ピロシキと茶わん蒸しの話
2年前の冬、
「人生を救ってくれたひと」というタイトルで
亡くなったおじさんについて話したことがある。
おじさんに先立たれたおばさんは私の父の姉にあたる。
確か去年80歳を迎えた。亡くなった私の祖父に顔がそっくりで
性格は祖母に似ている。
とても生真面目で心配性だけどポジティブで料理がうまく
散歩が好きでお話が好きなおばさんだ。
去年はおばさんと過ごす時間が多かった。
父が病気になったからだ。
手術の日は一緒に朝9時に手術室に入っていく父を見送り、
横になるスペースもない、座りっぱなしの待合室で
夕方まで一緒に父の手術が終わるのを待ってくれた。
ま、とはいえお昼には父には内緒で一緒にモリモリ焼き肉を食べたけどw
そんなおばさんには得意料理がある。
ピロシキだ。
なぜかお盆やお正月に大量のピロシキを作って持ってきてくれる。
ピロシキはなんというか、ロシア風餃子?wこれがめっちゃおいしい。
おせちや刺身、寿司などが並ぶなかてんこ盛りのピロシキw
これがお盆やお正月の風景だった。
そんなおばさんも夫であるおじさんに先立たれ、
足腰も弱り、ここ数年でかなり小さくなったように見えた。
それでも口だけは大変達者なのは血筋なんだろうかw
誰と話してもポンポンシャキシャキと言葉が返ってくる。
話は面白く、話しているとまだまだ元気だなと思えた。
親戚たちも全体的に年を取ったのでもうピロシキに
喜ぶ人はあまりいなくなってしまった。
というか、年齢的に揚げ物が胃に入っていかないw
そもそも揚げ物は作るのも大変なので、
代わりにおばさんはよく茶わん蒸しを作ってくれるようになった。
とはいえ、茶わん蒸しも大変だと思うのだけど。
胃に優しく具だくさんで。みんなそれを楽しみにしていた。
このお正月もおばさんは茶わん蒸しをつくって家に来てくれた。
1/2の夜、買ってきたお寿司をおばさんも父も一緒にみんなで食べて、
茶わん蒸しは明日の朝に食べて、食器は洗って持って行くからと
話していた。
帰るとき、外が真っ暗で車まで少し狭い道を歩くので
私が少し先を歩き、おばさんの手を引いて車まで連れて行った。
「ありがとう」と言われたので、「またね、元気にしててね」と
いって車のドアを閉めてバイバイした。
次の日の朝、茶わん蒸しを温めてみなで食べた。
鶏が大きくて具が多くてだしがきいててめっちゃおいしい。
とても寒い朝だったので、余計に美味しく感じた。
その日のうちに実家から帰ったが、お正月帰省している間
ずっと天気も良くて、父や親戚ともあえて、友達ともランチして、
楽しかったなという思いで家まで帰った。
家について車の中から無事着いたよと父に電話した。
が、なぜか父の元気がない。
聞くと、
おばさんが今日脳内出血で倒れて入院したとのことだった。
えっ!と言ったきり言葉が出ない。
朝方倒れて、昼過ぎに息子である私の従弟が会いに行ったところを
見つけて救急車で搬送されたとのことらしい。
意識はあったと聞いて少し安心した。
でも年齢も年齢なのでどうなるかはわからない状況とのこと。
父もショックを受けていた。
弟とも話して、詳しく状況を聞いて、
電話を切った後もしばらく車から降りられなかった。
昨日手を引いて夜道を一緒に歩いた。
今日の朝作ってくれた茶わん蒸しを食べた。
その手の感触も、茶わん蒸しの味も、
なんならピロシキの味まで
まだちゃんと私に残っているのにな。
おじさんは本当に優しい人だったから、
おばさんを無理やり連れてったりはしないだろう。
(でもおばさんがもうそっち行くわ!と言ったら追い返せない気もするw)
もうちょっとだけ元気でこっちにいさせてあげてほしい。