まわたのきもち 第17号
「勉強は選択肢」
勉強は選択肢を増やすことである。
イデアは子どもの入塾の際、必ず保護者の方に面談をお願いしているので、そのことは僕の信念として伝えるようにしている。「なぜ勉強するのか」あるいは「勉強よりも大切なものがある」という疑問や考えがあることは承知しているし、そのことに対する一定の理解もあるつもりではいるが、すでにそのことへの回答(あるいは反論)は、自分の中では明確になっている。
僕は小学2年生から野球を始め、大学まで続けた(大学時代は部活ではなく朝野球チームの遊びではあった)という話しは以前このエッセイでも書いたのだが、幸いにして体格に恵まれた(小学6年生で身長178cm、体重80kg、足の大きさは29cmあった)ので、投げても打っても同級生の中では一番遠くに飛ばすことができた。小学6年生の時の少年野球チームは全道大会に出て2つ勝ち、網走管内(現オホーツク管内)で一位になり、個人賞もいくつかいただいた。中学でも野球は続け、学年に比例し周りの体格も大きくなってはいたが、体格に恵まれた状態は続いた。打てば飛ぶので、バッティングがとにかく好きで、時間さえあればバットを振る、そんな生活だった。
中学では地区大会で敗退し、6月に部活を引退したのだが、これも以前書いた通り受験勉強へ気持ちは向かわずフラフラとしていた。そんな時に、北海道大会出場の常連校、網走管内では強豪と呼ばれる高校の野球部が地元で合宿をすることになり、同級生何人かと練習を見に行った。その練習の迫力に圧倒されながら見ていると、突然コーチの先生から声をかけられた。先生は僕の名前を知っていて、その日の夜に、旅館の駐車場で何人かバットを振るから、一緒にやってはどうか、というお誘いを頂いた。
強豪校の現役選手と一緒に素振りができるなんて光栄な機会は滅多にないと、その夜に喜び勇んでその駐車場へ行き、選手の方々と一緒に素振りをした。今でも、選手の方々のお顔と名前は鮮明に覚えている。選手の方々は実に論理的で、僕のスイングの直すべきところを、なぜ直さなければならないのか、という明確な理由とともに、わかりやすく、丁寧に教えてくれた。その際、中学の野球部の練習試合で、北見市内に日帰り遠征を何回かしたのだが、その試合の1つを関係者が見られていて、僕のバッティングを見てくださり、僕の名前と顔を覚えていてくださっていたことを知った。
「代打要員としてなら場合によっては1年からベンチにも入れる」と、コーチの先生からもありがたいお話しを頂いたのだが、その学校は公立校で、しかも管内でも偏差値は上位の進学校でもあった。加えて、当時は今よりも学区が厳密で、学区外からの入学割合は、定員の3%に制限されていた。この先輩方と野球がしたい、強豪校でベンチに入れるかもしれない、と浮き足だったのも束の間、受験の現実を突きつけられたのだ。
3日間続いた駐車場での素振りの自主練には毎日お邪魔して、最終日には監督さんから、「うちに来たいなら今は勉強だ。息抜きの時にこれを振ってうちへの気持ちを思い出しなさい」というお言葉と一緒に、ウィルソンというメーカーの竹バットをいただいた。そこまでしていただいてもなお、僕はその学校を受験するという決意を持てず、高校受験の勉強から早々に逃げた。
高校に入学した年、夏の大会の開会式前に、自分のチームの先輩方の目を盗んで、その高校のところへお詫びの挨拶に行った時の、「待ってたのに」の言葉は忘れられない。
勉強とは選択肢を増やすこと。テストで点数を取ることが全てではないが、そのことが自分の選択の幅を決めるのだ。毎日きちんと勉強していれば、あの時、その学校を受験することを選択できたかもしれない。そんな後悔をして欲しくない、という思いで、今は子どもたちと一緒に学ぶ毎日をおくっている。