カニカマは世界を救うか
先程から、『カニカマは世界を救う存在であるか』ということに思いを馳せている。
言うなれば、カニカマはフェイクである。だが、フェイクだからと言って世界を救えぬという道理はない。
だがその一方で、偽物というのは本物と真逆の行動を取るようなものも存在する。ニセウルトラマンこと、ザラブ星人がその代表格だ。
結局のところ、本物であるか偽物であるかというのは、世界を救うという尊い行為の前においては関係ないことであり、第三者である我々が勝手に、
「カニカマか、あいつぁダメだ。何しろ偽物だからな」
なんて言ってしまうとたいへんだ。拗ねもする。そりゃあ、目つきも悪くなるしつま先も尖る。街も破壊する。
こうした一連の思考の推移から、『カニカマであろうが、カニであろうが、世界は救える』という結論に達し……いや待て。
そもそも論として『カニが世界を救う存在であるか』ということを論じていないし、『タラのすり身は世界を救えるか』ということについても論じていない。
これらを論じるには酔いが足りないので、もう少しビアを追加しなければいけない。
ぐびぐび、とビアを胃に流し込み、皿に残ったカニカマをぱくぱくと片付ける。空腹にアルコールは良くないからね。
しばらくすると薄ぼんやりとした酔いを感じ、気分が良くなってくる。これならば何時間でもセルフ議論を交わせる気がしてきたのだが、果たして何を論じていたのか思い出せない。
それを思い出すために、ビアをもっともっと呑まねばならない。
なんと幸せなことだろう、とおれは感じた。
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