「自分が変わる事でその景色の美しさを伝えていく」という星野道夫『旅をする木』の話について
今日は、いつになく当たり前が当たり前ではないことを、突きつけられた日だったから、自分がしばらくモヤモヤと思ってきていて、やっと言語化できた事を、せっかくだから書き残しておこうと思った。
10月のある日、の気づきの話。
夕凪の人との出会い
その人が笑った瞬間、辺りは夏の夕凪と海の優しいさざめきに包まれたような気がした。
ここは、10月の長野、しかも屋外スキー場があるような山間部。普通に寒かったので、面食らって、しばらく凝視してしまった。
別に、なんて話をしていたわけではないと思う。
けれど、実際はすすきが黄金色に染まる秋の夕暮れだったのに、私の心はまた夏色に染めなおされた。
最近、そんな人に出会って、そういえば思い出したことがあった。
繊細な彼が笑うと、真夜中の森の湿気がわっと香り、次の瞬間日が昇って光差し始めた朝靄の森が見えたことを。
快活なあの子が笑うと、雄大なモルゲンロートがそこに拡がったことを。
そういえば、あの人の目にはアラスカの岸壁のグレーが染み込んでいた。
そしてこんな話を思い出した。
星野道夫『旅をする木』もうひとつの時間
星野道夫のエッセイ『旅をする木』の中の「もうひとつの時間」というエピソードの中で、星降るアラスカの氷河の上で道夫は友人とこんな話をしていた。
そう友人に言われた道夫は、
と答えた。
確かに私たちは、言葉や写真・絵などを使って、最大限その美しさを
伝えようとする。けれど、やっぱり美しい景色はどんなに素敵に表現しても、実物に勝るものはない。
表現しきれない美しさを、感動を、ひとりぽっちで観てしまったら、果たして私たちはどう伝えればよいのだろうか?
友人はこう答えた。
自分が変わってゆく事で、愛する人に、子供たちに、伝わっていくものがあるのか。
「美しい景色を自分が変わる事で表現する」ということ
3年前、そのエピソードを読んだ時、ピンと来るようで来なかったけれど、なるほど、こういうことなのだろう。
わかった瞬間、自分が少し大人になった気がした。
私は最初に語ったような、表情に自然を携えている人たちが好きだ。
彼ら彼女らは、涙が出るくらい美しい景色を見て、たくさん感動をして、
そして少しずつ変わってきたんだと思う。
だから、図らずもだろうけれども、無言で、その景色の美しさを見た事もない私にも、それを教えてくれる。
「自分が変わる事で伝えよう、その景色を。って、我らが道夫は言っているよね。」
そんな言葉を、3年前くらいの一人ぽっちの私にくれた人がいたことを思い出した。
未だに、私の顔には何も張り付いていないけれど。
そのうち、生まれ故郷の白銀の記憶と氷柱のような透明無垢さをぶら下げて、瞳にはどんな氷も溶かしてしまう暖炉のオレンジを灯しながら、生きてみたい。
長野の小海からの帰り道、彼女彼らの表情をホクホクと思い出しながら、
高速道路で車を走らせ眠気覚ましに悶々と紡いだ大切な言葉を忘れてしまいそうなので(実際、日々の喧騒の中で一度忘れかけていた)。
今日は、ここにデジタル杭打ち。
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