新型コロナ時代想(9)・・・続ダイヤモンド・プリンセス号の危機管理
結局、ダイヤモンド・プリンセス号とは何だったのか?
2020年6月から振り返ると、あれほど大騒ぎしていたダイヤモンド・プリンセス(DP)号の感染問題は遠い昔の話のように見える。今、わざわざDP号について思い出す人も少ないのではないだろうか。その後様々な事件や問題が立て続けに出てきてすでに世間の関心は他に移っている。そして残念ながら新型コロナウイルスは我々にとってより身近なものになってしまった。
武漢ウイルスは阻止できた模様
新型コロナウイルス感染症がいつから発生していたかについては、2020年6月時点では色々な説がある。ウイルスの遺伝子分析によれば当初感染を拡大していた武漢発のウイルス自体については、後に日本国内で感染拡大したものとは異なるという分析結果が示されている。そうだとするとチャーター機やDP号、雪まつりなどの中国からのウイルスはほぼ水際で阻止されていたということになる。ただ、それが結果オーライなのか、水際対策の成果なのかは慎重に考える必要がある。ここで短絡的に「だからDP号の対応は正しかった」との結論を導くことはできないし、「何もしなくても良かったのでは」という批判を正当化することもできない。これについては、落ち着いてから「建設的な検証」が必要だが、ひとまずの私の直感は「おそらく小さな不都合・ミスはあったが、科学的には大きな間違いはない対応を実施して危機を管理できた」というものである。関係者の皆さんご苦労様でした。
失敗したのは広報戦略では?
しかし、一般的にはDO号対応に日本は失敗したという印象が残っている。2月から3月初めにかけての報道等でそういう評価が流れ、そのまま再評価されることもなく、放ったらかしになっている。しかしこの国は昔からの舶来思考で、外国の言うことは正しい、と言う思い込みから抜け出せないようである。前にも述べたように、私は日本のDP号対応は及第点だと考えている。ただ、一つ明らかに失敗したのは広報戦略である。この後の一連の経緯において日本のコロナ対応が評価されなかったのは、政府のグランドデザインを国民に伝えることができていなかったからである。その結果、政府の対応能力への疑念を植え付けることになってしまった。
危機管理において当事者にも第三者にも伝えるべきは”Everything is under control”ということである。危機状況においては、良くないこと、起こって欲しくないことも起こるが、それらの可能性は踏まえた上でアクションがとられているということが重要であり、そこまで考えて対応しているのであれば、対応者の管理能力には一応の信頼が置けるものである。そしてそこで重要なのは「想像力」である。
この時点で、日本にとって不利な状況だったのは東京オリンピックの行方が定まっていなかったことである。オリンピックを予定通り開催するには、危機は管理されているだけでは足りず、存在しないとアピールしたかったのではないか?その結果広報戦略に足枷となったのであれば残念である。ただ、広報以外のところではオリンピックの延期も含めて色々なオプションが想定され、実際の対応には影響していなかったと思いたい。
DP号の教訓は活用できたか?
今からDP号の感染拡大事案を考えると、新型コロナ対策について国全体に習熟させる良い機会と期間だったのではないかと思う。不謹慎かもしれないが、多くの国民にとって、DP号は対岸(壁?)の火事だった。しかしこの感染症の恐ろしさと感染管理の難しさ、医療リソースの問題を考える良い機会とできたはずである。さて、この教訓を我々が活用できたかは、それはまたあとのお話、、、