見出し画像

「障害者」「健常者」という呼び方問題について~障害者編~

こんにちは!まこです。

いきなりですが、僕は「障害者」や「健常者」といった呼び方、言い方があまり好きではありません。

noteでは便宜上、これらの単語をたびたび使用していますが、日常生活で使うことはほとんどありません。

今回から新シリーズとして3回に分けて、僕がなぜこういった呼び方を嫌うのか、そしてどのように呼ぶべきだと考えているのかについて書いていきたいと思います。

ちなみにみなさんはどのように呼んでいますか?

あまり意識されない方がほとんどでしょうし、それがある意味当たり前なのかもしれませんが…。

1.「障碍者」「障がい者」という表記

前もってお話しておきますが、僕は「障害者」を「障碍者」「障がい者」と表記するのも好きではありません。

いや、好きではないというより、
「表記を変えたところで何の意味があるん?」
と疑問に感じてしまうと言った方が正しいでしょうか。

そもそもこの「しょうがい」表記については、その歴史的変遷や意味合いについて、内閣府が以下のリンク先PDFで事細かにまとめています。

なんというか…僕個人としては「どうでもええわ」と思う点が満載でした。
「そもそもチャレンジドって何?聞いたこともないし」という感じに。

結局、表記をどれだけ変えたところで意味は変わらないと思うんですよね。

以下で詳しく書きますが、「害」であろうが「碍」であろうが「がい」であろうが、「障害=妨げ」であることに変わりはありません。

そこに目くじらを立ててとやかく言う必要はないんじゃないか、というのが僕の考えです。

2.「害」が表す意味

この「害」という字はそのままの意味です。
そして障害それ自体が害であることにも異議はないと思います。
だって「何かしらの害があるから障害」なんですから。

でも・・・これは僕の感性の問題かもしれませんが、「障害者」という言い方は、周りの人間に「害」を与える者といったニュアンスに感じてしまうんですよね(ちなみに「表記」と「言い方・呼び方」は別物ですよ!←ここ大事)。

もちろんみなさんはそんな意識を持たずして使用されていると思います。
ですが、言葉の構造上、この「障害者」という言い方は「自分に障害がある者」とも「人に障害を与える者」とも捉えうると思うんです。
まぁ「言葉のあや」みたいなものなのかもしれませんが…。

そうは言っても語弊を恐れずに言うならば、もちろん「害」を与える人、また意図せず与えてしまう場合もあるとは思います。
現に事件なども起きているわけですからね。
ですが、普段から無意識かつ一様に「障害者」と呼んでしまうのは、僕は少し引っかかってしまうんです。

障害者のみんながみんな、そして毎度毎度誰かに「害」を与えるわけではないですから。

3.僕なりの「障害者」の呼び方

なので、僕は普段は「障害のある人」もしくは「障害を抱えている人」と呼ぶことにしています。
この言い方だと、純粋に「自らのどこかに何かしらの障害を抱えている人」と捉えることができるからです。

「そんなの言葉の捉え方次第でしょ!」と言われればそれまでかもしれませんけどね。笑

でも「障害のある人」「障害を抱えている人」という呼び方は、単に「障害者」と呼ぶのと異なり、「誰かに害を与える人」というニュアンスには絶対になりません。
これだけは断言できます。

それに僕自身、「あなたは障害者だ」と言われるより「あなたは障害のある人だ」と言われる方が気分としてはずっといいです。

それは上述の理由はもちろんのこと、
「あ、この人は呼び方・言い方一つであってもその内奥を考えられる、配慮のできる人なんだな」
と思えるからです。

逆に何でもかんでも「障害者」と呼ぶ人に対しては正直良い気がしません。

それは決して差別がどうのこうのといった問題からではないですよ。
言葉に対する意識、そして障害のある人への配慮がやや欠けているのかな、と感じてしまうからです。

4.まとめ

「障害者」という言葉が差別用語だとかはこれっぽっちも思っていません。

ただ何というか、この言葉をそのまま使う・使わないで、その人の人となりや障害という問題への意識が垣間見えてくるというのが僕の意見です。

まぁここに日本語の難しさがあるというか、日本人特有の婉曲的な表現があるというか・・・。
ざっくり言うと言葉に対する感性の問題だと思うのですが、詳細についてはこのシリーズの最終話で書きたいと思います。

ひとまず今回の「障害者の呼び方編」はこれで終わりとし、次回は「健常者の呼び方編」について書いていきたいと思います。

それでは改めて、今回はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました(`・ω・´)!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?