【障害】が僕に与えたもの
こんにちは!まこです。
前回のシリーズでは「障害は個性じゃない(以下リンク先)」という障害に対する僕の考え方を書きました。
「障害自体はネガティブなもの」と、人によっては毛嫌いされるであろう書き方をしています。
今回のシリーズではそこから一点、
「障害が持つポジティブ要素」
のテーマで、僕が「障害から得ることができた」と考えるポジティブな一面について、前半と後半の2回に分けて書いていきたいと思います(と言いつつ障害は僕に試練ばかり与えてきます笑)。
以下、後半記事のリンク先↓↓↓↓
1.実はなかなかの重度障害らしい
医師曰く。
僕の障害は「身体障害」の中でも「特A」ランクの障害らしいです。
数年前に主治医からその事実を聞かされたのですが、僕自身そんなこと考えたこともなかったので、
「へぇー、おれの障害って意外と重いんや(。-`ω-)」
と驚いたことを覚えています。
と言うのも、僕は元々「障害の世界」とはほぼほぼ無縁の世界で過ごしてきたからでしょう。
障害のある方との接点もほとんどないんです(今となってはもはや0)。
「障害があっても努力次第で一般の人と同等に戦っていける」
そう考えていた僕にとって、自分が「重度障害者」というのは寝耳に水だったんです。
2.「健常者社会」で生きるということ
僕は幼い頃から、保育園、小中高、大学、そして現在の社会人と、いわゆる「健常・一般」社会の中で過ごしてきました。
小学生の頃は、小学校の中にあった支援学級に所属してはいたのですが、1週間のうち2回程度その学級に顔を出していたくらいで、そこで特別に学んだり生活したりすることはほぼありませんでした。
なので、こう見えて僕は「障害者社会」についてあまり詳しくないんです。
そんなこんなで、良かれ悪しかれ「一般社会」の中で荒波にもまれて生きてきたわけですが、それは同時に「強さが求められる」人生でもあったということです。
弱みを見せると生きていけなかったんですよ。
色んな意味で人より強くいないといけない。
おかげさまで昔から大の負けず嫌いですし、気も強い。
そりゃあもう自分でもうっとうしくなるほどに。笑
3.「手無し人間」と呼ばれた幼少期
これは僕が保育園児だった頃の話です。
ちなみにこの話については、以下のラジオ形式の動画でより赤裸々に語っているので良ければご視聴ください。
僕は5歳の時、つまり年長の年に入園したのですが、同じ組の友達はみんないい子たちで、「クラスみんな友達」といった具合に毎日仲よく遊んでいました。
障害について悪く言わないように、先生や親御さん方がみんなにしっかりお話してくれていたんだと思います。
ですが・・・年下のガキんちょたちがまぁうっとうしいこと。笑
僕があまり走れないことを知っていたんでしょう。
少し離れたところから僕に向かって、
「おい手無し人間~!」
「バケモノ~!」
とか言うてくるわけですよ。しかも集団で。
めっちゃタチ悪いでしょ?笑
もうね、幼いながらに我慢できなくなって僕はブチ切れるわけです。
でもどんなに腹が立っても、まだ子どもの自分には言い返す言葉が見つからない。
ぶん殴ってやりたくても追いかけようとすると逃げられる。
言われたその時は何もできないんですよね、悔しいことに。
ですが僕は黙ってやられる人間ではないのです。
「何とかしてやり返せる方法はないか…」
そう考えた僕はパッと閃いたわけです。
「お昼寝」の時間を利用することを。笑
ガキんちょどももお昼寝の時間は無防備にスヤスヤ寝とるわけです。
で、僕はその隙を狙う。
幼少期の年の差ってめっちゃ大きいですし、これでいて力はある方でしたので、一度馬乗りになればこっちのもんです。
先生たちの目を盗んでこっそり奴らの組に侵入し、一番悪口を言ってきた奴を見つけて・・・あとはマウントポジションからのボコボコです。笑
そうするとガキんちょは「ごめんなさいぃぃ~!」と泣き叫び、先生が来て、とにかく僕がこっぴどく叱られる。
世の中理不尽ですよね。笑
まぁでもそうこうしているうちに悪口を言ってくる子どもは一人もいなくなりました。
とりあえずこの話は美談として終わらせていただきます。笑
4.負けず嫌いが僕を救った
とまぁ保育所時代の話をしたわけですが、別に僕のガラの悪さを晒したかったからではありません。
何を伝えたかったのかというと、悪口を言われて「しゅん」としてしまう人間でなく、「お前ら覚えとけよ」と思える性格で良かったなぁということです。
僕の場合は自分に障害があったからこそ気が強くなったのかなと思いますし、そこはある種「障害のおかげ」と思える部分の一つなんです。
勝ち気、負けず嫌いでなかったら、みんなと同じ世界では生きていけなかったんだろうなと思いますから。
これは今の自分にも言えることなんですけどね。
ちなみに小学校低学年の時にも同じようなことがしばしばありました。
結果だけ言うと、最後は僕が怒られるというあの理不尽なパターンのループです。笑
でもその甲斐もあってか、これまでの人生で一度も「いじめ」にあったことがありません。
もちろん環境に恵まれていたことも大きいと思います。
でもそれと同時に、自分の性格にも感謝しています。
もしかすると、この当時からすでに「自己防衛本能」が自然と働いていたのかもしれません。
「誰よりも強くないといけない」
「誰にも負けちゃいけない」
という本能が。
5.No.1になりたい
ただし
「でもそもそも障害さえなければ平穏に暮らせたかもよ?」
と思われる人もいるでしょう。
でも僕は、障害の有無に関わらず「気持ちが強い」というのは生きていくうえでとても重要なことだと思うんです。
そもそも気持ちが弱いと、僕は自分の障害を言い訳に、つらいこと、苦しいことから逃げ続けるような人間だったかもしれない。
頑張ればできることでもチャレンジしようとせず、ただただ周りに甘えて生きていくだけの人間だったかもしれない。
そんなの死んでも嫌なんです。
それにどんな世界においても、頂点を極める人、活躍される人は誰よりも負けず嫌いじゃないですか。
「No.1じゃなくてもいい」
という言葉をたまに聞きますが、この言葉大嫌いです。
僕はNo.1になりたい。
結果として一番になれないのは別に良いんです。
大事なのはそこじゃなくて、「一番になるために努力する」このプロセスこそが人を成長させると僕は信じているんです。
(まぁ僕の場合はオンリー1に飽きたというのもありますが・・・笑)
そんなこんなで、僕の場合は「障害は僕に気持ちの強さを与えてくれた」と思いますし、そのおかげで今の自分がある。
そこはポジティブに捉えたいなと思う次第です。
6.まとめ
今回は「障害が僕に与えたもの」というテーマで、障害をなるべくポジティブに捉えた内容の記事を書いてみました。
まぁそれでも「障害なんてないのが一番!」なんですけどね。笑
ただし、どおせ障害があるなら
「その中で利用できる部分は利用してやろうぜ!」
というのが僕の考えです。
ネガティブにばかり考えると何だか負けた気がしますもんね。
そんな人生つまらないです、ほんとに。
さて、次回はこの話の続きを書いていきたいと思います。
「障害と努力」がテーマになるとにらんでます(。-`ω-)
それでは今回はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました(`・ω・´)!
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