ホワイトデーの話:若草家の場合

▼登場人物紹介
若草悠(わかくさ-ゆう)
とある探偵事務所で助手として働いている男の子。成人はしている。
可愛いもの好きの可愛い男子。びっくりする程不器用。

若草香月(わかくさ-かづき)
悠の姉。服飾デザイナーをしている、誰もが振り返る超美人。
じっとしていたらお人形のような、小さくて可愛い女性。

若草旭輝(わかくさ-あさき)
若草家の長子。目力強めの警察官。
悠とは年齢が10歳ほど離れているので、兄というより保護者。

先生
悠くんの雇い主である枯野透湖さんのこと。
枯野探偵事務所で住み込みで働くことを許してくれた人。



「……先生、明日ちょっとお休みを貰っても良いですか?」
 時は3月12日。特別何も無い日だったので、そう申し出た。
 先生は予定を確認してから、うん、と頷いてくれたから有り難くお休みを貰うことにする。
「珍しいな、悠。今日も姉君とお茶に行くのか?」
「姉さんには会いますね……」
 何をしに行くのかは秘密にしておきたいから、曖昧に返す。
 先生は特別言及せずに「そうか」とだけ返して、それでその話は終わった。

 ――翌日。
 先生に見送られて枯野探偵事務所を出たボクは、急ぎ実家へを向かう。
 それ程離れては居ないけれど、時間は少々掛かる。予定の時間より早く着こうと頑張ったけど、到着した時には時間ピッタリで、それはそれで複雑な気持ちを覚える。
 あがった息を整えてチャイムを押すと、扉の向こうから顔を覗かせたのは兄さんだった。
「悠か。久しぶりだな、息災か?」
 声を掛けられて驚いて一瞬固まる。てっきり姉さんだけだと思っていたからびっくりした。
「あ、はい、元気です。兄さんも居たんだね」
「香月が『味見をする人間は数が居た方がいいから』というから立ち寄った」
「……え、じゃあお仕事あるの?」
「いや。ただ、そこまで長居をする気はない。香月の気が済んだら帰るつもりだ。悠も終わったら帰るんだろう?」
 話をしながら、久しぶりの実家の敷居を跨ぐ。手洗いを済ませてキッチンを覗けば、既にそれは始っていた。
 テーブルの上に揃えられた調理器具は整列していて、綺麗に並べられている。
 並べている本人は今日はカチューシャを付けて髪が落ちてこないようにしているが、全体的にフリルがついて可愛い恰好なのは相変わらずだ。
「姉さん、ただいま」
「お帰りなさい悠。兄さんにお出迎えを頼んだのに、なかなか来ないから心配しちゃった」
「……すまないな、久しぶりに顔を見たからつい」
「もー、お正月に会ったでしょう? ……ああ、でも兄さんはそれ以来かしら?」
 うーん、と小首を傾げるけどそれも一瞬で、テキパキと材料を出していく。
「まあでも、いいわ。取りあえず、悠はエプロンを付けて。そのままだと汚れてしまうでしょう? 兄さんはリビングで珈琲でも飲みながら待っていて。出来たら持って行きます」
「私も洗い物ぐらいは出来るが?」
「だーめ。兄さんは普段お疲れでしょう? 味見役で呼んだんですから、ゆっくりしていてください」
 さあさあとキッチンから追い出される様子を眺めながら、用意して貰っていたエプロンを付ける。多分母さんのだと思うけど、有り難く使わせて貰うことにした。
「準備は出来た? じゃあ、悠は私と頑張りましょうね?」
 満面の笑みで言った言葉が、開始の合図となった。

 実は、今日実家に来たのはこれの為だったりする。
 自慢じゃないけど、ボクは料理が出来ない。動作も遅いが手先も不器用だったりする。
 にも関わらず、バレンタインの時期に街中の可愛いお菓子に触発されて、一度お菓子作りをしてみたいなぁと不相応な事を考えたんだ。でも、事務所でやると大惨事になるのが目に見えている。
 やるからには食べれる物を作りたいし、一人でやるには不安が残るからどうしようかと考えたところ、姉の顔が浮かんだという訳だった。
『丁度いいわ。ホワイトデーが近いし、それに合わせて作りましょう?』
 そうして、本日に至るという訳だ。
 姉さんの指示の元、出された材料たちを順番に混ぜ合わせていく。
「お料理は慣れが必要だと思うけど、お菓子作りは、きちんと軽量して手順の通りに作れば大体出来るから安心してね。あとは美味しくなるようにって思いながら作ればきっと大丈夫」
「……ほんとに?」
 バターと砂糖と卵をボウルの中でかき混ぜつつ、姉さんの言葉にそう返した。
 主に後半部分。思っていても炭を生成する時だってある。子供の時だけど、経験はある。
 我が家は一人で料理をしようとした自主性を褒めてくれる家だけど、美味しいものを食べて欲しくてやってみた身としては悲しい事この上ない現実だったという……苦い記憶があった。
 少しだけ悲しい気持ちを思い出したボクに姉さんは笑いかけて「勿論」と頷いた。
「ああ、でも思うだけではいけないわよ? その為には手順を踏むことが大切なの。その上で、美味しくなるようにって思うのが大切だと私は思うの」
「……美味しくなると思う?」
「私は思うわ? そうなるように、一緒に確認しながら頑張っているんですもの」
 にこりと笑うと、姉さんは姉さんの作業に戻る。
「ところで姉さんは何を作ってるの? 生クリーム?」
「ああ、これ? 悠がオーブン使うから、私は冷やして作るデザートを作ろうと思って。イタリアンセミフレッドっていうの。出来たら少し持っていく?」
 聞いた事ないお菓子だけど、姉さんはボクに指示しながら作っているので、完成を楽しみにしながら自分のやるべきことをやろうと作業に戻った。
 バター、砂糖、卵を混ぜ合わせたところに薄力粉を振るい入れてさっくりと混ぜていく。『さっくり』の感覚がわからなくて、姉さんに手本を見せてもらいつつ混ぜ込んで出来た生地を纏めて一先ず冷蔵庫に。間でココアを入れてみるのもいいと言うので、生地は二種類作った。
 姉さんが作っていたものも一緒に冷蔵庫で冷やされて、此処まで使った物を洗ったりしながら時間を潰す。
 生地を寝かせたら取り出して、伸ばして型で抜き、天板に並べてオーブンへ。
 再び洗い物をして待っていたら次第にいい香りがキッチンに漂ってくる。
「……え、すごい、美味しそうな匂いがしてる」
「だから言ったでしょう? 手順通りに作ったら大丈夫なんです。やった事が無かったり自信が無い事は一先ず書いてある通りにしてみるのがオススメよ?」
 ふふっと笑った姉さんの顔を眺めて、確かに、と頷いた。
 ひとつ出来ることが増えると、自信がつく。じゃあ今度はひとりでやってみようかとは流石にならないけど、出来るんだと思ったら少し嬉しかった。
 そうこうしていうと、オーブンが焼き上がりを知らせる音がした。
 そっと引き出すと、綺麗に焼き目の付いたクッキーたちが顔を覗かせる。
 当たり障りない型しか使っていないけど、これがまた感動で。
「少し冷ましてからの方がいいけれど、ひとつ食べてみたら? 味見するのも大切なことだし、ね?」
 アドバイスに従い、少し冷ましてから一口食べてみることにした。
 まだ温かいからか柔らかいくらいの食感だけど、苦みなんてひとつもない。美味しいクッキーで、そこに感動を覚えた。
「ね、美味しいでしょう?」
「……うん」
「良かったわね」
 そんな風に笑いあった。

 生地が無くなるまで焼いて、持って帰る分には綺麗にラッピングを(姉さんが)して、兄弟揃ってお茶会のような事をしたりして。
 久しぶりのまったりとした休日を過ごして。
 気付けば夕方に差し掛かろうとしていた。

「……あ、ボクそろそろ帰らないと」
「気を付けてね。忘れ物をしないように。枯野先生によろしくね」
「……送っていくか? 私もそろそろ帰る」
「え……兄さんも帰ってしまうの? もう少し話したかったわ」
「香月の方が悠より会っているだろう。また時間が合えば来る」
「はーい。じゃあ、二人とも気を付けてね」
 玄関まで見送られて、それから兄さんの車に乗せて貰って家を後にする。
 膝の上に置いたクッキーと、姉さんが作ってくれた……ええと、イタリアンセミフレッド? を持って、そわそわと帰路に着く。
「悠」
「……はい」
「探偵助手の仕事には慣れたか?」
「あ、うん。まあ、それなりに」
「そうか。……時々、先輩から名前を聞いている。危ない場所にも行くだろうが、怪我をしないようにな。きみもだが、探偵の先生も怪我等しないよう気を付けるように」
 兄さんは姉さん程表情が変わらないから分かりにくい時もあるけど、それでも心配されているのは分かるし、思ってくれてるんだなぁというのはよくわかる。
「わかった。ありがとう、兄さん。兄さんも、お仕事気を付けてね」
「ああ、気を付ける」
 他愛ない話をしていたら、事務所が見えてきて近くで降ろして貰う事にした。
 ばいばい、と手を振ると、少しだけ笑って兄さんが手を振り返す。
 見届けると、急いで事務所に帰っていく。

 一日早いけど、ホワイトデーの贈り物……いや、初めて成功したお菓子を持って、上手くできたんですと報告する為に。


※ちなみに、香月が作っているイタリアンセミフレッドというのは、生クリームをベースにしてチョコチップとかビスケット、ナッツやドライフルーツを混ぜて冷凍して作る品物だそうですよ。
3月に冷たいものもどうかと思うけど、お持ち帰りの際は保冷剤を山ほど入れていると思われます←
なんでこれにしたかって、枯野先生と若草くんがアイスよく食べてるから←
2022-03-15



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