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2023年の振り返りと2024年こうしたい

 2024年も始まってしまったが、2023年12月は6年間務めた大正製薬の最終出社を終えた後に長々と体調を崩してしまったり、気持ち的に落ち着かない部分も多かったりもしたので、元旦に思い出深い国立競技場に訪れたことをきっかけに、やっと安穏な気持ちで2023年を振り返えることができた。元旦早々震災で心配な状況もあり、多くの人の無事を願いつつ。1月4日から始まる新たな職場での嵐のような仕事に巻きまれる前に、文章に整えておこうと思った次第。そもそも、久々にPCに向かい文字を打っているので、そのこと自体新鮮で嬉しい!

お仕事について

ラグビーワールドカップ2023フランス大会への道程

 2023年の一大トピックはやはり、ラグビーワールドカップ2023フランス大会。(以下、RWC2023) というか、3年前の2021年の冬にラグビー担当となることが決まってから、ずっと2023年9月-10月に向かい仕事をしてきた。3年間、男子のラグビー15人制代表のみならず、女子ラグビー日本代表・男女7人制ラグビー・高校生・キッズ向け普及と止まることなく日本各地を駆けずり回りながら、スポンサーサイドとしてラグビーシーンを支えるお仕事をさせてもらった。その中で社内外の仕事仲間やアスリートたちに助けられてきたし、リポDを好いてくださる熱いラグビーファンの方たちの存在にも助けられなんとか駆け抜けることが出来た。ラグビー選手たちもそうだが、ラグビーの現場を支える人たちの「日本のラグビーのために」という熱い思い、熱量が物凄くて、自分もとてもいい影響を頂き、パッションフレンズも何人もできた。また、ラグビー日本代表に加え、2022年1月からは、ニュージーランド代表(オールブラックスで有名)とのスポンサー契約も開始し、ラグビー史上最強の元オールブラックス リッチー・マコウとダン・カーターをサポートアスリートへ迎え、アクティベーションを行うことができたのも、本当に自分の人生の財産となった。高校生の頃にオールブラックスに憧れて、体育祭でクラスのみんなと一緒にハカの「カマテ」を舞っていた自分が、まさか大人になってオールブラックスの仕事に関わるとは思っていなかったから、とても光栄だった。6月~10月は、6週連続にわたる男子の15人制のテストマッチや女子ラグビー日本代表の活動に帯同しながらも、その合間で、日本の子どもたちのために、オールブラックスクリニックを開いたり、リッチー&ダンに関するアクティベーションを行ってきたことは、振り返れば忙しくも幸せな毎日だった。次の子たちのために、素晴らしい選手たちと触れ合う機会を創り出すこと、夢を見ることのできる舞台を創ることに献身したいと改めて思うきっかけとなった。

 そして、9月8日に開幕したRWC2023。今回、自分は現地に帯同せず、日本国内でのアクティベーションに従事することとなった。8時間ほどの時差がある中で、いかにパブリックビューイングやSNSを通じて盛り上げられるかが肝だった。毎日、寝不足になりながら日本代表だけでなく、各国の死闘を観戦する中で、更にラグビーが好きになっていけたのは、本当に幸せだった。過酷な現場を毎週共にし、思いを共有し合ってきたカンタベリーの森岡さんとも、深夜というか明け方の新宿で一緒に日本代表を応援できたのも、今回のワールドカップのハイライトの一部。いい思い出になった。
 さて、迎えた10月8日のプール戦最終戦のラグビー日本代表VSアルゼンチン代表戦。この日は、渋谷∞ホールでよしもとラグビー芸人との共同開催となるパブリックビューイングを実施した。勝てば日本の決勝トーナメント進出が、敗北すれば予選プール敗退が決まる、ジェイミージャパンの進退をかけた一戦。結果として、日本代表はアルゼンチン代表に敗れ、予選プール敗退が決定した。その時には自分の心境としては、完全にオールアウト状態。「ありがとうございました。ラグビー日本代表。ありがとうございました。大正製薬。」ノーサイドの笛が鳴り響き、敗北が決定した瞬間は、感謝の気持ちでものすごく静かな心になっていて、本当に自分自身やり切ったなと感じ、おのずと次の道に進むことを決意できた。

 ラグビー担当になってからの3年間、コロナワクチン以外で本当に一度たりとも、発熱や風邪もなく、もちろんコロナにもかからず、病に倒れたことがなかった。運がよかったのもあると思うが、それだけ、張り詰めた中で体調管理と日々の生活も気を付けて過ごしてきた自分に、お疲れ、って心の中でささやいた。

好きを仕事に混ぜていくことをやってみた(山・トレランの仕事を通じて)

 さて、上記のラグビー業務がありつつも、リポビタンからスポーツラインが発売となり、4年前頃からぼちぼちと、自分が大好きな登山シーンでリポビタンのゼリーを普及・販売拡大させていくような業務を始めていた。「リポビタンゼリーSportsで安全登山」をテーマにYAMAPさんとタイアップし3年ほど細々と施策を続けてきていた。山もYAMAPという企業も自分が「好き」という思いがあって取り組みが始まったものではあるが、そんな個人的感情を差し引いても、山の領域でリポビタンを浸透させていくこと、YAMAPさんと組ませていただくことは合理的で、熱い社内提案と根回しを続けたことで、2023年にはトレイルランニングの取り組みとともに、一事業へ育っていった。


個人的には、ゼリー専用のサコッシュが一番面白かった!


ちなみに、トレイルランニングはプロトレイルランナーの奥宮俊祐選手と出会ったことをきっかけに、彼が運営するレースへ協賛・ブース出展をする形で携わらせて頂くこととなった。他にも、自分が個人的に顔を出しているトレランチームや選手たちにリポビタンに親しみを持ってもらうような活動や、他企業とのコラボPRなども思いをもって取り組めた。本当は、もっともっとやりたいことは沢山あったけれど。

 愛情をこめた仕事やワクワクを詰め込んだ仕事は、間違いなく、結果的に人々の心を動かすんだなということを肌で感じ、「いい意味で、公私混同をしていこう」「自分の『好き』や熱量をそのまま活かせる仕事に振り切ってチャレンジしてみよう」という思いが強まった。

2023年、1年間、様々な経験はできたけれど、今後の成長を考えたときに、もっと違う角度のスポーツサポートサイドで、そしてもっと違う組織体で働く経験が必要だと感じ、6年間のファイトイッパーツ!生活に終止符を打ち、1月からは、スポーツコミュニケーションに特化した会社で働くことにした。

 思い返せば、それぞれ短い時間ではあったが、
営業時代・マーケティング部ブランドマネジメント時代・そしてスポーツコンテンツPR時代と、それぞれの時代に先輩方・同僚に恵まれ、助けてもらいやってこれた。営業車でむせび泣いたり、地下の車庫でこそこそ泣いてみたり、床をたたくほど悔しい出来事(たたくほど、ってか、実際にたたいてたww)とかもあったが、だいたいは、兄さん姉さんたちに慰めて貰いながら、なんだかんだと逃げずに頑張れた。特に、この会社の女性は気持ちがよい人ばかりで、理解ある大好きな姉貴に囲まれて毎日苦しいながらも、助け合える部分もあり、楽しく、救われた。これからもお付き合いさせてもらえるような仲に恵まれ、それが嬉しい。

山・トレイルランニング

 と、もう仕事の振り返りでだいぶ長くなってしまったが、2年ほど前から趣味で生活に取り入れているトレイルランニングについても、ちゃんと触れておきたい。2023年は満を持してトレランチームに加入し、月間走行距離や練習時間も忙しい中でも取ることを意識した。強くなりたかった。

Run boys!Run girls!のジュニアチームに加入して、何より人の縁に恵まれる

 2023年の1月からランボーズに加入した。チーム練や火曜日夜に行う週一のポイント練、そして体系だった練習理論やレースティップスの共有、オリジナルクラフトビール作りなど。まじめな練習から遊びまで、チームのお陰で充実した1年となった。特にレースは、チームの仲間と一緒に現地まで行ったり、レース中も励ましあったりと、心強かった。更に、ランボーズで「淡路さん」っていうトレイルランナーに出会ったことで、格段に知り合い・友達が増えた!!!そのことで、厚木大学やチキンハート・高松山ぐるぐるクラブなど、様々なチームの練習に参加することができ、加速度的に顔見知りが増えた。
 PODCAST「二ーマルハシルコネクト」のミチタロウ・ヤノケンにも出会えて、なんだかトレイルランニングライフだけじゃなくて、人生までちょっとずつ変わってきた!
 自分が仕事で出会ったプロランナーも含め、繋ぎ広げていくことを来年はしていきたい。

浮遊ガールのなみちゃんと高校陸上部の長距離ゆみちゃんとまさかの念願鳳凰三山!
ニーマルハシルと淡路さん

日本各地への出張と私の山・トレランの楽しみ方

 ちなみに、2023年ははっきし言って、4月にUTMF KAIに出てからは、9月の京都グランドトラバースと上州穂高スカイトレイルレースしか出ていない。あ、あと、日光!夏は、基本的に土日毎週出張だったので、出張先で朝早起きをして市街地から行きやすい山へ、仕事の前に遊びに行っていた。
特にアクセスが良かったのは、札幌の藻岩山。市内からジョグでも30分ほどで行けて、けっこうクイックなトレーニングに良い累積と距離が稼げる。頂上は札幌市内を見渡すことができ、爽快感もある。子供のころ、スキーでしか行ったことがなかったが、札幌出張の際にはみなさんにもおすすめ。

トレイルも白樺が綺麗で森深い

あとは、帰りの飛行機までの間に弾丸で行った阿蘇山もよかった。ASOボルケーノが人気な理由が分かった気がする。九州も、たくさん良い山があるので、ゆっくり山のために訪れたいものだ。

夏の思い出(関西遠征・念願高尾ドボン)

 夏の思い出と言えば、関西方面の出張帰りに新神戸駅発着で、六甲山まで関西在住のトレイルランナーたちとトレランしたのもよい思い出だった。関西のトレイルに興味があったのと、夏だというのに一切遊びもなく根詰めて土日も仕事をしていたので、ひと夏の最高の思い出になった。


9月頭には京都一周トレイルの一部を活用したレースにも出て、比叡山・鞍馬山・大字山と一度は行ってみたかった山々を駆けることができ、大満足だった。夕焼けの時間帯が絶景なのと、やはり比叡山などほかの山々も含め、山自体が神社や寺の敷地になっているし、歴史も含めて荘厳な雰囲気があり、関東の山域とは異なる魅力があった。京都のトレイルも、またゆっくり訪れたい。

 そして、近隣での遊びと言えば、高尾のドボン。高尾在住の友人たちと、行ったことのないコースを開拓しつつ、最高のドボンポイントで念願の川遊びをした。夏は、私は暑さに弱くて楽しめないことも多かったけど、今年は最高な経験を友達たちとできたことで、夏が好きなった。また、早くドボンしたいな。

高尾在住の友人たち

2024年はついに100マイルレース『UTMF FUJI2024』に臨む

今年の総括としては、
・昨年よりも週末出勤が増えたにも関わらず、年間走行距離&トレーニング時間は1.7倍になった。目標の2倍には届かなかったけど、時間の使い方がうまくなった。
・レースティップスなども含め、経験値があがったしランの地力はあがった。
・ただ、100マイル臨めるほどではない。ベースアップ必要。

 て感じですが、秋のバースデーレース上州武尊スカイビュートレイル80Kを完走したことにより、私はUTMF FUJIの参加資格をゲットしたのだった。
仕事的にも来年、トレランシーズンの夏秋のレースコミットは難しいし、ここは思い切って4月の100マイルレース FUJIにチャレンジすることにした。目指すことで上がっていく経験値もあると思うから、前向きにやっていく。100マイルチャレンジの話をしたら、友人のうっちーは、個人スポンサーになってくれるって言っていたけど(協賛内容未定)、引き続き、個人スポンサーは募集中です。

LGBTQ+についてOPTを通じて変化した考え

 仕事・トレラン、そしてもう一つの大きな考え事は、LGBTQ+について。
当事者として、悔しい思いや悲しい思いなんかも沢山してきたけれど、3年前ほどから、悔しがってばっかいないで、「その気づきをポジティブなものに還元して発信していきたいな」「次の人たちや今悩んでいる人たちのためになりたいな」という思いが強くなり、2022年2月にラグビー界で初めて当事者であることをカミングアウトした村上愛里選手に会いに行き、そこから22年6月にOPTファウンダーでありサッカー選手の下山田志帆さんと内山穂南さんに出会ってからは、心強い仲間がグッと出来た。そこから2023年は「役に立ちたいという気持ちをどう形にしていくか」を考えて、ちょっとずつ形にできた年だった。

OPTの事業とみんなに出会ってからの変化

 まず、OPTを通じて、そこに賛同している素敵なマインドを持ったアスリートやサポーターに出会い、今まで自分がいかに「心理的安全」とはかけ離れた場所で一人で戦ってきたが分かった。心理的にも仕組み的にも、バックアップを得たことで、OPTのインタビューで自分の立場の現在地を表明することできたり、そのことで広がる輪があったりした。他にも、YAMAPとOPTのタイアップが実現したりと、個人的にはもっと多くの困っている人に行き届くようなコミュニケーションができたらなと思えるきっかけとなった。恩返しのつもりなので、できる範囲内で、になってしまったのが心残りだった2023年。けれど、自分の悔しさや悲しさを、そのまま「悔しい・悲しい」とかっていうよりも、ポジティブでたのしい・面白い企画にして届けられたことで、困っている人たちの心が動いていく様子が感じられてよかった。
何よりも「今までの悲しみの成仏」ができて、自分自身が一歩先に進めた感覚があった。

理解者が増えていくことで心理的安全圏が拡大していった

 そうやって過ごしていると、社内でも大好きなアネゴやアニキたちに10割嘘のない自分を知ってもらいたいなと思うようになってきて、率直に自分のセクシュアリティについて表明するようになっていった。最初は驚いている先輩とかもいたけど、後々おのずと自然なコミュニケーションになっていくこともあって、すごく楽になった。また、「自分の子どもが当事者だった時に、そのことを言い易い親でありたいって思う。」と言ってくれる先輩もいて、その言葉で、なんだか本当に言ってよかったなと思ったし、子どもの頃の自分みたいな人間が一人でもいなくなればいいな、そのために出来ることはしたいな、って思った。
大学時代の友人や、個人的な付き合いのある人たちにはオープンにしていたけれど、公言していくことはあまりなかったし、今も正直そのことだけが良いとも思ってない。そもそも、どんなセクシュアリティやバックグラウンドの人間でも表明無しに、フラットに生きられる社会の実現を誰よりも私は望んでいる。し、そのうえで私はあえてオープンにするスタイルを選択しているけれど、クローズドにして生きる選択肢もある。オープンにすることが一般的に勇敢とされがちに見えるけれど、どちらの立場を選んでも、どちらが勇敢だとか良いとかはないなという視点ができたのも、今年の進歩。とにもかくにも、その人自身の心理的な安全をなるべく担保できる方法を選んでもらえたら良いなと思う。
けどやっぱり、いろいろ大変だったり悔しい誤解とかも未だにあるから、
「子どもたちが大きくなるころには、セクシュアリティの話なんて、苗字名乗るくらい、フラットな世の中にして待ってるから。がんばるオレタチ」っていうキモチ。

女性アスリートを取り巻くスポーツ環境について、あとマイナースポーツ

 LGBTQ+の問題に似ているなと思ったのが、女性がスポーツ(特にサッカーやラグビーなど、近年まで男性のものとされてきたがちのスポーツ)において、女子がそのスポーツを始めたり続けたりする困難さが未だにあるという点。とある小学生のラグビーをする女の子の話を聞いたときに、その悩みが自分たちが子供だった頃と悩みが変わっていないなと思い、自分にも具体的なアクションできないかなと考えが深まった年だった。やはり、仕事上女子ラグビー選手や女子サッカー選手と過ごす時間も長かったので、自ずと考えることが増えた。

夢を描ける舞台の少なさ

 そもそも何が問題って、いろんな選手と話すのが、男性のラグビーシーンとかには「花園」とか「国立競技場で正月にプレーする」とか、リーグワンの舞台が用意されていたり、ラグビーワールドカップの規模間としても子供が憧れるには十分大きな夢の舞台が用意されている。一方で、女子ラグビーにはもちろんワールドカップなどもあるが、それまでの大きな夢の舞台って、用意されていない。普段前向きに選手たちは取り組んでいるから、わざわざ言うことではないけれど、けれど、あえて言うと、不公平だし、女子選手はやはり用意された夢の舞台やチャンスが多い競技や性別の人を見ると羨ましいと思う。
で、あそこに立ちたい!とか、あの場所でプレーしたい!って心の底から思える舞台や状況があったほうが(金銭的な面も含めて)、選手たちのスポーツに対する熱量とレベルも上がるし、更にそこに憧れた人たちがそのスポーツを始めるという好循環が生まれる気がする。だから、憧れの舞台を選手・サポートサイドが一緒になって作り上げていくのは、まずもって一番大事なんだろうなと思う。これは、女子スポーツのみならず、マイナースポーツ全般に言えることだと思ってる。スキージャンプやフリースタイルフットボールとか。夢を描ける舞台を創ったり、国内で憧れられる存在になるためには露出量を増やしたりとか、それも大事だけど、選手たちやその舞台が憧れられるものであるかっていうのは大切な気がする。簡単なことではないんんだけど、女子ラグビーの試合は、いつか秩父宮ラグビー場満杯にして試合してみたいよねって思う。ラグビーからしばらく業務では疎遠になっちゃうけれど、そういうことを実現していく立場にならないと、ってのは思った。

女子がスポーツをするためのスタートラインに立つまでのハードルが多すぎる

 10年前の自分たちの苦悩と今の小学生たちの苦しみに大差がないことに危機感を覚えてから、「女子がラグビーやるなんて」的なステレオタイプや勝手にそのスポーツが「男性のもの」的な思想が小学生とかに根付いている部分を見る機会を得て、怖いなと思った。
仕組みや競技特性上以外にも、人の心理的な見方ひとつで、そのスポーツへの参入のしにくさが出てしまうのは、排除される側からするとしんどいなぁと。胸が痛い。もちろんそうでない人が大半だけれど、大人がそういったステレオタイプをなくしていくのが大事だと思った。
「スポーツはみんなのもの」であってほしい。オープンアクセスなスポーツがあったからこそ、自分は生きてこれたので、いろんなカテゴリーの分野のスポーツでもなるべくそれを実現していくってことを、時間かけてでもしていきたい。

死生観

 さて、私は9歳の頃同居していた祖母が1年の闘病の末、ガンで亡くなったことをきっかけに、死や哀しみとの向き合い方について、考えてきた子供だった。祖母・祖父・恩師、そして3年前に友人を亡くしてから、1日たりとも彼らのことを忘れたことはなかった。毎日考えていた。毎日毎日、一日のどこかで思い起こすことが当たり前すぎて、もはや自分でも気が付いていなかったほど。あとは、毎年映画「悼む人」を見ては、自分の悼み方ってなんだろ、ってぼんやり考えて、加えてお坊さんの息子の友達が京都の大学院で仏教について学んでいて、その教えを彼なりにもかみ砕いて伝えてくれて、そういうことか、って納得してちょっと救われてみたり、まだよくわからない部分もあったり。
 そんなこんなしていたら、今年は職場の同僚が11月に立て続いて2名亡くなられた。哀しさや寂しさ、感謝の気持ち、それからご家族のことを思うといろんなことを再び考えた。ぼんやりと。あと、会える時にみんなに会っておこうなんて思って、12月は毎日みんなで送別会した。一緒に哀しみを乗り越えられる仲間たちがいたことは救いだった。
 ただ、それで最終的に思ったのは、やっぱり自分にできるのは、
その人の元気だった時の姿やいつも伝えてくれていた愛やメッセージを覚えておくこと。そうやって、その人の一部を自分の中で生かして、自分が愛をもって生きる。そしてその愛情をまた、今生きている自分の大切な人たちや次の世代の子たちに伝え繋いでいく事でしか、生きていけないかなという考えに至った。
 恩返しがもう、亡くなってしまった彼女たちにはできないから、恩送りをしていくことでしか、自分は弔えないし、悲しみの成仏もできないなって改めて思った。それで、悲しみの成仏をしていると、自分が与えた愛情が形を変えて自分に戻ってきたりする、みたいな体験も増えてきて。まさにこれが、「情けは人の為ならず」の始まりなのかしら、なんて思ったり。で、そうすると今度は悲しみの成仏とかじゃもうなくなってくるわけ。もともと悲しみの成仏5%・何かしてあげたい95%くらいだから、当たり前なのかもだけれど。
で、これは希望があるなと思って。2年位前までは、哀しみの海に浸り続けていて、つい明け方のや夜の海を見ると、生死の狭間を垣間見た気持ちになって戻ってこれなくなってしまいそうだったし、それはそれで良い時間だったけれど。最近はみんなの愛情に守られて、今生きている自分の環境が少しずつ明るい方向に変わってきていて、しんじとか、やっと心配なく自分のことを天から見守れてるんじゃないかなって思う。
 そういえば、6月に一人で札幌へ旅しに行ったときに、ニセコの羊蹄山昇っていたら頂上で、ちょっとした吹雪にあって。考えたら、雪降る北海道とか吹雪に打たれるのとか久々で。ちょっと危なかったけど、凄く懐かしくて、久々に祖父に会えた気になり、なーんだここにもいたんだってちょっと思った。下山しながら、気が付いたらぼろぼろ泣いていた。雪が苦手、も、きっとまた違う楽しい思い出で塗り替えていけるかなと思ったり思わなかったり。ただ、そのあたりから、なんだか吹っ切れた気がする。
 きっと形を変えて、綺麗に、ずっと傍にあるんだな。そんなことをふっと思った。そのあと親戚のおじちゃんと10年ぶりくらいに札幌のお墓もお参りも出来て。そこにもいた。
死生観も変化してきた1年だった。また、今年、何か深まることや自分の考えが変化することが楽しみだ。

読書

 2023年は、ミヒャエル・エンデの「モモ」やジョージ・オーエルの「1984」、あとは村上春樹・小川洋子を中心に、児童書やパラレルワールド・優しい世界、をテーマにゆっくりと少しずつ読書した。
 2022年は、「自然観を磨く」「アスリートのマインドを知る」の2つをもって読書をしていたから、アスリートの自伝や星野道夫さんの本をよく読んでいたけれど、今年はもっと抽象的なものに対して、自分の感情や気づきを重ねて読むことができた。
 あとは、結局毎年、ことあるごとに読んでいるのは、なんだかんだで、女性として世界で初めてエベレスト登頂に成功した田部井淳子さんをモデルに書かれた「淳子のてっぺん」。「エベレスト? 女なんかに登れるもんか」そんな男の言葉に負けん気を発揮し、女性だけの隊で頂きを目指し、8848メートルに立った淳子の姿が描かれている。山が大好きで、会社勤めをしながら、体力と精神力を鍛え、資金を集め、ステレオタイプにもたち向かう、山頂から彼女が見たものは、果たして、、、!という内容の長編。山なんて、今は私たちが登っていても「女が山を登るなんて!」なんてこと言われない。それは、淳子さんみたいな方たちが、自分の好きに対して情熱的に正直に向き合い続けて戦ってくれたからなんだなーと思うと、「今世の中であたりまえとされていることを超えていくことの何が悪い」「勝手に人が決めた、当たり前って、何?」と強気でいられる。年に一度は心丈夫でいるために、読みたい本になりました。

https://www.amazon.co.jp/%E6%B7%B3%E5%AD%90%E3%81%AE%E3%81%A6%E3%81%A3%E3%81%BA%E3%82%93-%E5%94%AF%E5%B7%9D-%E6%81%B5/dp/4344031687


さて、もう1万字に達しちゃったので、そろそろここら辺で切り上げたいと思います。本来であれば、それぞれのトピックを切り分けて、
5本くらいの投稿にわけるべきなんだろうなぁ。とわかっていつつもできない....今年はもう少し文にまとめられるように!

2024年は、今までとは全く異なる形の組織でのチャレンジになるし、見える世界の変化が楽しみ。
1年後に、今日あげた7項目くらいがブラッシュアップされてるように。ぼちぼちがんばります。


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