Mako's Biography
母親は以前、日本で歌い手として働いていて父親と出逢い、1984年に結婚そして長女の私を同じ年に産んだ。主婦になり、母親が毎日お掃除しながらホイットニーヒューストンのボディーガードのアルバムを流し歌っていた。母親も歌い方を教わったことがないので、私たちにも教えてくれませんでした。
7歳から10歳(1991年から1994年)までヤマハピアノ教室。家へ帰ると、宿題をする前に好きな歌をラジオからカセットへ録音して聴きながら歌うことが趣味だった。一番好きな曲はNOKKOの「人魚」だった。
1994年両親の離婚により、母親と妹とフィリピンへ帰国。
1998年近所の誕生日パーティーのカラオケでタイタニックの歌「my heart will go on」を歌ってるところをたまたまラグナ州パグサンハンの市長候補者に気に入られ、1ヶ月半の間、週に3回道路での選挙活動にて出演。
1999年歌のコンテスト優勝し、ゴスペルミュージカルのプロデューサーにスカウトされ、主役に選ばれ、キャストたちとアルバムを収録。
いろんな市でミュージカル出演。1999年度のフィリピンのAwit AwardsでBest Child Performanceを受賞。
その後はキリスト教会のバンドシンガーとして毎週日曜日歌っていた。
2005年フィリピン大学の部活の打ち上げでライブで歌っていたバンドと一曲歌わされ、そのバンドマネージャーに声をかけられ、2006年までセッションシンガーとして週に2、3回、訓練として毎回2曲歌っていた。昼間は数学の家庭教師、夜はセッションシンガーとして稼いでいて、大学を中退。
2007年フィリピンの日本大使館の領事のコネで日本企業に入社。
2008年から2012年まで妹を大学に行かせるために副業として3人で組んだアコースティックバンドでいろんな週4、5回バーやホテルで出演。
妹の卒業とともにバンドを辞退。
それ以来、歌い手としての活躍なし。
ただ会社の同じビルにできたカラオケでほぼ毎日退勤後に歌っていた。
2018年結婚し息子を産み、異性の原因で元夫と別れて、2019年3月に息子と二人で25年ぶりに日本へ帰国。日本で離婚し、シングルマザーになり、コロナで自粛にて2020年5月にポケカラ登録。1ヶ月で1000人フォロワ数達成し、公式ルームやイベントなどで出演。フォロワーの紹介でポコチャに登録し、現在は職業ライバーとして活躍中。