本が出来ました。
ドイツでは、出版する為に、出版社にお願いすると、半分は資金を自分持ちか、スポンサーに出してもらわなければいけない。
だから、私は、出版数が多くなるので、Amazonで個人出版で出版している。
アーチストを撮影して、カタログ的に使うので、それが都合が良い。
だけど、日本人は、出版社が商業的に出版したもので無いと、あまり興味を持たれない様だ。
私は、クラウドファンディングを試してみたが、お金の為というより、宣伝になるならと思ってやってみた。
今回の日本語の本は、興味を持たれる様な内容では無い。
ドイツ語の本は、ドイツでの事でもあり、参加者自身がこの取材を大事な事実の記録として重要視してくれている為、買ってくれている。
テレビや大手のメディアが報じないまま、2年以上もドイツ全国1600以上の町や村で、毎日のように続けられているデモ。
こんなに大きな動きなのに、報道されていないので、ドイツ国内でも全く知らない人は多い。だから、ネット情報を見ない人には、紙の上の情報としての重要性を理解している。
ドイツやヨーロッパでは、でも自体は普通に行われていることではあるらしいけれど、2020年から、ますます増え続けて、コロナ規制が緩くなった様に見える今でも、大きな波は衰える事がなく、この様に全国で行動が止まらない状態は、歴史的に見ても初めてのことだと言っていた。
私は、日本人が興味を持たなくても、次の取材に入ろうと思ってる。
日本人は、怒れない人種なのだろう。そういう教育を受けている。
だから、日本人に合った目覚め方が必要なんだと思う。
彼らは、目覚めてるのでは無くて、気がつくと言った方が良いのかもしれない。今まで、従う事を学び、同調圧力に合わせる生き方で自分の存在を守ってきた人々には、
ドイツ人とは違う導き方が必要だと思う。
宗教では無く、政党でもない。私は、個人でありたいから、宗教や政治を持ち込まないつもりだ。
まずは、誰かが言うからでは無く、自分の怒りを自分の言葉で言えるようにならなければいけない。それができるには、自分が何かの人質状態で生きててはできないことだ。
自分の進退を補償できて、自分の言葉で人生を終わらせなくても良い環境が必要だ。
人を傷つける為の怒りでは無く、自分の尊厳を守る為の怒り。NOと言うには日本は辛すぎる。個人を認めるのが普通の社会じゃない。