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考えるということ

良く言いますよね。「もうちょっと考えて来ます」「再検討してきます」「考え直します」などなど。

で、まあ確かに頭の中であれこれ考えるのですが、これはもう散文的な状況ですが、時間をかけると何となく「考えたレベル」が上がった様な気がします。うんうんうなったりもします。ずっと同じ所をループしたりもします。
時々、キラッと何か光るものがあったりします。「おお、コレコレ」「この線なら行けるでしょう」「自分、なかなか考えたよね!」などなど。

で、再度打ち合わせの場に行くのですが、本人は十分に考えたつもりなので、「今度はなんとか分かってもらえる/説明できる」と思っています。ただ、根拠はないです。そして、大体は思ったほどうまくは行かず「何でかなあ?」と思いながら、忘れます。

はい、心当たりのある方は、ここから先に進みましょう。
先日、何方かの著書に、こんな表現がありました。
「考えたといえるのは、文章に書いた時だけ」
そうなんですよね。思えば当たり前なのですが、実社会ではまるで徹底はされてないと思いませんか?
① 例えば資料のレビューをした上司が「はい、考え直し」と言ったら、何をしますか?当然資料の改版はしますけど、言われた指摘に対して考えたことを書いたりしないですよね。
② 何かのミスで怒られた場合は、再発防止策を考えるとは思いますが、何か文章を書くよりは口頭で説明する事が多くないですか?
なぜでしょう。

ここ数週間、この件を考えていました。自分の仕事では、個々の技術力も大事ですが、それをメンバーに広く伝えて考え方のベクトルを合わせることが、重要です。実際社会では一人で出来る仕事はほとんどなくて、仕事上の課題の原因の大半はコミュニケーションだったりします。こういうことが分かっていてもなお、「考え」を文書化するのが定着してません。

やはり自分は「考える」ことを、軽く考えている様な気がします。メンバに「考えてこい」とは言っても、「何日までに文書で提出しろ」って言ってないんですよね。あるいは「再考します」と言っておきながら、文書やメールで報告してない。
で、後日メンバに「考えた?」と聞き、大体は「考えはしましたが...」と言われ、「結論は?」と聞くと「色々考えたんですが、いい案がないです」。
自分も「再考」はソコソコしているのですが、報告する程の事もなく。
まあ、反省ですわ。

という訳で本件、こうしてブログを書いてみた結果として「考えた」事になりました。皆さん、私が「考える」ことに付き合ってもらい、ありがとうございます。redmine でも Confluence でも、メンバに文書を発表出来る場は、それだけでも大事な場所なんですよね。今後、考えることにしたら、何らかのチケットを切ったり、ページを作ったり、ブログを書いたりします。

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