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まわたのきもち 第11号

「人間化、を考える」

“Soon ah will be done”という合唱曲がある。

 僕が3年間を過ごした中学校は、「合唱による学校づくり」が盛んな学校で、音楽の授業は合唱が中心だった。10月にある合唱コンクールで最優秀賞をとった僕のクラスは、町のイベントや高齢者施設での合唱披露など、学校外で歌う機会もたくさんあった。僕は、「音痴だから歌いたくない」という安易な理由で指揮者をしていた。“Soon ah will be done”は、そんな中学時代にクラスで歌った曲の1曲だ。

 ピアノによる伴走がない、いわゆるアカペラのこの曲は、指揮者が全てのパートの呼吸を合わせなければならず、合唱の指揮法が専門だった音楽の先生に何度も指導を受けた。歌詞の内容は、アメリカの黒人奴隷たちがキリスト教の信仰に救いを求めすがったもので、無理やりアメリカへ連れてこられた奴隷たちが、きちんと英語を教わらないままに話したいわゆる「黒人英語」が多用されている。

 久しぶりにこの曲のことを思い出し、某動画投稿サイトで見てみた。そしてこの曲を聴きながら、今度は大学院生時代に読んだ名著、『被抑圧者の教育学』の内容が頭に浮かんだ。ブラジルの教育思想家のパウロ・フレイレが1968年に書いたこの本は、世界的名著とされ、十数年前に教育学を学んだ僕も、必ず読むべき本として紹介された。フレイレは、文字を持たない「抑圧された人々」、例えば植民地や地主権力の強い農村などで生きる人々(民衆)が、文字を知ることによって、自らが踏みにじられた客体ではなく、自分自身の言葉を武器にして、自然、社会、文化に積極的に働きかける主体となっていく自らの実践を、丁寧に分析している。

 あわせてフレイレは、従来の学校教育を「銀行型教育」として激しく批判した。銀行型教育とは、生徒を金庫、教師を預金者に例え、教師が生徒に、知識をどんどん預金していく学校教育のあり方を指し、知識のかさの大小によって社会的階層が正当化される、非人間化を目指す教育であるとした。フレイレはここで、知識は所有できるものではなく、それぞれの経験をもとにして、問いを紡ぎ出し、それを深めていく「問題解決型教育」の重要性を説いたのだった。

僕は、“Soon ah will be done”を聴き、フレイレの『被抑圧者の教育学』を読み直しながら、イデアの子たちの教育を思った。イデアの子たちを、抑圧される者にしてはいけない。だからこそ、自分の言葉を持つことができるように、毎日作文を書いてもらい、持つべき言葉とは何かということを一緒に考える。自分の考えを主張できるように、週に一度のスピーチの時間も大切にしている。大人が子どもを力で押さえつけるような空間を作ってはいけない。イデアは学習塾である。だから、子どもたちのテストの点数には敏感になるし、成績を重要視もする。しかしそれは、勉強を通して人生を学び、より幸せな生き方に想いを馳せてもらうためだ。フレイレは、教育者と民衆が“対等”であることを何よりも重視し、そこを出発点とした。力で屈服させ、大人の思い通りの子を「いい子」と呼ぶのは、「非人間化」を目指すことに他ならない。イデアはあくまで、子どもたちの「人間力」を育てたいと思うのだ。

今日は、少し難しい話になってしまった。『被抑圧者の教育学』を、イデアの書棚にも配架してみた。

(参考文献)パウロ・フレイレ著、三砂ちづる訳『被抑圧者の教育学 50周年記念版』2018年 亜紀書房


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