(論文紹介)日本語とスワヒリ語に見る感情表現のコーパス分析
こんにちはmakokonです。こういった分野も少しずつ勉強していきたいと考えています。とりあえずこの論文はとてもおもしろかった。また、別のものも読んでみよう。
LLMによる会話システムを開発しているものとして、人に寄り添った表現と世界観を理解するには、感情にまつわる理解が欠かせません。
また、多言語対応を考えるうえでもそれぞれの文化的背景がもたらす表現と解釈の違いは将来大きな問題になるのかなあとも思っています。
makokonは、この分野の論文を今までほとんど読む機会がなかったのですが、今回巡り合った論文はなかなか興味ふかいものでした。
論文の日本語とスワヒリ語の分析によるとLLMの開発においても、注意しておかないといけない要素が見えてきました。
これらの言語による違いを考慮せずにLLMを開発すると、感情分析の精度低下や不自然な応答生成につながる可能性があります。LLMは、多様な言語の感情表現を適切に理解し、それぞれの言語に合った自然で文化的に適切な応答を生成できるようになる必要があります。
外在性 vs 内在性: スワヒリ語では感情を外部から来るものとして捉える傾向が強い一方、日本語では感情の種類によって内部/外部由来の捉え方が異なります。LLMは、言語ごとのこうした違いを理解し、感情分析や応答生成に反映させる必要があります。例えば、スワヒリ語で「恐怖に襲われた」という表現を分析する際には、日本語の「恐怖を感じた」とは異なるニュアンスを捉える必要があります。
メタファーの種類: 悲しみを表す場合、日本語では液体に関連したメタファー(例: 悲しみに沈む)が多く用いられますが、スワヒリ語ではあまり見られません。LLMは、こうしたメタファーの違いを理解し、適切な解釈を行う必要があります。例えば、日本語の「悲しみに暮れる」を単なる比喩表現としてではなく、感情の深さを表す表現として理解する必要があります。
感情語彙の多様性: スワヒリ語では、感情の変化を非メタファー的に表現する語彙が少ないため、メタファー表現が主要な表現手段となっています。一方、日本語では非メタファー的な表現も豊富に存在します。LLMは、言語ごとの語彙の多様性を考慮し、適切な表現を選択する必要があります。例えば、スワヒリ語で感情の変化を表現する場合、日本語よりもメタファー的な表現を用いる方が自然な場合があります。
文化的背景: スワヒリ語における負の感情や状態を悪霊の仕業と捉える文化的なメタファーは、LLMの感情分析に影響を与える可能性があります。LLMは、言語に深く根付いた文化的な背景を理解し、誤った解釈を避ける必要があります。
A Corpus-Based Study of the Externality of Emotions in Swahili and Japanese
概要
この第7章は、感情の文化的概念化について論じています。具体的には、感情がどのように外的な力や、経験者の中に入ってくる実体として比喩的に概念化されているかを、スワヒリ語と日本語の5つの感情名詞を例に、コーパスデータに基づいて検証しています。
どちらの言語でも多くの感情は外部由来として描写されていますが、具体的な感情に対する表現方法には違いが見られます。例えば、怒りはスワヒリ語では主に外部由来として、日本語では内部由来として概念化されています。さらに、外部の実体の種類も異なり、悲しみはスワヒリ語では経験者の中に入ってくる実体として、日本語では経験者を囲む液体として概念化されることが多いです。
最後に、スワヒリ語と日本語における特定の種類の比喩的表現の背景にある文化的・環境的要因についても考察しています。
導入
感情に関連する比喩的な言語表現をスワヒリ語と日本語で比較研究し、感情の「外在性」という概念がどのように言語に反映されているかを考察します。
先行研究では、感情は主に身体の内部現象として捉えられていますが、スワヒリ語など一部の言語では、感情が外部の実体として描写されることがあります。この章では、感情が身体の内部/外部どちらを起源とするものとして概念化されているかを分析します。
感情の外在性に関する4つの疑問
異なる言語で、どの程度の頻度で感情が外部由来として描写されるか?
外在性を伴う表現の種類に、言語間の違いはあるか?
外部として描写される感情の種類によって違いはあるか?
文化言語学の枠組みにおいて、感情表現における外在性の使用を反映する文化的伝統や文化的なメタファーは何か?
5つの感情が示す外在性の対比
これらの疑問に答えるため、恐怖、不安、悲しみ、怒り、幸福という5つの感情に関するスワヒリ語と日本語のコーパスデータを分析します。外在性に基づく表現を5つのタイプに分類し、2つの言語でそれぞれのタイプがどの程度使用されているかを調べます。そして、言語の違い(スワヒリ語と日本語)と感情の違い(例:怒りと幸福)という2つの主要なバリエーションに焦点を当てます。
スワヒリ語で観察された感情の外在性が、日本語のようなあまり知られていない言語でどの程度見られるのかを明らかにするために、これら2つの言語が選ばれました。 分析の結果、2つの言語は興味深い対照性を示すことが明らかになります。
感情を表現する方法 5つのタイプに分類
この章では、感情が外部実体として描写される様々な方法を5つのタイプに分類し、スワヒリ語と日本語の感情表現における外在性の使用を調査します。
5つのタイプ:
外力: 感情が経験者に加えられる外力として概念化される。(例: 彼は恐怖に襲われた)
移動する実体: 感情が経験者の中へ移動する実体として概念化される。(例: 悲しみが私を襲った)
与えられる実体: 感情が感情の原因によって経験者に与えられ、または経験者が感情の原因から得る実体として概念化される。(例: それは私に幸福を与える/私はその仕事から幸福を得た)
囲む実体: 感情が経験者を囲む実体として概念化される。(例: 彼女は深い悲しみに包まれた/ビルは恐怖に震えた)
そこにある物体: 感情が経験される(見つけられる、出会う)べきそこにある実体として概念化される。(例: 彼は日常の出来事に幸福を見出した/彼女は信仰と共に悲しみに出会った)
先行研究から、異なる感情領域では異なるタイプの外部実体が用いられることが分かっています。例えば、「そこにある物体」は幸福で、「外力」は怒りなどの「強い」「負の」感情でよく用いられます。そのため、それぞれの感情の描写において、どのタイプの外部実体が用いられるかを考察することは重要です。
また、外部実体の使用は言語によっても異なります。感情のメタファーにおける言語間の差異はよく知られており、外在性も例外ではありません。スワヒリ語は外力を広く用いる一方、ヒンディー語は感情を移動する実体として捉えるメタファーをよく用います。このような言語間の差異のパターンも調査する価値があります。
この章では、スワヒリ語と日本語の5つの感情名詞(恐怖、不安、悲しみ、怒り、幸福)に関連して、5つのタイプの外部実体を伴うメタファーの使用をコーパスを用いて調査します。感情の外在性がどの程度の頻度で使用されているかを明らかにします。
ただし、感情が様々な段階を経て変化することを考慮し、本研究では感情変化の初期段階、つまり「Xが<感情状態>になる」とパラフレーズできる文のみを分析対象とします。感情の抑制や表現に関する例は除外されます。
スワヒリ語の分析
コーパス研究を用いて、スワヒリ語における5つの主要な感情(怒り、悲しみ、不安、恐怖、幸福)の概念化を分析しています。
方法:
スワヒリ語コーパスから、各感情を表す名詞(hasira「怒り」、huzuni「悲しみ」、wasiwasi「不安」、woga「恐怖」、furaha「幸福」)が出現する例を抽出。メタファー表現を特定し、感情の起源が内的、外的、中立のいずれか分類。外的起源の表現はさらに5つのタイプに分類。
結果:
感情名詞は「所有する」述語と共起することが多く、感情は所有物として概念化される傾向がある。
外在性に基づく表現の生産性が高い。特に移動する実体タイプが、幸福以外の感情領域で最も多く使用される。
感情状態の変化を表すメタファー表現は、非メタファー表現よりも多く、主要な表現手段となっている。
感情の起源とタイプの例:
外的起源:
外力: 感情が経験者に加わる外力 (例: 恐怖に襲われる)
移動する実体: 感情が経験者の中に移動する実体 (例: 怒りが込み上げてくる)
与えられる実体: 感情の原因から経験者が得る実体 (例: 仕事から幸福を得る)
囲む実体: 感情が経験者を囲む実体 (例: 悲しみに包まれる)
そこにある物体: 経験されるべきそこにある実体 (例: 幸福を見出す)
内的起源:
湧き上がる実体: 経験者の中から湧き上がる実体 (例: 幸福が湧き上がる)
満たす実体: 経験者を満たす実体 (例: 幸福で満たされる)
中立: 明確に内的/外的とは言えない表現 (例: 感情を持つ/感じる)
表7.1の分析:
wasiwasi「不安」の例が多いのは、スワヒリ語には不安を表す動詞がないため。表7.1は、感情表現における外在性の重要性、および感情の種類によって異なるタイプの外部実体が使用されることを示しています。
日本語の分析
コーパス研究を用いて、日本語における5つの主要な感情(怒り、悲しみ、不安、恐怖、幸福)の概念化を分析しています。
方法:
日本語コーパスから、各感情を表す名詞(怒り、悲しみ、不安、恐怖、喜び)と共起する動詞を抽出し、メタファー表現を特定。感情の起源が内的、外的、中立のいずれかに分類。外的起源の表現はさらに5つのタイプに分類。
結果:
感情名詞は「感じる」述語と共起する傾向があり、感情は所有物よりも感覚として捉えられる傾向がある。これはスワヒリ語とは対照的。
感情によって内的起源と外的起源の表現の割合が異なる。怒りは内的起源として捉えられることが多い一方、悲しみ、恐怖、不安は外的起源として描写されることが多い。
感情状態の変化を表すメタファー表現は、非メタファー表現に比べて少なく、スワヒリ語のように主要な表現手段ではない。
感情の起源とタイプの例:
外的起源:
外力: 感情が経験者に加わる外力 (例: 恐怖に襲われる)
移動する実体: 感情が経験者に近づく実体 (例: 恐怖が訪れる)
与えられる実体: 感情の原因から経験者が得る実体 (例: 音楽が喜びを与える)
囲む実体: 感情が経験者を囲む実体 (例: 悲しみに沈む、悲しみに包まれる) - 液体を含む表現も多い
そこにある物体: 経験されるべきそこにある実体 (例: 幸福を見出す)
内的起源:
湧き上がる実体: 経験者の中から湧き上がる実体 (例: 怒りが込み上げてくる) - 液体を含む表現も多い
満たす実体: 経験者を満たす実体 (例: 悲しみに満ちる) - 液体を含む表現も多い
中立: 明確に内的/外的とは言えない表現 (例: 感情を持つ/感じる)
表7.2の分析:
日本語では、感情によって外在性のタイプが異なることが示されています。例えば、悲しみは「囲む実体」として、怒りは「湧き上がる実体」として捉えられることが多いようです。また、日本語では感情を液体として捉えるメタファーが頻繁に使われていることが分かります。
スワヒリ語と日本語の比較
コーパスデータの比較から、スワヒリ語と日本語の両方で、怒りだけでなく多くの感情が外部由来として描写されることが分かりました。
共通点:
恐怖、不安、悲しみは外在性で表現されることが多い。
幸福は外在性で表現されることは少ない。
相違点:
怒りの捉え方: 日本語では怒りは経験者の中から湧き上がるものとして捉えられることが多いのに対し、スワヒリ語では経験者に力を及ぼすものとして捉えられる。
外在性の種類:
日本語では、恐怖と不安は外力、悲しみは経験者を囲むもの(特に液体)として描写されることが多い。スワヒリ語ではこのような液体のイメージは少ない。
スワヒリ語では、悲しみ、恐怖、不安は主に経験者の中に入ってくるものとして概念化され、「入る」「入れる」といった動詞との共起が多い。
幸福は両言語で「与えられる実体」として描写されることがあるが、日本語では英語のように「経験されるべきもの」として描写されることの方が多い。
感情の捉え方: スワヒリ語では感情は「所有するもの」として、日本語では「感じるもの」として表現されることが多い。
これらの違いは、文化的な背景やメタファーの捉え方の違いを反映していると考えられます。
相違点の詳細な分析
スワヒリ語と日本語における「囲む実体」と「外力」のメタファー表現の違いについて、さらに詳しく分析しています。
これらの分析により、感情表現におけるメタファーは、言語によって異なり、それぞれの文化的な背景や世界観を反映していることが分かります。
7.3.5.1 囲む実体
日本語では、悲しみを「囲む実体」として表現する際に、液体に浸かるイメージが多く使われるのに対し、スワヒリ語ではこの表現は稀である。
日本語の「沈む」「浸る」といった述語は、「感情は液体」のメタファーを含んでいる。
スワヒリ語では、感情が経験者を囲む液体としてのメタファーはほとんど見られない。
この違いの文化的背景として、日本文化における自然現象との関連付けや、温泉文化の影響などが考えられる。スワヒリ語でも自然現象のメタファーは存在するものの、液体のメタファーは限定的。
7.3.5.2 外力
スワヒリ語では、外力や移動する実体タイプのメタファーが、日本語よりも幅広い感情や状態に対して使われる。
スワヒリ語では、望ましくない状態(例: 孤独、痛み)は、人に「襲いかかる」「入り込む」ものとして概念化されることが多い。
スワヒリ語の"mzuka"(亡霊、悪霊)は、人の外部に存在し、人の体に入り込むことで感情を引き起こすと考えられている。
このような考え方は、バントゥー民族の世界観と関連しており、負の感情や望ましくない身体的状態の原因は悪霊であるという文化的なメタファーが根付いている可能性がある。
この文化的なメタファーが、「感情は外力/移動する実体」というメタファーと組み合わさることで、多様な表現が生み出されていると考えられる。
まとめ
スワヒリ語と日本語の5つの感情名詞のコーパスデータに基づき、感情を外部実体として概念化するメタファーについて論じました。
研究の結果、どちらの言語でも怒りだけでなく多くの感情が外部由来として描写されることが分かりました。同時に、スワヒリ語のように怒りを主に外部由来とするか、日本語のように内部由来とするかなど、言語によってその表現方法が異なることも明らかになりました。
さらに、悲しみを例にとると、スワヒリ語では経験者の中へ移動する実体として、日本語では経験者を囲む実体(液体)として捉えるなど、外部実体の種類にも言語差が見られました。
そして、スワヒリ語と日本語における特定の種類の外部実体の使用の傾向には、文化的・環境的背景が影響している可能性が示唆されました。
この記事のまとめ
「感情表現の言語間比較: スワヒリ語と日本語の興味深い違い」
このブログでは、スワヒリ語と日本語における感情表現の比較研究を紹介しました。両言語で感情が外部由来として描写されることが多いものの、具体的な表現方法には興味深い違いがあることが分かりました。例えば、怒りの概念化や悲しみの表現方法、さらには幸福の捉え方にも差異が見られます。これらの違いは、各言語の文化的背景や世界観を反映していると考えられます。
この研究は、言語によって感情の捉え方や表現方法が異なることを示しており、多言語対応のAI開発や異文化コミュニケーションにおいて重要な示唆を与えています。感情表現の多様性を理解することは、より自然で文化的に適切なコミュニケーションの実現につながるでしょう。
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