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まわたのきもち 第13号

「夏という季節」

「蛇を食べれられればご馳走。美味くは無いが、ネズミも食べた」

平成17年に亡くなった母方の祖父は、従軍の経験を、なぜか僕にだけは話した。娘である僕の母も、戦争中のことを聞くと不機嫌になるから、と言って聞けなかったと言っていたが、お盆やお正月に母の実家に顔を出すと、祖父は僕にだけはこっそり話してくれた。気象隊の将校だった祖父の家には、GHQから隠し通したという軍刀も残っていた(もちろん教育委員会発行の登録証は備え付けてあった)。

祖父は旭川の部隊にいて、ガダルカナル島に出征。飢餓地獄の中をなんとか生き延び帰還した日本兵約1万2千名の中の一人だった。当時の部隊編成などはいまだ不勉強だが、気象を担当していたことで、比較的後方での任務が多かったと聞いた。それでも「仲良くしていた仲間が、バタバタと死んだ」と、毎回のように亡くなった仲間のことを話してくれた。

中学3年生の夏休み、野球部を引退して、高校受験についても真面目に考えていなかった僕は時間を持て余していた。祖父から、「小遣いやるから畑を手伝いに来い」と言われ、僕の実家から50キロほど離れた母の実家に、1週間ほど拠点を移した。朝から夕方まで、家庭菜園と呼ぶには大きすぎる畑作業を、1日手伝ってお小遣い2千円。中学生の僕には大金で、毎日、祖父と二人で畑仕事をこなした。

「畑に作物ができるというのは幸せだ。作物もできない土地には食うものは無い。蛇を食べられればご馳走。美味くは無いが、ネズミも食べた。当番兵が頑張って捕まえたネズミを、まずいと言うこともできず、美味い美味いと言って食ったもんだ」

祖父にとっては強烈だった従軍の体験。僕にとっては、炎天下の畑でその話を聞くことが強烈な経験になった。四半世紀経って、祖父は畑を手伝って欲しかったのではなく、きっとこの強烈な経験を僕に話しておきたかったのだ、と思うようになった。お小遣いよりも大切なものを残してくれたのだ。

僕が大学生になった頃、母はよく「今のうちにおじいちゃんの戦争体験をまとめておいて」と話していた。浅はかにも、「面倒くさい」という感情が先に立ち、そのことに手をつけないまま、僕が学部を卒業した年に、祖父は逝ってしまった。夏休みが近くなり、イデアの子どもたちと、夏休みに楽しみにしていることについて話す機会が増えてきた。やっぱり、「おじいちゃん、おばあちゃんの家に行くこと」というのは、今も昔も子どもの大きな楽しみにひとつのようだ。そんな時は、「たくさんお話しを聞いておいで」と話すようにしていこうと思う。

小学生時代にも、強烈に印象に残る出来事があった。すでに鬼籍に入られた小学6年生の時の担任の先生は、広島県出身だった。夏休み明けのある日、原爆写真集を、僕たち教え子に見せてくれた。「ここには、かなり残虐な写真が載っています。それでも、目を背けてはいけません。この現実から目を背けたら、人類はきっと同じ過ちを繰り返します」という言葉が印象的で、自分なりに精一杯その写真集に向き合った経験は、僕にとってかけがえのないものとなった。

今年も夏が来た。僕にとって夏の訪れは、じいちゃんが話してくれたことを思い出し、担任の先生が見せてくれた写真集に思いを馳せる季節でもある。きっと、専門教科として社会科を選択し、“社会科思考”で物事を考えるようになったきっかけは、祖父と、6年生の時の担任の先生がくれた、2つの貴重な経験の影響を強く受けているのだと思う。夏休み、子どもたちと語らう時間はたくさんある。関わる大人の一人として、何を伝えていけるのかを考える。将来、貴重な経験だったと思ってもらえるような本当の学びを伝えていきたいな、と心から思う。

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