二度と訪れることのない機会を悔いて
以下に書くのは、小林自身の甘えというか逃げから感じたもの。
また次がある。
そんな便利な言葉がある。
時に人を救う革命的な言葉なのかもしれないが、その一方で、取り返しのつかない事態を誘発する劇薬でもあると思う。
「また次があるさ」
根拠があれば納得して、次のときを待つことができるだろう。
だけど、根拠がはっきりしていないときは、そんな悠長なことは言ってられないときもある。
小林としては、基本的にすぐ行動に移すタイプ。
そうもいかない時(すぐに行動できないとき)がたまにあって。
そんなときに限って取り返しのつかないことになる。
そんな取り返しのつかないことが起きた。
そうなってしまうことは、避けることができなかったことなのか?
決してそんなことはない。
避けるチャンスは昨年に何度もあった。
けれど、自分からそのチャンスから逃げた。
理由は、「来年にしよう」ってことで。
別に、今じゃいけない理由はなかったが、その大きな問題と直面する勇気がなかっただけだ。
状況を知ってる人はたくさんいた。
その中でも、とんでもない方が間に入り話しをしてくれていた。
その方は、プライベートのことなどまで気にかけてくれ、人としての教えを与えてくれる、人生の師的存在なのである。
そんな尊敬する方が動いてくれていて、なおかつ、そのことを教えてくれていたのに。
なのに、「来年で良いや」って。
会えば話したし、電話だって何度かしていた。
だけど。
肝心な一言は「来年で良いや」って。
仕事中に携帯が鳴った。
信じることはできなかった。
けど、嘘をつくような人じゃないから、すぐに信じた。
一瞬で
今年、伝えようと思っていたと。
だけど、もうその時は来ない。
どう感謝を伝えようか。
どう頭を下げようか。
ということが頭に浮かんだ。
そんなことを聞いてもらおうとする前に一言あった。
その言葉は、頭に浮かんだことの答えだった。
「そうしたい」
というなんとも下手くそな返答になってしまった。
偶然かもしれないし、必然なのかもしれない。
どちらか分からないけど、悩んでることをしっかりと知られていた気がして、恥ずかしい感覚に近かったのかもしれない。
その後の電話は、答え合わせのような時間。
するすると入る。
やはり自分にとって、かけがえのない人なんだよよね。
そういう人との時間は、2度とないものだと思って過ごさないと、後悔しても後悔しきれないことになる。
もう後悔したくないね。
そして、気持ちをちゃんと伝えないと、一生悔いが残ることになる。
「自分がどう思われるか?」を考えて、行動できないのは、自分が傷付くのが怖いから。
そんなしょうもないプライドでチャンスを失うくらいなら、傷ついてもチャンスに近づいた方が良かったなぁと。
「見てくれている」なんて甘い考えを持つのではなくて、納得してもらえるくらいに努力するしかないと思った。
それが償いであり、感謝の気持ちを表す方法なのかなと。