棚田はなぜ美しいのか
「日本人が一生使える勉強法」(竹田恒泰 著)のある箇所に大きな衝撃を受けました。
同書によると、ハリス初代駐日公使は日本の美しい棚田や段々畑を見て「人々は喜びながら働いている」と感嘆の言葉を日記に残しています。
私は真っ平らな越後平野で生まれ育ちました。
斜面にある農地を見るたび、
「農作業が大変そうだな」
「農業機械は入れるのかな」
「水はどこから引いてくるのかな」
などと、美しさよりも日々の苦労に思いを馳せていました。
ところがそれは、ひどく心が貧しい考え方であったと目が覚めるようでした。
数学の世界では、美しいものは正しいと言われます。
未解決であったとしても、美しい命題や証明はおそらく正しい。
そして、正しいとされる定理や証明は美しい。
正しいものは美しいのです。
使い込まれた工芸品などの暮らしの道具もとても美しいです。
整った美しさ、新品の美しさとは違う美しさ。
道具を作った職人の誇り、道具を使って日々仕事をする人の誇り、そんな積み重ねられた人々の想いがそこにあるのではないでしょうか。
レンガ職人の有名な話があります。
他の職人の話に変わることもありますが、内容はどれも同じです。
レンガを積んでいる職人に「何をしているのですか?」と尋ねます。
ある職人は「レンガを積んでいます」
別の職人は「壁を作っています」
さらに別の職人は「人々が祈りを捧げる大聖堂の壁を作っています」
と答えます。
どの職人が良い仕事をするかは明らかです。
どんな仕事にも目的があります。
その目的や自身の状況を正しく理解したうえで、そのためにできることを精一杯やる。
よい仕事というのは、そのような想いの蓄積の結果なのではないかと思うのです。
そして、正しくて美しい仕事ができあがっていく。
斜面での農作業の苦労は計り知れません。
それでも美しい棚田や段々畑には、その苦労を超えて余りある、大地の恵みに感謝し、農地を大切に想い、日々の仕事にやりがいを感じ、農作業に汗を流す人々の誇りがありました。
ただ農作物をつくるという目的だけでは、田畑は美しくはなりません。
美しさは、やらされ仕事ではなく、人々が誇りを持って働いていることの証だったのです。
今では、棚田や段々畑はさらに眩しく、輝いて見えるようになりました。
最後に、公務員の頃には実現できなかった自責の念を込めて。
せっかく自分で選んだ仕事なのだから、誇り高い「美しい」仕事をしていきたいと心から思います。
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