あだ名の話
先日、フォローしている三國万里子さんのツイートを読んで、ほのぼのした。
ご子息が自分のあだ名を自らプレゼンして、以後それが定着して周囲に親しまれ呼ばれていたというツイート。いいなぁ、この話。
あだ名か。。。と思うと同時に小学生時代の男子の変なあだ名とその面々が頭に浮かんできた。
あだ名って大体は本名を文字って、「あきお」だったら、あっくんとか、「たかふみ」だったら、たみちゃんとか、そういうものが多かった。
しかし数人はイレギュラーなあだ名だったのだよな。30年以上たった今でも頭に残るあだ名たち。
魚屋の息子で歯が出っ張り気味だった男子。
最初についたあだ名が、「さんま」。それがすぐに「サバ」に変化して最終的に『さばっちゃ』に落ち着いた。
出世魚ならぬ出世あだ名、とは本人がこのあだ名をどう思っていたのか不明なので言えないが、あだ名は進化していくものだった。
スプーンおばさんに出てくる犬のキャラクターに似ていると誰かが言ったから、「ブービー」と呼ばれるようになった男子。最終的にブービーから『ドゥーディー』に変化していた。ドゥーってちっさい『ゥ』が発音に入ってる当たりが実に小学生男子っぽいなと思ってしまうが、偏見かしらん。
そして、背は低いながらもぽってりとした体格で、物怖じしないひょうきん者だった(ダイノジの大地さんみたいな)男子のあだ名が「先輩(センパイ)」。
しかし、このあだ名も言葉尻だけ変化して後に、『せんちん(便所の意)』になった。
みんなとガハハと笑って楽しそうだったが、あだ名は便所。気にしていないようだったけど、実際はどうだったのか?。
私の夫は学生時代に太っていて色白だったので『白豚』と呼ばれていたらしい。その頃に比べてスリムになった今は笑い話にして話してくれるのだが、いまだに自分の体型の変化にかなり敏感なところを見ると、このあだ名に学生時代は心を痛めてたんだろうと推測している。
そしてあだ名と言って思い出すのは、自分が知り合ってすぐの人につけたあだ名のこと。
20年以上前のこと。
私は短大に入学して4人部屋の寮に入った。親元を離れて初めての寮生活で同部屋の人たちと顔を合わせて自己紹介しあった初日。私は同部屋との人たちとこれから仲良くやっていきたいと意気込んでいたと思う。その中の一人は長崎から入学してきた人で、目尻の下がった優しい顔で声のトーンが柔らかい、物静かな雰囲気の人だった。演劇放送の学科に所属しており、将来の夢はラジオのDJだと言う。ラジオのDJになりたいというには、私から見ると彼女はいかにも慎ましく、こんな控えめな彼女が喋る仕事がしたいんだと内心、驚いた。
一方、私はお調子者でペラペラものいうタイプ、この控え目な彼女とどうやったら仲良くなれるかなと思う中、
『みーちゃんって呼んでもいい?なんとなく雰囲気が、みーちゃんって感じがするんだよね。』
と突拍子もない言葉を発していた。彼女の本名は、美咲でもみつ子でも、美奈でもない。全然、みーちゃんと呼ばれる筋合いはない名前なのだ。
彼女は笑って、『いいよ』と言った。
それから、同部屋の他の二人も彼女をみーちゃんと呼び、他の同級生の寮生も皆、みーちゃんと呼ぶようになっていった。
時折、私は自分であだ名をつけておきながら、みーちゃんに良かったんだろうかと思うこともあった。本当は嫌だけど、しょうがなくこのお調子者を受け入れてくれてるんじゃなかろうか。と。
2年間で部屋の入れ替えもあり、同部屋ではなくなっていたが、みーちゃんとは顔を合わせれば声を掛け合い談笑した。
そして2年間はあっという間に過ぎて卒業の時がきた。
寮生それぞれ、メッセージカードを書き合って交換する中で、みーちゃんからもカードが届いた。
みーちゃんは本当に字が綺麗な人だったのだけど、その美しい文字で書かれていたのは、
「みーちゃんというあだ名をつけてくれてありがとう。私は、渡辺美里さんの大ファンで、みーちゃんとあだ名をつけてくれた時、本当に嬉しかった。」
というような内容のメッセージだった。
私は嬉しかった。あんなに突然、突拍子もなくつけたあだ名を、みーちゃんは嫌がっていなかった、それどころか喜んでくれてたんだ。
それから、私たちはそれぞれの道に進み、みーちゃんとはそれきり会うことも連絡を取ることもなくなってしまった。みーちゃんは何しているかな、元気でいてくれたら嬉しいな。きっともう彼女をみーちゃんと呼んでいる人はいないと思うけれど。
さばっちゃや、ドゥーディー、せんちんもみんな、どこかで今は自分の名前を呼ばれて暮らしているんだろう。
たかがあだ名、されどあだ名。
自分が気に入った愛されるあだ名っていいよな。
そんなふうに思ったツイートから思い出した出来事を綴りました。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
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