コーチであること
正直、今も「コーチ」と呼ばれることにこっぱずかしさを感じる自分がいる。
「そんなー!私がコーチなんておこがましいぜ」
という気持ちがもたげてくる。
いやいやいやと、ツッコミが入るとは思うのだけど、紛れもない事実だしこれが本音。
私にとっては
「コーチになった」より
「コーチでありたい」の方がしっくりくる。
私が「コーチング」という言葉に出会ったのは、2014年2月。
当時尊敬して尊敬して尊敬しまくってやまなかった上司の異動が決まり、
絶望のどん底、嗚呼もう未来はないこの世の終わりだお先真っ暗だーみたいな気持ちで過ごしている時だった。
たまたまミーティングしていた私のすぐそばで、その上司がUSBメモリを落とした。
私がそれを拾うとそのメモリに
「コーチング研修」と書かれたマスキングテープが貼ってあった。
上司は「すごいやろ、俺こんな研修もできるのよ」と言った。
彼は我が社の教育部門の長を長年務めた方で、教育にかけては右に出る人はいない方だった。
コーチング?なにそれ?美味しいの?
と思ったが、なぜか私は
「それやってください。その研修、異動する前に」と気づいたら口走っていた。
なぜそんなこと言ったのか。
いまだに理由はわからないけど、私のその一言で、最終出社をされるその日に、管理者メンバー向けにコーチング研修をすることが決まった。
そしてやってきた最終日。
研修の冒頭で上司が説明してくれた言葉は今でも忘れない。一言一句覚えている。
「人間は無限の可能性を持っている
答え、能力はその人自身が持っている
その答えをみつけるためにはサポートが必要」
この言葉を聞いた瞬間、
胸がきゅっとして、なぜか泣きそうになった。
開始2分でだ。
アカン、ここで泣いたら完全に変な人だ。
涙を堪えつつワークに参加した。
傾聴、質問、フィードバックという、ワークだったが、私は人の話を聞くこともフィードバックもまるで出来ず、つっこまれまくりのグダグタだったのをよく覚えている。
その研修の最後、上司がデモセッションをして見せてくれた。
何の答えを伝えるわけでもないのに、クライアントが自由に話して、でも具体的にやりたいことが出てくる。
わたしには上司が魔法使いにしか見えなかった。
そして上司は最後にこう言った。
「皆がコーチングして、コーチングされて、教育しまくり、育ちまくりのチームにしてください」
我慢できずに泣いてしまったのを、
今でもよく覚えている。
こんな感動的に永遠の別れをした上司だが、
ほんの2年後に私は回らない寿司屋でその上司に泣きながら仕事がつらいんじゃーと叫ぶ羽目になる。
まぁそれは別の話でw
私が今この時、チームの教育を担当してて、プライベートでもコーチングを学んで、コーチングが好きで、コーチでありたいと思っているのは、間違いなくその上司の言葉がきっかけだ。
上司みたいな人でありたいと思った。
あんな関わり方をしたい。
どんな人でも無限の可能性がある。
その可能性を育てたい。
皆にとってそういう存在でありたい。
私の根っこは何も変わってなくて、
ここから伸びている。
伸びて伸びて、、、伸びてー。。
さぁどうなる?
どこまででも伸びていけるかな?
行ったことないところにも行けるかな?
可能性は無限のはず
その言葉に何度も勇気づけられて、
今日も私はコーチでありたいと思っている。