`99 初めての海外ゲスト
年が明けて、二月に私は一人でハワイへ旅立った。オアフ島から小型ジェットに乗ってPさんが住むマウイ島に向かった。
マウイはオアフより自然がたっぷり残っていてバスや鉄道などの公共交通機関も充実していない。Pさんはハワイらしいオンボロの車に乗って空港に迎えにきてくれた。
Pさんは数人の人たちとともにシェアハウスに住んでいる。Pさんの部屋に作ってくれた簡易ベットに、私はお世話になることになった。
Pさんは一緒に住んでいるボーイフレンドのLを紹介してくれた。Lはフリーのカメラマン。
私が、オアフに滞在する一週間、Pさんが仕事に出かける時には、時間に余裕のあるLが波乗りに連れていってくれたり、ショッピングモールに連れて行ってくれたりした。
Lに色々な場所に連れていってもらっている車中で、私は自分がオアフ島によく似た自然あふれる場所で仕事をしている事や、年に一度 野外ライブをしていることなどを話した。
ある日、Lが「紹介したい人がいる」と、言って先日行ったショッピングモールへPさんも一緒に連れて行ってくれた。
そこには腰まであるドレッドヘアーの黒人のすらりとした女性が真っ赤なロングドレスを着て立っていた。年の頃は私よりずっと年上だろう。Lは彼女にハグをしてから私に紹介してくれた。
「こちらはサラ。歌手なんだ。こちらは日本からきたPの友達のM」
私がにっこり微笑むサラさんの佇まいの美しさに息を飲んでいると、
「ハイ、M」
と、言ってサラは私を軽く抱擁した。
私はびっくりしながらも、彼女の肩を抱き返した。甘い南国の香りが彼女の身体中から漂っていた。
私たち四人はショッピングモールの駐車場からLが運転する車で海へ向かった。
海岸でLが、
「サラは素晴らしい歌歌いなんだよ。Mも出会ってわかっただろうけど彼女はまるで天使なんだ」
私は確かに、と思った。出会った途端に気持ちが高揚していい気分になる。こんな人はなかなかいない。続けてLが、
「どうだろう、MがやっているSUNSET LIVEにサラも出ることできないかな?」
と言ってきた。
「ハワイからくるの?」
と聞くと、
「そうだよ行くよ。ギャラは○万円でいい。その代わりサラとPと僕の渡航費を出して欲しい」
なぬ?いきなり仕事の話だ。このギャラが安いのか高いのかの相場もわからん。サラが来るのにLもPさんも同行って・・・
「わかった。話は聞いておく。私だけじゃ今ここで決められないから」
「お願いM、絶対にいいライブするから。Hさんによろしく言ってよ」
と、Pさんが懇願する。
なんかややこしくならないといいけど、と思いつつ楽しい旅を台無しにしたくない私は生返事をしておいた。
Lは海岸でサラの写真をバチバチ撮っている。
その日はサラも交えて夕食をした。明日、私は日本へ帰る。
翌日、空港まで送ってくれたPさんは、
「絶対に日本にサラと私たちを呼んでよ、約束よ」
と、まるで話が決まったかのように強引だ。Lも、
「これはサラの写真のフィルム、好きなのをフライヤーに使ってね」
と、言って数本のフィルムを私に手渡した。
私は笑顔でお別れしたかったので、フィルムを受け取ると、にっこり笑って搭乗口に進んだ。
なんかあの二人の間では、サラと一緒に日本に行くことになってる気がする。
日本に戻り、久しぶりにSUNSETへ出勤した。
SUNSETは、オアフ島のイメージで出勤したら、日本海に面する玄界灘が荒れてて演歌の世界だった。そして寒い。
私はハワイで出会ったサラさんが今年のSUNSET LIVEに出させて欲しいと言われた事、それも三人分の渡航費がくっついて頼まれたことをHさんに話した。
まだ春が顔も覗かせない荒れた波の日に、毎年SUNSET LIVEでダンスを披露してくれているダンサーのNさんとその旦那さんのFさんがやってきた。Fさんは時々福岡のテレビに出ていたり、イベントのプロデュースをしたりしている人だ。
カウンターでお茶を飲んでいるF夫妻を、Hさんが話し相手になりながら楽しそうにしている。
そこに電話の音がなって一枚のファックスが流れてきた。
ファックスはハワイからのもので、サラのSUNSET LIVEに出演するためのギャラと渡航費の確認をしたいと言うものだった。
私はHさんにそのファックスを見せた。Hさんはファックスを眺めたまま、うんともすんとも言わない。横にいたFさんが、
「どうしたの?」
と聞いてきた。私は、ハワイに行ったときの経緯を簡単に説明した。Fさんは、
「このファックスの文面からすると、向こうはもう日本に来ることが決定してる感じやね」
と言う。私は顔が凍って、
「そうなってますね。どうしよう。旅先で細かい話を詰めるのが面倒くさくって生返事しちゃったんですよね」
と、そのときの気持ちを思い出して正直に言った。Fさんは、
「旅先であろうとも、SUNSET LIVEの出演の生返事はいかんかったね」
「そうですね」
と、言いながら私は深く反省した。続けてFさんは、
「このサラさんと言う人が、どれだけ素晴らしい人かはわからんけど、今ここにいる僕たちは全く知らない。その人を呼ぶために三人分の渡航費とこのギャラはちょっと高いんじゃない?コレだったら日本である程度知名度のあるミュージシャン呼んだ方がお客の反応もいいと思うよ」
と言った。私は、全くその通りだと思った。
Hさんの様子を見ると、腕を組んで考え込んでいる。
「ここで今回は呼べません、とは言えんやろう。うちが出せる渡航費とギャラを全体から考えてそれから返事をしよう。」
と、Hさんは言った。私は、
「わかりました。今回はすみません。今の現状を先方に伝えておきます」
と言って、その場は終わった。
玄界灘が時々大暴れして、サーファーたちがウハウハしながら海に入っていた冬が過ぎ去ろうとしていた。まもなく桜の花が咲こうとしている。
そろそろ今年のSUNSET LIVEの内容を決めていかないといけない。
そんなことを思っていたところで、Hさんの大阪の友人が、あるミュージシャンを日本に呼ぶという情報が入った。
そのミュージシャンはイギリス在住で、バンド、スカタライツやザ・スペシャルズに参加しているジャマイカ出身のトロンボーン奏者のリコ・ロドリゲスという大物だ。
昨年ビッグネームのジョー山中を読んで大盛況だったSUNSET LIVEのことを思うと、今年はどんなミュージシャンで観客を喜ばそう?というのが私たちの課題だった。私はHさんに、
「呼びたいですね」
と、問いかけた。Hさんは、
「呼びたいね。でもリコ一人やって来ても、バックバンドはどんなふうにする?」
「リコは、どこで公演するんですか?」
「大阪と東京でするらしいよ」
その会話の後、リコ・ロドリゲスをSUNSET LIVEに呼ぶという前提で、私は東京公演を見に行くことにした。
大阪よりも以前住んでいた東京の方が土地勘もつかめていて動きやすいし、弟のところに泊めてもらえるから宿泊費も浮く。ギャラの話はHさんがリコ・ロドリゲスを呼ぶ大阪の友人との話でだいたいの相場が出来上がっているようだ。
私はリコ・ロドリゲスを観に東京へやって来た。会場の大きめのクラブにはSUNSET LIVEにも呼んだスカフレイムスのメンバーや大阪のデタミネーションズのメンバーも来ていた。
ライブが始まり、リコ・ロドリゲスの演奏が始まった。
しかし、バックバンドがなんとも冴えない。イカ天に出ていたら小さくなって消えてしまうタイプのバンドだ。
リコ・ロドリゲスの威力は充分なのに勿体無いな、と思いながらそのライブを見終えた。
ライブの後、会場にいるデタミネーションズのメンバーと談話しながら、
「今年のSUNSET LIVEにリコ・ロドリゲスを呼ぼうと思っている。そのバックバンドをデタミネーションズがやってくれないだろうか」
と、打診した。
デタミネーションズのメンバーは、バンドの全員で話し合ってから、後日連絡すると言ってくれた。
ライブを終えたリコ・ロドリゲスにも会うことができた。イタリアにいた頃を思い出して、四苦八苦しながらの英語で、リコ・ロドリゲスに、
「私たちがやっている海岸の近くの自然あふれる場所でのライブに演奏しに来てほしい」
と、頼んだ。
ジャマイカ人だけど南国の人っぽくない小柄なリコ・ロドリゲス。長いラスタヘアーを大きなベレーようなラスタ帽の中に入れ込んでとても愛嬌があるおじいさんのようなリコ・ロドリゲスは、ニコニコ笑いながら
「OK、OK」
と言って私の手を握り締めてくれた。
やった、リコ・ロドリゲスがSUNSET LIVEにきてくれる。
一泊二日の東京行きを終え、翌日いつものようにSUNSETへ出勤した。
仕入れを済ませたHさんがやって来た。
「おはよう、Mちゃん。東京はリコはどうやった?」
「よかったですよ、ゆっくりお伝えしますね」
開店前の賄いの時に、昨夜のライブの様子やリコ・ロドリゲスの好反応な様子や、バックバンドをデタミネーションズに頼んだことを話した。
「それはナイスな組み合わせやね」
と、Hさんも喜んでくれた。きっとあの東京でのライブよりも、もっと良いものを観客に見せることができる自信があった。
「やったねMちゃん、ついにうちのライブに外タレが来るばい。それもスカの大御所リコ・ロドリゲスとか、嬉しかー」
Hさんはとても嬉しそうだ。よかった、きっと今年のSUNSET LIVEもすごいことになりそう。
私たちは、夏を前に胸が踊っていた。
デタミネーションズからリコ・ロドリゲスのバックバンドの承諾の連絡が入り、今年のSUNSET LIVEのトリが決まった。
ハワイのミュージシャンサラは、いろいろと先方に交渉した末に出演することになった。
今年のSUNSET LIVEの出演者が一つずつ決まっていく。その中で一つ難関があった。
大きくなっていくSUNSET LIVEに外国からミュージシャンを呼ぶのにはイミグレーションの許可がいることがわかった。
その作業を一人でするのは心細すぎるので、SUNSET LIVEで毎年踊っているココナッツのダンサー、Nさんのご主人のFさんにサポートをお願いした。
Fさんはいろんなイベントのプロデュースもしてたから喜んで引き受けてくれた。よかった、これで心細さは解消できた。
第7回のSUNSET LIVEにはリコ・ロドリゲスとデタミネーションズ、ハワイからのサラ、ロッキンタイム、カジャ&ジャミンと決まっていった。今年も二日間。
今回のSUNSET LIVEのチラシやポスターは私のイラストではなく、もっとインパクトの強い絵柄にしたかった。
東京のCDショップで働く弟のMrの友人で、切り紙のモチーフでシルクスクリーンの作品を展開をしているソウルカッターコマツ君のことを思い出した。躍動感あふれる作品で確かRC サクセションのCDジャケットとかも携わっていた。その彼にイラストを依頼した。
ソウルカッターコマツ君は、来年やってくる21世紀の幕開けを思わせるような、明るい生命力を感じさせる作品を作ってくれた。今までにない力強い印象のポスターやチラシができつつある。
私とFさんは、毎週イミグレーションに通った。
イミグレーションは、なかなか許可を下ろしてくれない。行く度に、招聘するにはこんな条件がいるとか、手間のいる書類を提出してくださいとか、嫌がらせのように色々要請してくる。
外国からミュージシャンを招聘することが、どれだけ大変なことかを痛感する日々だった。
やっとのことでリコ・ロドリゲスのSUNSET LIVE招聘の許可が下りた。
これでイギリスから彼を呼べる。
と思っていた矢先に、イギリスのリコ・ロドリゲスから連絡が入った。
なんと、前回リコ・ロドリゲスを日本に呼んだHさんの友人が大麻所持の疑いで逮捕されたのだ。そのことをリコ・ロドリゲスが聞きつけて、そんな友人がいるHさんのもとへは来たくない。と言い出したのだ。
やっとイミグレーションの許可が下りたところで、なんですと。来ない?
もうポスターもチラシもリコ・ロドリゲスの名前を大きく掲げて作ってしまった。ここで、「あぁそうですか、来れませんか、それはしょうがないですね」
なんて易々と引き下がるわけにはいかない。私たちは、彼が来日しない、と言っていることは最小限の人にしか伝わらないように努め、SUNSET LIVEの開催に向けて動いた。
リコ・ロドリゲスは、日本にいく際に「自分を保護する弁護士をつけてくれ」と言って来た。弁護士がいれば来日すると言っている。彼はレゲエミュージシャンでラスタマン、彼も大麻を嗜んだりするのかもしれない。それで及び腰になっている可能性もある。
私はSUNSETのスタッフルームでぼんやりしていた。
ふと、同級生Rのお姉ちゃんが東京で弁護士をしていることを思い出した。Rに連絡してRのお姉ちゃんの連絡先を教えてもらい自分の携帯電話から連絡を入れた。
Rのお姉ちゃんは、時々一緒にライブにも行ったりして話のわかる姉貴だ。電話でリコ・ロドリゲスの案件を話すと、
「良いよ、私が弁護士として保護するって言って。その代わり日本に来る前一週間は絶対に大麻を使用しないこと。検査しておしっこで出たら何も弁護できないからね。それを条件につけて先方に話して」
と、あっさり承諾してくれた。
はい、弁護士つけましたよ、これで来てくださいね。で、ご機嫌を万が一、損ねてはならない。私は音響会社のTさんのところへ相談に向かった。
西日本一の音響会社。きっといろんなケースのミュージシャンのことを知っているだろうし、いろんな経験を持っているだろうと思ったから。
善は急げと音響会社へ出かけて、Tさんに今現在の状況を説明した。Tさんは、
「よし、Mくん、誠意を込めて一緒にリコさんへ手紙を書こう」
と言って、手紙の文面を口にしだした。私はそれを書き留めて、こちらの気持ちを精一杯詰め込んだ手紙を書いた。
1999年、第7回SUNSET LIVEまであと二週間を切った。
リコ・ロドリゲスへ、イギリスから福岡への往復チケットを同封した書留の手紙を出した。
しかし返事はこない。
もしも来なかった時はどうなるんだろう。イベントの会場でなんと言って言い訳すれば良いんだろう。もしもの時の事を考えると、どの対策がベストなのか全然見当がつかなかった。
それでもイベントの宣伝は続ける。
宣伝営業の途中で、「なんか精力つくもの食べないとな」と思いながら、薬院のボン・ラパスで昼ごはんを物色してたら、バッグの中の携帯が鳴った。
私は、食品売り場の棚を見ながら電話をとった。相手はHさんだった。
「Mちゃん?」
「はいMです。お疲れ様です」
「たった今、リコ・ロドリゲスからこっちに連絡が入ったよ。来ますって、SUNSET LIVEに来るって!」
「本当ですか?よかった」
そう答えると、携帯電話を胸に抱きしめて、私はヘナヘナとスーパーの床にペタンと座り込んでしまった。体が震える。ワンピースの下は裸足にサンダルを履いただけの私の足に、スーパーの冷房で冷えた床の冷たさが、ますます震えを増した。
よかった。
この数ヶ月、ずっと見通しの悪い樹海の中を木を枝や木をかき分けながら歩いているような気分だった。やっと視界が晴れて向こう側が見えてきた気がした。
いつも通り、何もかもが揃ってSUNSET LIVEの日を迎えられるように手はずが整った。
いろんな思いが巡る中、遂に第7回目のSUNSET LIVEの日がやって来た。
今年は観客が昨年よりもっと増えるだろうと、SUNSETの店舗の西側の空き地も利用して、会場を東向きに設営し観客用のスペースをグッと広げた。
一日目の土曜日、いつものTsとKtにしっかりとサポートをしてもらって、終演時間にも余裕を持って終われた。ミュージシャンが宿泊する志摩クラブではイギリスからやって来たリコ・ロドリゲスと大阪からやって来たデタミネイションズがリハーサルをやっているはずだ。
私は志摩クラブへ様子伺いと挨拶に行きたかった。しかしこの頃は夏バテ気味で明日のステージのことを考えると体力温存しておいた方がいいと思い、行くのをやめた。初めての外国からのミュージシャンの招聘。やることはやった。どうぞたくさんの人を喜ばすことができますように。
遂に、外タレを初めて呼ぶSUNSET LIVEの日がやって来た。日々の疲れからかしっかりと眠れず猛烈な緊張感で目が覚めた。やり抜こう、気持ちはそれだけだった。
本日も晴れ、天気は申し分ない夏日だ。会場の先に見える海岸は、こんな夏の日なのにイベントの開催を祝ってくれているかのように、また波が上がっている。サーファーたちも喜んでいるだろう。
早朝からのリーハーサル。数ヶ月ぶりにリコ・ロドリゲスに対面する。
見た目はなんてことない外人のおじさん。そんな彼を囲んでデタミネーションズのメンバーとステージに立つと、バックバンドのデタミネイションズが緊張で張り詰めているのがわかる。
世界レベルのトロンボーンの音が鳴る。きっと素晴らしいステージになる、と確信を持った。
リハーサルが終わり、本番が始まる。TsとKtも私の緊張がわかっているかのように対応してくれている。
ハワイから来たサラは、日本での知名度こそないものの、そんなことはお構いなしで明るいハワイの日差しを連れてきたかのようなステージだった。
サラはステージが終わると、リコ・ロドリゲスと楽しそうに舞台裏で談笑している。なんと、サラのお父さんとリコ・ロドリゲスが知り合いだったという話で盛り上がっていた。
サラを呼んでよかったんだ。彼らをここに呼ぶまでに、それぞれ一悶着あったが、その光景を見て、妙に納得した。人の縁なんて思わぬところで結ばれているもんだ。
時間は刻々と過ぎていく。あっという間にトリのリコ・ロドリゲスのステージとなった。
今日すでに出演したミュージシャン達もリコ・ロドリゲスのステージを心待ちにしているのがわかる。
定刻通りステージは始まった。デタミネーションズのイントロが始まるとリコ・ロドリゲスがステージに上がる。
リコ・ロドリゲスはソウルカッターコマツ君の絵が施されたスタッフTシャツを着てステージに上がってくれた。色々あったけど、リコ・ロドリゲスの思いやりを感じた。
今年も去年以上に盛り上がったSUNSET LIVEだった。その手応えをステージの脇から多くのオーディエンスを眺めながら身体中に感じた。
まるでここから世界中に発信してしているような気にすらなった。
大観衆の中、幕を閉じたSUNSET LIVE。
演奏が終わってひと段落したリコ・ロドリゲスを宿泊先の志摩クラブまでTsに送ってもらった。
会場の片付けが終わったら私も志摩クラブへ向かった。明日の朝、一番の飛行機に乗るリコ・ロドリゲスを福岡空港まで送るのだ。リコ・ロドリゲスを送ったTsが志摩クラブのフロントで待っていてくれた。私はTsに、
「明日朝一でここに集合ね。一緒にリコを送ろう」
「了解、じゃお疲れさんです」
「うん、お疲れさん、ありがとうね」
私たちは、リコ・ロドリゲスが福岡から旅立つ便を、翌朝の一番の便で取っておいた。
Hさんの友人の大麻疑惑とか、リコ・ロドリゲスが来るか来ないかの擦ったもんだがあったため、福岡での滞在時間を極力短くしたかった。福岡の私たちの周りで、問題が発生しないための対策だった。
志摩クラブの大浴場に浸かり、部屋に敷いた布団でゴロンと横になると、ストンと沼地に落ちていくかの様に眠れた。
翌朝、私は身繕いを済ませてロビーに向かった。Tsはすでに着いていて待っている。
リコ・ロドリゲスの様子を見にいくと、彼も部屋を出るところだった。リコ・ロドリゲスに、「おはようございます。では、空港へ向かいましょう」
と、言うと彼は、
「グッドモーニング、サンキュー」
と、言ってTsに荷物を預けて、私の車の後部座席に乗った。
大切なイギリスからのお客様を、事故がないように空港まで私の運転で送る。任務は、後もう少し。
早朝の空港は人気もなく、まだ店も開いてない。私たちの歩く音だけが響いていた。
一軒だけ開いていたコーヒーショップでコーヒーを飲んで、搭乗カウンターが開くのを私たちは待った。
席を外したTsが、どこからかレポートノートとマジックを買って来た。
「どうしたの?」
と聞くと、
「サインをください」
と、リコ・ロドリゲスへ差し出した。リコ・ロドリゲスは、ノートの裏表紙のボール紙の所にサラサラと書いてTsに渡した。
しばらくすると搭乗のゲートが開き、リコ・ロドリゲスは私たちの前から姿を消した。
私はやっと肩の荷が降りた気持ちで、
「あぁ、猛烈に疲れた。Tsやるね。サインとかすっかり忘れていたよ。ありがとう。来年の年賀状はこれに決まりだね」
そう言うと。Tsは誇らしげな顔をしていた。
サーファーで体格もいいから、いい用心棒だと思ってたけど、今では頼もしい片腕だ。
私たちは駐車場に戻り、西の海の方へ向かった。私は、
「あ~、疲れた。リコさん呼ぶの大変だった」
と、漏らすと、Tsは
「早く帰ってもらって正解だったと思うよ」
と言うと、昨日、Tsがリコ・ロドリゲスを志摩クラブに送る車中で、リコ・ロドリゲスは、セイタカアワダチソウが群れて生えているのを嬉しそうに見ながら、
「オー、ガンジャー!ガンジャー!」
と、唸ってたらしい。
何もなくてよかった。私は、ほっと胸を撫で下ろした。
それからしばらく経って、ロンドンのリコから我が家に封書が届いた。
その手紙には、
「あの素晴らしいビーチや自然あふれる場所で、新しいバンドと一緒に行って演奏がしたい。また呼んでほしい。頼むよM」
と言うものだった。
あの日のSUNSET LIVEは、リコにとっても印象深いライブだったんだ。よかった。
この回で、私はSUNSETを辞めてしまった。
けれど、リコ・ロドリゲスは、その後再びSUNSET LIVEに出演した。