“現実と虚構の区別”について

どうも、まくらもとです。
突然ですが、僕は鬱な展開や報われないエンディング、そういったものが好きです。
なんででしょうね、あの心にずっしりとくる感じ、大好きなんですよね。
なにより、ハッピーエンドにはない現実味みたいなものを感じるんですよね。

自分で直面するわけじゃいないのにね。

実体験するわけではない安全圏から見てる事象に現実味を求めるって、冷静に考えるとどんだけ上から目線なんだよ、って思えますよね。
まぁ、フィクションにリアリティがあることは作品を深めるのには必要なことだし、鬱な展開抜きにもリアリティを備えている作品は多々あるでしょう。

長くなりましたが、そんないわゆる鬱展開大好きなまくらもとですが、Youtubeで、とあるゲームを知りました。
その名も「さよならを教えて 〜comment te dire adieu〜」。
知る人ぞ知る、徹頭徹尾救いのない鬱アダルトゲーム。
詳しくは興味のある方の各々で調べていただけると幸いです。
なにぶん、非常に重たい話なので…。

じゃあなんでそんなゲームを話題に出したんだよって話なんですけど。
その理由がこちら。

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おお、こわい。いや、冗談じゃなくまくらもとはテロップ恐怖症でして。
お昼ごろにやってるドラマの再放送の注意テロップとか大の苦手です。

それは置いといて。
すさまじい注意書きですよね。ある意味ネタバレにもなっている部分があるかもしれませんが、こういう注意書きが必要なくらい淀んだゲームなんですよね。

これを見て、ふと思ったんですけど、”現実と虚構の区別”ってありますが、その”区別がついている”かって、実際に現実と虚構の区別ができていない人には正しく認識できないんじゃないかな、と。
そう考えると、注意書きだけでご飯いただけるくらいのホラーですよね。

だって、現実と虚構の区別がつかない、ということは、虚構を現実だと思っている、もしくは、現実を虚構だと思っている、ということになりますよね。

つまり、本人からしてみれば、正常に現実は現実、虚構は虚構、そうとらえてるわけで。

そうなってくると、そもそも、僕らの言う現実というのは、それぞれの認識でしかないんだよなぁ。
とか、みんな大好きニーチェ先生がおっしゃってた「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。」みたいなことを考えはじめ、さあ大変。

ってほど、大変ではなかったんですけど、そう思ってくると、自分はちゃんと現実を認識できているのかってのが少し不安になってきますよね。
世の中にはそういった考えに囚われ大変な目に遭っている人もいると考えると、なんというか、怖いとかよりもさらにリアリティが勝ってくるような。

こうやって考えると、フィクションをフィクションとして楽しむことができるってありがたい話っていうか、そうあるべきっていうか、考えるのに飽きてきたというか←

ってなことを考えてましたよってだけの話でした。

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