新型コロナ時代想(8)・・・ダイヤモンド・プリンセス号の危機管理

今まで「新型コロナの時代に想う事」というタイトルで駄文を連ねてきましたが、いろいろ書き出してみると結構色々考えることが出てきて当初考えたよりも長くなりそうなので、タイトルだけでも短く「新型コロナ時代想」と変えてみました。今回のテーマであるダイヤモンド・プリンセス(DP)号の問題は、この連載を書いてみたいという動機の一つでした。一時期危機管理の仕事をしていたこともあり、DP号で起こったことと周囲の人たちの反応について考えることが多かったので少し長い文章になることをご容赦ください。

クルーズ船の内部で何が起こっていたか?

2020年2月18日、ネットで「ダイヤモンド・プリンセスは新型ウイルス製造機」という衝撃的な見出しを見た。神戸大学の岩田健太郎教授がCOVID-19感染拡大対応中のダイヤモンド・プリンセス(DP)号に乗船し、内部の状況をYouTubeで世間に告発した、という内容の記事だった。私は以前岩田教授がエボラウイルス感染対応で訪れたシエラレオネについて語る放送を聞いたことがあり、岩田教授が感染症とワインの専門家であるとの認識を持っていた。エボラの対応の経験がある専門家が酷いと感じる現状はどういうものなのか、非常に興味を持った。

早速YouTubeで岩田教授の主張を聞いて感じたのは「ゾーニングができていない」というのと「いろんな人が船内に出入りしている(そして入っていない!)」ということだった。そして岩田教授はいろんなところを調査されたのかと思いきや、たった2時間ほどで追い出されてしまった、ということに驚いた。この後岩田教授と厚労省、そして岩田教授の乗船に関与された高山医師との間で激しい議論が行われ、周囲からも様々なコメントがなされ、いわゆる「バズった」状態となった。ここで私は医学的な観点でのそれぞれの立場の是非は判断できなかった。ただ、私は「危機管理ができていないな」と感じたので、その点について本稿で述べてみたい。。

ダイヤモンド・プリンセス号になぜ対応しなければならなかったのか?

そもそも英国籍のDP号を横浜で遇するにあたり、日本国はどういう視点を持っていたのだろうか。約4,000名の乗員乗客を擁するこの客船において、DMATやDPAT、厚生労働省の役人達は何を目指していたのだろうか。危機管理において重要なことは、何もしなければ生じる最悪の事態を想定して、それを避けるために打てる手を実行していくということである。DP号の中で起こったことは、4,000名の乗客の中に1人感染者が紛れ込んだことで、全員に感染のリスクが発生したということである。これを日本国内に擬えれば、この一隻の船の乗客が日本全体に感染を広げることにならないか、という事態が想定された。結果的に一ヶ月の間に3,711人中634人の感染者を出した比率(17%)をそのまま適用すれば瞬く間に日本国内に感染が拡大する図は専門家の頭にも過ったのではないか。ここで最悪の想定から導かれる対応は「水際対策を行う」ということになる。従って無防備に乗客を上陸させてはならないし、乗客は感染の有無を問わずに隔離しなければならない。

水際対策で重要なこと

ここで恐らく対応を行う医療関係者には大きなハンディキャップがあっただろう。新型コロナウイルスについては2月初旬の段階ではあまりにも情報が少なく、適切な対応のレベルを判断することはできなかった一方、今まで経験のない4,000人の塊が目の前に置かれたのである。この状況にどう対応すべきか、最初の段階で対応を任された方々には大きな困難が立ちはだかったと思う。実際には日本環境感染学会とDMATとDPATと役人と自衛隊と色々な関係者が入り込むことになったようだ。
しかし、水際対策と定義すれば自ずと優先順位は定まってくる。守るべきは日本国内なのだ。船内隔離が妥当だったのか、それとも上陸させるべきだったのか、という議論は大きな問題ではない。横浜の埠頭に仮設の病院を建設して隔離しても、それはどこに線を引くかの問題に過ぎない。線を引くべきは「乗員乗客」と「対応支援者」の間である。岩田教授が指摘したのはこの点で、グリーンゾーンとレッドゾーンが分かれていないと感染の恐れのある乗員乗客に対応支援者が紛れ込んでしまい、これでは水際対策が用をなさない。岩田教授の指摘に対しては「現場は一所懸命やっているのだから」とか、「後からそんな綺麗事を言っても」といった非難が浴びせかけられた。さらに、高山医師からは「岩田教授を知らない人には刺激が強い」といったような揶揄するコメントもあったように思う。確かに岩田教授はDP号の対応チームには参加しておらず(その理由は知らないが)、外野から問題点を指摘するのは簡単に見える。現場の方々はもしかしたら「そんなことは言われなくてもわかっているけどできないんだよ(部外者は気楽に言えるが)」という反応だったかもしれない。しかし、目的の第一を「水際対策」と認識していれば「正しいとわかっていることはやらなければならない。できないのなら対応してはならない。」というレベルのことだと思う。そしてもしやりてくてもできなかったのであれば、次に考えなければならなかったのは「なぜできなかったのか」ということだろう。

DP号乗客乗員への対応は?

DP号対応の第一優先度を水際対策と位置付けた場合、DP号内部の乗員・乗客への対応は二の次になるとの印象を持たれるかもしれない。ただ入港を拒否して追い出さなかった以上、対応する義務は生じている。そこで対応を検討するにあたってはいくつかの異なるレベルを区別して考える必要がある。
まず(1)COVID-19の感染拡大の防止である。4,000人のうち、当初感染していた患者からの感染拡大を防止することである。
次に(2)感染していないということが保証できないため船内で隔離されている人たちの生活の維持である。報道で出てきていた「常備薬がないので欲しい」とか「ずっと部屋から出れないのは辛い」などというのはこのレベルの話である。実際には対応に携わった方々の大半はこちらの方の対応を行なっておられたのだろう。それぞれの役割分担の中で対応していると目の前の問題の解決に全力を尽くそうというのは当然である。しかし、この対応は(1)の感染防止目的に照らして可能な範囲でのみ行える、ということである。従って、まず検証しなければならないのは、船内感染がきちんと制御されていたのかという点と隔離がきちんと機能していたのか、ということであろう。私自身にこれを検証する能力はないが、船内サービスを感染確認ができていない乗員が継続していたという話と、隔離期間が一定の日から二週間と限定して一斉に下船させたという点については対応の不徹底の証左といえるのではないだろうか。隔離期間を設ける理由がPCR検査の能力や精度の観点から100%の精度で非感染を証明できない、ということだとすると隔離期間は「最後に感染のリスクに曝された日から二週間」とすべきで、徐々に感染拡大していた船内の状況からは人によって個別に設定されるはずである。さらに、乗客のメンタルヘルスを支えるDPATの方々は優先順位は低かったはずである。言い換えれば「DPATのメンバーが不慣れで感染対応ができない、あるいは指揮系統が複雑になって感染対応のオペレーションに支障が出るのであれば、乗船すべきではない」という判断が必要であったと思う。(DPATの方々にそういう問題があったかどうかについては筆者は知らないが、思考の順序を示すために仮設例としてあげさせていただいた。)

船頭は多過ぎなかったか?

DP号対応については、加藤厚生労働大臣が対外的広報の先頭に立っていたように見えた。これに加えて船内写真を撮影して墓穴を掘った橋本厚生労働副大臣や、別件で物議を醸した厚労省審議官などいろんな人が出入りしていたようだ。こういう危機管理の状況においては自然と人が集まってしまう。以前、大規模なシステムトラブルの対応に携わったことがあったが、問題発生が報じられると社内のいろんなところから「専門家」が参集し、対応のためのプロジェクト・ルームに立錐の余地がなくなってしまった、という笑い話がある。責任のある人たちは「明らかに必要とされるか貢献できることが確実でない限り現場に行かない」「信頼できるリーダーを任命したら任せて責任だけ取る」ということが重要である。(よく、災害の時に知事が出かけていた云々の批判が巻き起こるが、携帯で連絡が取れれば実害はないはずであり、ひたすら献身を求めるこの国の世論・報道姿勢は百害あって一利なしだと思う。)

政治家ができることは政治的責任をとることのみ

政治家の方々は危機管理対応の基本線を現場の専門家のリーダーと握り、そして現場がその基本線を実現できるようにひたすら支援していく。そして対外的には政治的な責任を取るということである。具体的には「乗客のケアが不十分ではないか?」という批判に対して「そういう問題が生じていることは理解している。しかし本件は先ず日本国内に感染を拡大させないという水際対策を最優先に実施しており、その中で可能な限り乗客へのケアを実施しているということをご理解いただきたい。このような事態は初めてであり、事前の想定を越えるようなことも色々と生じてきているが、現場は最大限対応しようとしているので皆さんからも温かい支援をお願いしたい。」というぐらい言い切ってしまってほしい。八方美人の対応は無理であるということだ。与党だけではなく、野党側も「意味のない質問だよ」とヤジを飛ばされるような質問は控えて大人の対応をすべきなのだが、今の与野党の信頼関係では無理なのだろうか。どちらの側にも危機の状況において腹を据えて対応を握れる重鎮がいないのだろうか?


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