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はじめましたの話

初めに申し上げておきますが、この記事は2019年に更新した内容です。
今更ながら(2024年現在)タグ付けすることの重要性に気づき、「自己紹介」のタグをつけました。
驚かれた方、お騒がせしました。ご容赦ください。
では、以下本文です。


noteをはじめてみようか、と思い立ちました。

2019年はとにかくたくさん外に出て、いろんな人会っていろんなものを食べていろんな場所で演奏させてもらいました。さっき手帳をめくりながら数えたら、66本ライブしてた。連れて行ってくれた人たち、迎えてくれた人たち、あらためてありがとうございます。もちろん世界はもとより業界広しなので、もっと多い数を何年もこなしてる人たちをたくさん知ってるけど、僕にとっては過去最多でした。それだけ演奏で外向きの表現をした後は、内側に気持ちがいくものなのか、年内最後のライブを終えた後から少しずつ、なんか書きたい欲求が高まってきました。文章と、もちろん曲も。

バンドを3つ掛け持ちしてるんです。でもどれも僕が作曲をしているんです、とは言いがたい関わり方をしています。つまり、リーダーないしメンバーが作った曲を演奏、もしくは曲を紡ぎ出す工程に寄り添っていたりします。そうやって、自分ではない人と創作を進めていると、パートひとつとっても色んな人のエッセンスがそこに注ぎ込まれてることになります。そこで技術やアイデアや個性が光るのがバンドの良いところでなのですが、ただ、今の僕にその状態がこのまま続くと、演奏や音作り、楽曲そのものにおいても、さらには音楽的な物に関わらず自分が何を良いものと思うか、どんなものが好きか、ドキドキワクワクするかなどのアイデンティティが少しずつ薄まっていってしまうんじゃないか、という危機感を感じたんです。だからそうなる前に、僕という人間を、1つないし2つのフィールドで杭を打っておく必要があるな、と。その杭が増えて建物になったり、ゆくゆくはいつでも帰ってこれる家になれば、総体的な音楽を含めた文化と僕との関係もより良い物になっていくような気がしています。

もともと文章を書くのは好きなんです。学生時代から作文はスラスラ書けたし、卒論も楽しんで書いた。考えていることを納得いく形で文章化できたときの達成感はちょっと他で味わうものとは別種のものかもしれない。それに今は便利なもので、場所も時間も選ばないんですよね。この文章だって、妻が子供たちを寝かしてくてる部屋のふすま一枚隔てた隣室で、コチコチとiPhoneで打っています。ここ数年、音楽と生活から離れた趣味が欲しいと思っていたし、家で過ごすことが去年よりは増えるであろうと思われるのでで、暮らしの中でスイッチを切り替えるいい役割を担ってくれるような気がしています。それにフェデラーだってテニス以外の時間を作ったら、勝てるようになった、と言っていたし。うん。
決して派手な暮らしをしているとは言えない日々なので、内容はせいぜいギターのこと、子育てのこと、暮らしのことなど、日々の些末なことになると思います。ですが、人さまにお見せする以上、何か持って帰ってもらえるような物にはしたいと思うので、筆が波に乗るまでは更新もまちまちになると思いますが、気が向いた時に読んでもらえたら幸いです。面白がってもらえたのならなおのこと。
ところでこの文章に名前をつけるなら何だろう?エッセイ?日記?回顧録?まだ書きたい気持ちだけがある状態なので、名付けるのはもう少し先にさせて下さい。
また次回更新の時にお会いしましょう。

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