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サイレンススズカと私①

布団の中に入り、寝れないときに頭に思い出すのは、決まって武豊を鞍上に気持ちよさそうに走っているサイレンススズカの騎乗フォルムだ。美しい騎乗フォームとゴムマリからはじき出される躍動感溢れる走りが、45歳を超えた中年の心を今も落ち着かせてくれる。

サイレンススズカを初めて生で見たのは1997年の弥生賞だった。

当時大学4年生だった。私は化学が凄く好きだった訳でもないのに、有機化学の研究室で大学院に進学することが決まっていた。

ドラクエやFFなどロールプレイングゲーム以外、子供のころから夢中になるものもなく、目の前のことをこなしていたら、いつの間にか化学系の大学に進学し、大学院まで行くことになっていた。

大学の期末試験も終わり、毎日家でゴロゴロしていた。以前、ホクトベガのエンプレス杯に誘ってくれた高校の先輩から(弥生賞見に行かないか?)と誘われた。法律改正前だから22歳学生は馬券が買えなかったけど、ハードロックバンドのライブを見に行くのと同じ感じで競馬を見に行った。

朝4時30分に起き、車で中山競馬場へ行く。ハードロックライブを最前列で見たいのと同じで、レースを近くで見たかったので、芝スタンドの最前列に競馬以外の記事が記載されたスポーツ新聞を敷いて、先輩と座った。

(芝スタンド 芝2000mだとスタートしてすぐ)

当時のスポーツ新聞の1面は1番人気のエアガッツだった。私は加用厩舎、武豊騎乗のランニングゲイルが気になっていた(産駒が少ないランニングフリーの子供というそのドラマ性が心に刺さった)。トレセン内で評判が高く、新馬戦を圧勝したサイレンススズカも取り上げられていた。しかも2番人気。でもまだ1戦だけしか走っていないし、さすがにここは勝ち負けまで無理だろうと思っていた。

youtubeはもちろんグリーンチャンネルもやっておらず、サイレンススズカの新馬戦を映像で見ることは簡単なことではなかった(私がその新馬戦を見たのは、亡くなってしまったあと)。当然その新馬戦は見ていない。(スタンド内で流されている「参考レース」では流されていたかもしれないが、芝スタンドの居心地がよく、行かなかった)。

弥生賞の発走時間になる。2000mは芝スタンド前から発送する。目の前にゲートが到着した。スタートを知らせる音楽が鳴り終わり、馬がゲートに入っていく。歓声が上がった。サイレンススズカがゲートをくぐって前に出てしまったから。でもゲートが目の前だと、何が起こっているか全然分からなくて、ターフビジョンでそのことを確認した。

3コーナーから武豊騎乗のランニングゲイルがロングスパート。そのまま一捲りし、直線でも後続に3馬身の差をつけてゴールした。2着はオリビエペリエ騎乗のオースミサンデーだった。

サイレンススズカは外枠発走となり更に出遅れた。2回目のレースで中山競馬場遠征。テンパったのかな。大きく出遅れたのに、4コーナーでランニングゲイルに迫る勢いだった。さすがに最後はばてて8着だった。

私は単なる競馬ファンで馬を見る目があるわけではない。このレースでサイレンススズカに将来性を感じ痺れたかというと、全然そんなことなかった。それよりも3角一捲りのランニングゲイルのほうがよほどインパクトがあった。(この弥生賞、3着だったのがこの年の2冠馬サニーブライアンだったが、こちらも全く記憶に残っていない。)

これがサイレンススズカとのファーストコンタクト。

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