サイレンススズカと私②

弥生賞に敗れたサイレンススズカは4月の500万下を快勝して、プリンシパルステークスに辛勝、ダービーへ4番人気で出走し9着。

これ全くリアルタイムで見ていない。

500万下を快勝したときは、報知新聞に写真入りで出ていた記憶がある。関西の500万下を勝っただけなのに写真入りって、よっぽど才能を変われていたんだね。

プリンシパルステークスを今見返せば、スタートからの2コーナーで首を左右に振って折り合いを欠くしぐさがあったり、直線で上村騎手が入れる左鞭に右側によれていたり、完成にはまだまだ先の印象。前週の青葉賞に出走する予定が左足球節が腫れたとアナウンサーが言っていたので、馬の調子もいまいちだったようだ。

でも2着がその年に菊花賞を勝つマチカネフクキタル、3着が弥生賞で負けたランニングゲイルだから、やっぱりすごいね。

弥生賞の走りに痺れたランニングゲイルだが、皐月賞のあと、ダービー出走の権利があるのにプリンシパルステークスを使ってダービーに行くあたり、このころはまだレースを一杯使って馬を鍛える価値観があったんですね。ダービーのあとオープン1勝しか出来ないのがレースを使いすぎたからとは思わないけど、何か残念ですね。

今はあまり言われなくなったけど、このころは先行馬の後ろ、番手で折り合って直線抜け出す競馬が理想だって良く雑誌で読んだ。メジロマックイーンなどはまさに理想。例えば今の横山典弘だっら、番手で折り合おうとせず、たぶんそのまま行かせちゃうんだろうな。上村騎手が悪いんじゃなくてそういう時代だったんだと思う。

新馬戦で逃げて勝つとその後大成しないとか、新馬戦から騎手が競馬を教え込んでいるとかもよく活字を目にしたけど、エージェント制になってこれだけ騎手の乗り変わりがあるからだと思うけど、こんな言葉も目にしなくなった。

そりゃもう20年前の話だもん、時代は変わって当たり前ですね。

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