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霊能者から学んだこと


そういう能力がある人がいることは知っていたが、私はからきし信じていなかった。霊と交信できるとか。人のバックグラウンドがわかるだとか。テレビもヤラセだと思っていた。
だが、二十歳のときに父が死んだあとから、堰を切ったかのように次々と霊能者さんたちが私の前に現れ、だんだん考えを改めざるを得ない状況になっていった。

彼らは我が家の訃報を嗅ぎつけて集まってきたわけではない。
……ないのだが、こちらからはまるで求めていなかったのに、私の出向いた先で、そういう特殊な能力を持つ人たちにバタバタと出会い、そして何らかアドバイスを授かる。そんな機会にいっとき、笑っちゃうぐらい遭遇したのだ。
その霊能者さんたちは、たまたま一緒に遊びに出かけた友だちの家の近所のおばさんだったり、とある職人のおじさんだったり、私が一緒に仕事をしたスタイリストさんや取材先の人など、仕事で会った人たちだった。
私はその霊視に対してお金を払った訳ではない。みんな善意でアドバイスをしてくれた。私がなんだか大変そうに見えたからつい声をかけた、という人もいた。
「ひえー。私、なんだか今、変な宗教に引き込まれている最中ではありませんか!?」と、多くは考えるものだろう。私も騙されまいと、そうとう慎重に接したものだ。

そもそも彼らはどうやって視えるのか。声や文字が降ってくるという人もいれば、私の背後にスクリーンが見えてそこに映画のように写し出されるという人、ふわっと3Dみたいに観えるという人、私の持ち物を触っているとヴィジョンが観えたり声が聴こえるという人、様々だ。

当時、初対面の彼らは、ほぼほぼ死んだ父の話から口火を切った。
そして、昨晩死んだ私の飼い猫について話す人もいたし、とある先祖の戒名を書き出す人も。墓や家の中、仏壇や神棚の様子、私の家族や親類のこと、彼氏や友人のことなどを語り、まるで見てきたのかという正確さだった。
一つ、もう誰にも差し障りのないエピソードあげるとすると、祖父の姉の死因を「自殺」と言い当てた人がいた。祖父たちは戦前、彼女が自死したということをまったく公にしていなかったにも関わらずだ。霊能者さんは、祖父の姉が「自分が死んだときに、一緒に息絶えたお腹の赤ちゃんを、今回きちんと供養してほしい」と訴えていると私に伝えた。このことを祖父に尋ねると「確かに警察で姉の死体を見たときに、なんとなくお腹が大きいように見えたので、『あれ?』と思った」と言って即、供養に応じた。
このような山のようなエピソードと山のような答え合わせは、ここで書いているときりがない。しかしことごとく的中していくので、聞く耳を持たざるを得なかった。すごかった。
まぁ「あなたの前世は舞妓」というのは、当たっているか永遠にわからないと思う。が、美白を目指すあまり、つい日焼け止めやファンデを塗りすぎてコウメ太夫みたいになることがあるので、あながちそれは過去世の名残りかもしれない……。

舞妓はともかく。このようにして私も次第に耳を傾けた。だって、あまりにも不思議で、あまりにも当たる。かつ神秘。まるで神の声のように聞こえたからだ。
とりわけ父のことになると、無視はできまい。
実際、彼らのアドバイスで、ずいぶんと気持ちが楽になったことを覚えている。


このような霊能者さんたちとの遭遇の中で、一つ、学んだことがある。
興味を持って観察していたり、一緒に仕事をしていたりすると、彼らのその人となりが見えてくる。彼らも、もちろんだが、まったく普通の人間であるということ。だれもが必ずしも完璧な人格者ではない、ということ。だから、すべての霊視というのは、その人の人間性が反映されているということ。
ここが大事なポイントだった。

たとえば、2人の霊能者、AさんとBさんがいるとしよう。Aさんが私の彼氏を視た。すると、Aさんにとって全然その彼氏が好みじゃなかったら、あまりいい答えが出ない。むしろ別れろ、と言われるぐらい。でもBさんが同じ彼氏を視たときに、それが好ましい愛の形だったら、ガンガンとオススメしてくる、といった次第だ。

「人生、案外捨てたもんじゃないよ、のんびり行こうよ」と思っている霊能者さんが語るアドバイスは「あなたはこういうクセがあるみたいだけれど、まぁ欠点のない人なんていませんからねぇ。あなたが気づいてなくて今のところ大きなトラブルが起きていないのなら、そのままでいいんじゃありませんかぁ?」と言うかもしれない。
一方、完璧主義者で「厳しいのが、この渡世。なめたら、あきまへん」と思っている霊能者さんだったら、「そんな態度でどうするん。徹底的に直さなあかん。その性格、最悪やで」と言うかもしれない。

すべての人は自分のフィルターを通してこの世の中を見ている。でもそれって、それは霊能力がない人でも、誰でも同じことではないのか。
同じ食べ物を食べて、美味しいと感じる人、不味いと感じる人。ある恋愛を見て、これが「本当の愛」だと思ってしまう人、ただの「発情」だと思う人。ある友人は私を「正直者」と言うかもしれないし、「率直なだけで正直者ではない」と言うかもしれない。
その人の経験値でこの世界、なんとでも取れるのである。
霊能者であれ、人は人。神秘性に惑わされがちだけれども、決して、神の声ではないことに気がついたのであった。

また、自分のおよび知らない、故人のことやあの世のこと、墓のことなど言われると、信じるべきなのか、従うべきなのか判断が付きにくいのが一般ピープルだ。
しかも霊能者に言われると、マジか、言うことを聞かないと祟られまいかと不安になったりもするのだ。

でも、やはりそのときも、自分が本当にどうしたいのか自分自身に問うことが大切なのだと、場数を踏んで学んだ。
墓や故人やあの世に関しては、もうズドーンと刺さって、その通りにすると自分の心が落ち着きそうだ、という言葉だけをありがたく拾うべきだと思う。「それを信じると、自分もめっちゃハッピー」というならその言葉を受け取るし、「めんどくさいなー、やだなー。そうじゃないだろう」と思うならやならくていいと思う。
だから、たとえ「すごい霊能力者」と言われる人が、何かを語ったとしても、自分の心が納得しなかったら従わなくてもいいのである。

これはオカルトな話に限らず、すべての友人や知人のアドバイス、すべてのカリスマと名のつく人々の発言にも、言えること。よく当たるとはいえ、占いも同様だ。もちろんアドバイスの中には、素晴らしいものもたくさんある。でも、きちんと自分の頭で咀嚼して、納得した道を行くことにしようと思っている。
一番怖いのは、「本当かなぁ、でも○○さんのアドバイスだからなぁ……」なんて思考を停止にして従うと、だんだん自分で感じられなくなってしまい、自分で考えられなくなってしまう。ここが霊能者と接するときの落とし穴だ。
GOか否かは自分に問うしかない。
ここを踏み外すと、いかがわしい宗教に盲信してハマる人と同じ構造に陥ってしまうのである。「洗脳された」と言われる人たちは、自分で考えることを放棄してしまった人のことを指すのだ。

繰り返すが、霊能者もいわんや霊すらもしょせんは「他人」。
相手がどんなにスゴく見えたとしても、何を言われようと、自分は「自分」を手放してはならないのだ。



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今泉真子 mako imaizumi
ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️