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女性としての幸せとは

男兄弟の中で育ったわたしは

4人兄弟で女はわたしだけ

気は強く持たないと

一緒にはやってはいけないし

おまえは女だからと言う言葉が

無性に腹が立った。


女だからなんなんだ!

こっちだって仕方なく女に生まれたんだと

思っていた。


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こんなに素晴らしいギフトに

気づいてなかった。

幼少の頃から

どこかで女の子らしさを失っていた。

いつもズボンを履き負けず嫌いで、

闘争心に燃え

売られたケンカは迎え撃つぐらいに

ピリピリしてた。

なんでそうなったのか…



ある日、

小学校の授業参観に母親が来て

女子はヒラヒラのブラウスでふんわりスカートを

履いているのを見て

さすがに気づいたのか


わたしもヒラヒラさせたかったし

買ったもらった

でもなんとなく違和感、

やっぱりしっくり来ない…

なんとなく合わない…


もともと運動が好きで

活発だったから

必要なかったのかも。



そんなわたしも時を得て

恋愛し

結婚して子供も授かり

後に離婚し

シングルマザーとしての道を選んだ


一度は結婚も出来たし


子供も1人生むことできたし


今は仕事があり


生きがいもあり


やりがいも感じている。


ただ、女性としての幸せとは なんだろうとずっと考えていた。



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今は女性としての幸せよりは

生きることの豊かさを

感じることに重きを置くことにした。


両親の死に直面したり

これはまた後日に話します


離婚という経験が

あらゆる自信を無くしてしまった

素直な自分というものが

出せなくなってしまった


どこかで幸せにはなれないという

呪縛を

自分自身で縛っていたのだと思う


やりたいのにやれないのは

お金がないから

子供がいるから

時間がないから

信用出来ないから

親がいないから

パートナーがいないから

仕事がないから


全部ないからできないと

思い込んでいた。


でも今は

その出来ないことの言い訳を

しないようになった


あるタイミングで

自分への信頼を取り戻し

素直な自分を受け入れる事ができた。

受け入れるってことは

こういうことかと。


自分を信頼すること

信じたら不安や恐怖がなくなる


そして、当たり前のことに感謝すること

感謝感謝とことばでは

言っていたけど

本当のありがとうを

毎日言っているのだろうかと


毎日息子がそばにいてくれてありがとう

仕事があることにありがとう

ごはんを食べれることにありがとう

友達がいてくれてありがとう


何かがなくならないと

有り難さが分からないのは

実はとっても苦しい


小さなありがとうが

小さな幸せが

少しずつ自分を満たし

心がたくさんの愛でいっぱいになると

溢れてくるので

みんなにも分けたくなる。


少しずつ少しずつ

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