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今年の修行について

この記事を読んでいる方はご存知かも知れませんが、毎年私はこの時期に二度、「お詣で」と題して一年の修行の火蓋を切っています。

はい、例の、寒空の中を肌を晒してってやつです。

でも、今年はそれがありません。私が参加する行事が、ことごとく新型コロナの影響で中止になっているからです。無理もありません。密になりますから。

たとえ地縁のない地域での行事とはいえ、それは私にとっては大事な「お詣で」です。自分が心身ともに、天地人に恥なく一年過ごしてきたことの報告ですから。

丁度今の時期にあたる、二度のお詣でのインターバルには非常に精神状態が不安定になります。それぞれの厳しさ、そこから得る(頂く)ものはまったくの別物です。


でも、所詮それは、「他の誰かが用意した『場』に、そのルールに則り入れてもらう」ことに他なりません。それを私が勝手に、自分の大事なこととして位置付けているだけです。

今年の修行は、「ひたすら動かない」「形として残さない」という選択肢も視野に入れています。動かなくとも、外に出なくとも、裸にならずとも、私は常に、天地人に見られ、その行いを評価されているでしょう。

また、「動くこと」「形に残すこと」がすなわち、邪な下心を生むかも、今まで生んでいたかも知れません。私が気づいていないだけで。

それを踏まえた上で、天地人に恥じない振る舞いを、自らに静かに問いながら過ごして参ります。

そして、来るべき時が来た時点で、私は再度、氷を渡り、火をくぐって「馬鹿だけど潔い」と、あらためて評価されたいと思います。

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