場を形成する一助となりました。
人生って何がきっかけで変わるのか本当に分かんないなって今でも思っています。
今でも学校や家に適合できずに苦しんでいる子どもはたくさんいます。
現代教育においてもまだまだ課題となっているところです。
現代の少年少女が見ている世界は非常に狭い世界であること。
だけれども一歩外にでると、世界は広くてワクワクして楽しいことに満ち溢れてるんだ
ということを、僕はこの経験を通して学びました。
そしてこのいじめという経験を、僕は同級生は誰にも負けたくないという反骨精神に変えて頑張ってきました。
誰しも人生の転機というものはあると思います。
これからも様々な経験をしていくことでしょう。
それをしっかりと転機だという風に捉えて、
「あれがあったからこそ今の自分がいる」と思えるよう、これからも前に進んでいきたいです。
最後に、僕の人生を大きく変えるきっかけを作ってくださった校長先生には本当に感謝しています。
ありがとうございました。
最後まで読んでくださった皆様にも感謝です。
この記事が皆さんの何かを変えるきっかけになれば幸いです。