これは私の物語「82年生まれ、キム・ジヨン」
日本語版が刊行された時、本屋では平積みされ印象的なポスターが大きく貼り出されていた。著名人のコメントや読んだ書店員の感想なども掲載されていた…ような気がする。
印象的だったのに読まなかった。
読む時間がなかった。
当時は本に興味を持てなかった。
当時の自身が置かれた環境もあったが、手に取らなかったと言う事実から3年後に、私はこの本を開いたら、そこには私の物語があった。
1982年、昭和57年生まれ
わたしも1982年、昭和57年生まれである。
わたしは結婚し、子どもを産んでいる。
結婚や出産を機会に仕事を辞めなかった。
私が働かないと生活が成り立たないからだ。
産休に入る直前まで夜勤をして、育休は半年と決めていた。生まれる子どもを保育園に預けるために、臨月間近のお腹で保育園へ申し込みに向かった。
仕事復帰した後は、母乳を絞って冷凍しておき、保育園に子どもと一緒に保育園に預けた。子が熱が出たと連絡があれば職場で謝りながら早退し、休んだ次の日は謝りながら出勤した。
夫はいつも通り仕事に行き、いつも通りに帰ってきて風呂に入り、出てきたご飯を食べ、疲れたからとソファで横になりテレビをつけながら寝ていた。
仕事をして家事と育児をして。その繰り返しの中で、どうして育メンという言葉があるのだろうといつも疑問に思っていた。
どうして父親が数時間子どもの面倒を見たり、家事を一つすると「旦那さん、偉いね」と誉められるのだろう。
わたしは?
わたしたちは?
子どもが赤ちゃんだった時の記憶があまりない。
必死すぎて覚えていられないのだ。
誰も誉めてくれない、孤独なあの日々を。
「ママ虫」
自分の時間をすり潰して必死に生活しているあの時代に「ママ虫」と呼ばれたら、当時のわたしはどう思うだろう。
キム・ジヨン氏が「ママ虫」と呼ばれた直後から夫が帰宅するまでの混乱がよくわかる。
怒りでも悲しみでもない「混乱」。これまでの人生と今の生活を振り返りながら、なぜそんなことを言われなくてはいけないのかと、何度も何度も反芻したはずだ。夫に対して昼間に言われた言葉を口に出した途端、その言葉の鋭利さに自分の心から血が流れ、深く傷付いていることに気付いたのだろう。
キム・ジヨン氏の物語は、主治医である精神科医の記録の形で綴られている。精神科医の視点に戻った時に、この本の、そしてこの社会の残酷さを見せつけられた。そして、この物語がキム・ジヨン氏一人だけの物語ではないことに気付かされる。
これは、私の物語なのだと。
表紙には顔がない女性の絵が描かれている。
まるでマグリットを連想させる、冷感のある絵だ。
抜けた顔の部分には荒涼とした景色が見える。
向こう側が抜けて見えているのではない。
こちら側の景色が、女性の顔に映っているのだと理解する。