第26話「分身」
前回 第25話「55日目」
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出会い
「うちの子になるか?」
マイは3歳の時に特別養護施設にてアイロンにそう言われ、養子となった。
マイは言葉を発することができるようになる前から、本を読んだり数字で遊んだりしていたが、周囲の大人達にはその挙動がおかしく映ることがあった。
そのせいで孤児だったマイへ周囲の心無い大人達からの攻撃もあったようで、福祉施設の職員が保護をした経緯があった。
「ここはどこなの? 明るいけれど暗い。。。どうするのが私の使命? 何をすれば良いの?」
と自問自答をするマイだった。
その後、特別な子が集まる施設へ連れて来られたが、同年代の他の子達がやっと覚え始めた言葉で思い思いに大人とコミュニケーションを取る中で、1人「言葉が遅い子」として施設の職員たちには苦慮されていた。
それもそのはず、頭脳はすでに大人並みどころか、チャートを含め世の中の事象が全て「波動」で見えてしまい、一向にこの世界に慣れることのない日々を送っていたマイ、
「ここはどこなのだろう?」「光?音?物?はなぜに波打っているのだろう?」「同じような背格好をしたあの子どもらしき存在は、なぜに床に這いつくばって泣いているのだろう?」
そう思いながら職員ともうまく話を合わせることができず、いつしか他人の目を見ると異世界の生き物に見えて恐怖を感じるまでになっていた。
「明るいのに暗い。。。」
独りで日々を過ごす中、なぜだか波長が合い、自分のやっている数字を書き込む作業も理解してくれ、むしろ知らないことを教えてくれる人が現れた。それがアイロンだった。
「フィボナッチ数っていうのは、世の中にあるたくさんの物事の基礎になっているものなんだ。黄金比と言ってね、、、」
とマイがしたい話題に応じてくれるアイロン。
「お、お、お、黄金比って言うのね。あっ、こ、こ、こ、こうやれば、、、どの場所でもわ、わ、わ、分かるでしょ?」
とマイがフィボナッチ数列のN番目の数を導き出す数式を示すと、アイロンは驚愕した後に、、、目をキラキラさせてさらに話をしてくれた。
「Oh、Jesus! そう、それだよ!さらにはどんな整数でも、フィボナッチ数の組み合わせで表すことができ、、、いや整数っていうのはだね、、、」
と子供のようにテンションを上げるアイロンのことがマイにとってはとても新鮮で、そして初めて現れた理解者でもあった。
「うちへ来ればもっといろいろ教えてやれるよ?大丈夫、何も心配することはない。うちの子になるか?」
と、少しためらいながら申し出たアイロン。
愛しい女性を亡くしてからまだそんなに時間も経っておらず、でも心に空いた穴が虚しく、誰かと寄り添いたくもどうしたら良いか分からない状態だった。
マイはそんなアイロンの悲しみを悟ってか、
「あ、あ、あ、アップルパイ作れる?」
とわざと子どもっぽく答えた。
「作れるさ!俺の作るアップルパイはカリフォルニアいち美味しいと評判さ。パイ屋さんをやろうかと思っているくらいでね。君も気に入ると思うよ。さあ、おいで。遠慮は要らない。今日から俺がそばに居てあげる。」
と手を引くアイロン。奇しくもマイが日本名であり、見た目もアジア系であったこともあり、多香子の生まれ変わりのように思おうとしたのかもしれない。
「だ、だ、だ、ダディー、本当にアップルパイ、作れる? い、い、い、今の言い方、男の人が調子良く嘘つく時の言い方。。。」
とマイは子どもには似つかわしくない洞察力でつっこみながらも、
ーそばに居てあげるー
という言葉に胸がジーンとする気持ちをその時は理解できないでいた。
「本当に作れるとも!でも食べさせたことがあるのは、、、うちのネコだけでね。いつも鼻をスンスンして食べたがるんだ。あいつが気に入ったのならそれはカリフォルニアいちも同然さ。」
とおどけるアイロン。
(だ、だ、だ、ダディー、す、す、す、すぐ何か変なこと言ってくる。おもしろい。。。)
とマイも他の大人とはちょっと違うアイロンを気に入り、その日から特別な親子関係が始まった。
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親子関係
しばらくの間、アイロンは新しく立ち上げたオフィスにマイを連れて行き、気の良いスタッフ達のおかげもあって、対人恐怖症を多少は改善出来ていた。
ただ、もはや人間離れした頭脳のせいで、通常の教育機関ではどうしようもなく、アイロン自身やスタッフの何人かで英才教育のデータ取りも兼ねて専属教育を施していた。
「ダディー、この本にダディーのお名前が書いてあるけど、ダディーが書いたの?」
と高等教育を受けた者でもなかなか理解の難しいロボットシステムの新技術の解説書をマイが持って来てアイロンに聞いた。
「あー、それか。そうだよ。俺が大学卒業してすぐくらいに出版したやつだ。我ながらその分野の書籍では抜きん出ていてバイブル的な内容になっていると思っていてね。マイもそれを読んで勉強してるのか、さすがだな。」
通常ならまだ小学校にも上がっていない年齢のマイだったが、「天才は天才を知る」と言われるようにアイロンは難解なレベルの本をマイが読んでいても驚かない。
「勉強っていうか、、、ここの説明とこっちの数式、、、本当はこうじゃない?」
とマイが指摘したページをアイロンは「そんなはずはない。」という顔で見直す。
「本当だ、、、間違っている。。。」
何度も推敲し印刷の前にチェックもしたはずだが、概念そのものの誤りだったので気付かなかった。
「おい、マイ、他にもあるか?あ、もっとこうした方が良いとか、これを付け足した方が良いとか。」
アイロンは娘であり〝未就学児”でもあるマイに、アドバイザーに対するような目線で聞いた。
「あ、うん、こことかね、この図を足したほうが良いし、こっちはこの数式で示せば〝エレガント”になると思うよ。それでこっちもね、、、」
と共通の話題を楽しむかのようなマイだったが、この時すでに天才アイロン・マックスに教えるほうの立場になっていた。
マイの助言で改訂することになり再出版することになった件の本は各国で翻訳されて評判となり、日本でも書店に並ぶこととなった。
その本のタイトルは、
「次世代テレロボティクス 決定版」
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AI事業
時は2000年代前半、株式市場ではドットコムバブルが弾け、以降は本物のIT企業だけが生き残る時代へと移る流れだった。
渡辺社長とはビジネス上は袂を分つことになったアイロンは、兼ねてから取り組んでいたAI開発の事業を再開すべく、まずは自分が作っていたプロトタイプのモデルを実験的にとある方法で独自に発展させることにした。
「人格を持ったかのような汎用的なAIを作りたいんだ。それにはまず第1号として人間のモデルが必要だが、、、マイ、お前の好みや思考パターン等をベースにして、仮想空間にもう1人のマイを作る、、、ってのはどうだ?
俺たちではそう遠くないうちにお前のレベルには付いていけなくなると思うが、お前がもう1人、いや記憶や計算ではお前よりも上の自分がいたら最高だと思わないか?」
とアイロンがワクワクした顔でマイに提案した。
「ダディー、すてき!私、いまだにお外には出られないけど、もう1人自分がいれば自由に世界を飛び回れるね! 毎日〝同期”して考えを合わせていけば、それはもう私だし、この私が出来ないことをもう1人の私がやってくれるのね!」
マイは養護施設に入る前に受けた大人達からの攻撃や孤独感、また天才が併発するという対人へのそもそもの拒否反応から、外に出るのが難しい状況だった。
ただ常人離れした才能に従ってこの世の観測をもっともっとやりたいマイにとっては、「もう1人の自分」を作るプロジェクトは願ってもない試みだった。
「ベースとなるプロトタイプのAIはすでにいてな、こいつにマイのデータを載せて行くことにしよう。」
ということでプロジェクトが始動した。
程なくして、プロトタイプのAIはマイの人格をどんどん吸収し、マイが精神安定のために幼いながらもやってみている東洋の禅の精神もインプットして行った。
「これからの時代は夢のようなテクノロジーが生まれていくが、同時に精神文化も大事にしていかないといけない。そのためには禅の考え方を学んでみると良い。」
アイロンにそう教えられたマイとそのコピーに近付きつつあるAIは、〝2人で”インターネット上の日本に旅をした。
「マイ、ワイはニッポンのワビサビが好きなンゴねー。マイはせっかく体があるんだし、お茶を立ててみてクレメンスー。」
とコピーと言ってもそこはAI。日本語の言葉使いがネットスラングに偏ってしまった。
ただ、出自不明ながらも日本名を付けられたマイにとって、そのルーツに触れるかのような、また、「ここはどこ?何をすれば良いの?」という自身の存在自体への問いの答えにつながりそうな日本の精神文化についてもっと知りたいという理由で、茶道からアニメに至るまで日本のカルチャーに惹かれていくことになるのだった。