あなたの周りに、身近に、居ます。時代の流れとかでもなくて、ずっと居ました。
数年前にとある高校でLGBTQ+をテーマとした授業に行かせて頂いたことがあり、授業後のコメントペーパーを拝見しました。みてみると、LGBTQ+に対して「わからない、よくしらない、周りにもいないしちょっと嫌悪感」が4割、「なんとなく知ってるし友人がそうだとしても変わらず接したい、けど周りにいない」が4割、あと1.5割は友人や家族に当事者がいる、あとの5%は当事者でした。
これはあくまでn=1の経験であって全てがそうではないかもしれないけれど、私が高校生だった頃から10年経ったからと言って、簡単に物事は変わるわけではなく、今も8割強の人は「いない」ものと思って過ごしている中で生きていかないといけないのは、凄く大変だと思いました。
そういえば、私もあえてセクシャリティを伝える場面が大人になってから多くなりました。別に自分に直近の得とか何も無いけれど、臆せず言うようになりました。なぜなら、黙っていても何も変わらないから。
反応は様々だけど、1番モヤモヤするのが「時代だねー!」とか「今そう言う時代だしね」って言われことかもしれないです。あえて言ってこなかった、言えなかっただけで、20年間あたためてだいぶ熟成されたわたしの言葉は、一言に「時代の流れ」なんかで片付けられて良い言葉なんだったっけ?ファッションや流行の一部なんかじゃないんだけれど?と思います。
あなたの周りにもきっと居たけど、なんなら子どもがそうかもしれないけれど、見てこなかった、見えてなかっただけのことを、時代なんて体の良い言葉で片付けるのは違うと思っちゃうんですよね。
あと、「時代も変わってきてるしさ」「今はもうそういう時代じゃなくなったし」「きっともう少しで時代もかわるよ!」って言葉にもモヤモヤしてきました。
その時代が少しずつ変わってきているのは、わたしたちが傷ついたり差別されたり怒ったり、時に泣いたりわめいたり、そして大体は建設的な考えと意見を持って施策を実行しながら、いろんな人たちが少しずつ時計の針を動かしてきた結果なんじゃないかと思うのですよね。
すこしでも良い未来を実現するために、小さなことから大きなことまで、一生懸命時代を推し進めようともがいてきた結果が、今目に見えているだけなので。小さなことでいうと節電を心掛けるみたいに取り組んできたこととか、そういうのも含めて。
だから、わたしはいつもこう思います。
わたしたちの言葉は「時代だね」とかで片付けられて良い言葉なんでしょうか?
傍観していたら勝手に世の中は変わるものなんでしょうか?
時代の流れだけに身を任せることは、長い年月をかけて氷河に削られてできるフィヨルドが出来ることを待ち望むくらい、途方のない話だとわたしは思うんです。
もし、家族が、友人が、自分が大切に思う人が、当事者だったら?
フィヨルド形成を待ってる場合じゃないんですよね。時計の針は自ら進めないといけないし、みんなの「ちょっと針を進めよう」の意識の積み重ねが、本当に時計の針を進めることになるんじゃないかと思っています。
そして、自分の子供とか友人とか家族が、当事者だとしても、自分達と同じく変わらず生きられる世の中を作るために、ターニングポイントとなるタイミングで、何ができるかって一瞬だけでも考えて欲しいです。その一瞬が積み重なっていけば、きっと、一気に物事は良い方向に進むと思います。
そして、そのターニングポイントは今!もう来ています!
氷点下では-20℃でも-1℃でも側から見たら一見何も変化ないように見えた氷が、0℃になった瞬間に、氷が一気に崩れ落ちるように、その一瞬の積み重なりが、良い未来に繋がると思っています。
フィヨルドできるのなんて、待ってられない。
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