名医、名医を知る
フリーランス駆け出しの頃は「押忍! どんな仕事でもお受けしまっス!」というスタンスだったので、来る仕事はある程度なんでも受けた。
そして、あたりかまわず仕事を受け散らかしていると、ある法則がつかめてきたのであった。
「名医、名医を知る」という言葉を聞いたことはあるだろうか。誰が言ったか知らないが、要するに、こんな内容だったと思う。
たとえば、腕の立つ眼科医に「皮膚科のいいお医者さん知りませんかねぇ」と尋ねると、同じぐらい腕のいい皮膚科医を教えてくれるという話。たとえなので、内科医でも泌尿器科医もいいんですけどね。
要するにジャンルは違えど、名医の友だちも名医というわけ。つまるところ「類は友を呼ぶ」なのである。
よくよく考えると当たり前の話なのだが、仕事をしてみると、面白いほど「名医の友は名医……」と、思わずつぶやいてしまうシーンが多く見受けられる。
たとえば仕事にほとんどクリエイティビティを発揮しない、ただ右や左に仕事をふるだけの編集者がいたとする。……というか、実際にいた。学歴はいいのか、かなりの大手出版社だった。
その人が紹介してくれる、ライター、イラストレーター、カメラマン、デザイナーはというと、まぁまぁこれはこれは似たような人たちだネ……という人ばかりであった。早い話が、あまり腕がない。
見事なほど、ジャンルを飛び超えて、同レベルの人たちが集まっていた。
もう40、50代と、この業界で20年以上もやっている大先輩なのに、なんなら親ぐらいの歳の人たちなのに、
「どうして、こんなに仕事が適当なのだ。この20年、あなたは毎日何を磨いてきたのだろう……」と、悲しくなる人もたくさんいた。
こういう人たちは、なぜ何十年も生き延びていられたかというと、この、同じような人たちと相互補いあいながら、助け合いながら、生き繋いできたようだ。
おそらく発注元の編集者が健在な限り、この関係は循環できるのだろうと推察する(この出版不況の中で、今、彼らが生き延びているかはわからないが……)。
ある仕事で「Aさんは言っていることが適当だし、小狡くて嫌だな……」と思っていた。そうしたら、Aさんの仕事仲間のBさんから、ある日、私に電話がかかってきた。
「ちょっと、すみませんが……。どうしても相談したいことがあるから、明日社に来てくれませんか」と少し困惑したような声で、丁寧にお願いされたのだ。
翌日、何事かとその場所へ行ってみたら、あらあら、そこにはお偉いさんほか何人も同席していて、実は編集会議中で、その場で私のページが割り振られ、内容もどんどんと固められていった……ということがあった。
「はめられた!」と思ったときには、もう遅く。
若い私には、その場の空気をぶち壊してまで会議室を抜け出すほどの気概もキャリアもなく。仕方がないから、この件だけは付き合おうと思っていると、その仕事をこなしているうちに、次の仕事も同時進行で計画されていくので、エンドレスに抜けられない仕組みになっている(結局、逃げたけれどね)。
そしてやはり、その関係者は、びっくりするぐらい同じような人たちだった。人を利用することばかり考えていて、みんなお互い誰もリスペクトしていない。自分の仕事さえも誇りを持っていなかった。売り上げ部数だけを必死で追い、数字が上がればいい。お金が入ればいい。読者のことなんて「買ってもらう」以外は考えてないので、情報の精度なんて二の次。内容に責任を持つ気もない。
たとえ、もともとは「いい人」だったとしても、そこから逃げなかったがために染まってしまい、いい加減な仕事をするようになっている人もいた。そこに参加していたデザイナーさんやカメラマンさんもそうだった。
やはり場の空気とは恐ろしいものなのだ。人は相互に影響を受けるものなのだと知る。
そのとき初めて、なんでも断らずに仕事を受けるというポリシーに誤りがあったことがわかった。なるほど。信用できない人とは、早々に手を切るべきだな、と。
自分の環境は、自分で責任を持って整えていかなければならないと思った。自分を守るのは自分しかいないのだ。
仕事への姿勢がルーズな人が紹介してくれる人は、やはりルーズな人ばかりだった。お金のことばかり考えている人の仲間も、そう。締め切りを守らない人の紹介先は、同じようなレベルなことが多々ある。
あるとき、「とてもデキる風」な見掛けだったが、実際にフタを開けてみたら内容がペラペラの文章を書く人がいた。そして口を開けばギャラやお金のことばかり。
もうこの人とは仕事はしないな、と思った矢先。その人が主催した打ち上げに出席しなければならなくなった。もうこの人とは最後だし穏便に終わらせようと、その店に行ったところ……。
これまたそのお店も見掛け倒し。一見、豪華な隠れ家風レストランだったが、値段は高いのに味が不味い……。そして極め付けが、コース名がすべて金額だったこと! どういうことかというと、料理が出来上がって、黒ネクタイに黒ベストのウェイターがお皿をうやうやしく持ってくるのだが、
「3500円コースをご注文のお客様は……(どなたでしょうか)」「3000円コースのお客様は……」と、声高に唱える。「はい、3000円です」と手を挙げる私。もう、笑うしかない。
ということは、だ。
悪い波長もあるのなら、良いものもある。つまり「名医、名医を知る」なのだ。
もちろん、いい流れに乗りたいと思う。そのためには、自分の腕と魂を磨き上げるしかない。その流れに選ばれるためにも、結局は、誠意を持って仕事をやっていかなければならないという仕組みなのだ。
そして同時に、勇気をもって、まずい流れには染まらないようにする。「でも、この仕事をするとまとまったお金が入るし……」などと損得勘定にくらんで躊躇しているうちに、たちまち波に飲まれてしまうから恐ろしいのだ。
誰もみな、仕事を断るのは怖い。
しかしやはり、筋の通らない仕事をしている人や、適当に仕事をしている人、仕事に愛がない人とは、早めに手を切らないと自分の仕事も人間関係も腐り出すということを学んだのだった。
波長の合わない人たちといても、自分の魂をすり減らすだけなのだ。