ぐるぐる話:第20話【石】
救急隊員のあと、警官からの質問にも丁寧に答えた母親は、やがて彼らにお辞儀して木綿子のもとへやってきた。
「おばあちゃん、とりあえず・・・よかった」
木綿子はうなずいて、深く頭を下げた。杏もそれにならった。
「何とお礼を言っていいかわかりません。本当にありがとうございました」
「私はなにも」若い母親は首を振った。「ご家族の、柚さんを思う気持ちが柚さんの命を繋ぎ止めたんだと思います」
木綿子は、思わず彼女を抱きしめた。彼女も腕を木綿子の背中に回し、ゆっくりとさすった。そして杏のことも抱き寄せ、頭をなでた。お互いのあたたかな息遣いが、それぞれの頬に触れた。木綿子は名前を聞いた。彼女は少し迷ったあと、答えた。
「森田美花といいます。この子は、花音です」
「森田さん、このお礼はいつか」
「お礼なんてとんでもないです。この度は、本当によかった」
美花はまた深々とお辞儀をし、娘の手を引いて脱衣所を去っていった。花音はちらちらと後ろを振り返りながら、母親に引っぱられるように歩いていった。
深い深いため息が、木綿子の口からあふれ出た。
木綿子は長椅子に腰を落とした。杏もとなりに座り込んだ。
脱衣所と風呂場を警官や旅館のスタッフが行ったり来たりしていた。バスタオルが散乱し、桶や小さなシャンプーのセットなどが転がっている。床には大きな水たまりができていた。スタッフがやってきてそれを拭く。警官がイヤホンをさした耳を押さえて、走り出て行く。女将がぱたぱたと音を立てて入ってきて警官のひとりと話し、出て行った。
木綿子はとなりを見た。かわいそうな孫は、両手をこすり合わせながら震えている。湿った服が肌に張り付いていて、簡単に結われた髪から雫が垂れている。
「杏、」木綿子は杏の手の上に自分の手を重ねた。とても冷たい。「ばあちゃんがやってやろう」
木綿子は、鏡の前の籐の椅子に杏を座らせ、ドライヤーの電源を入れた。埃の匂いと風の音がふたりを包む。髪をくしゃくしゃとかき回すと、鏡の中の杏が目をつぶった。白く、きめの細かい肌。ほれぼれするような若い質感。それがみるみるうちに赤くなり、眉が近づき、次の瞬間には涙が閉じたまぶたをこじ開けてこぼれ落ちた。杏は口を押さえて泣いた。咳き込むように肩を上下させた。頬がそぼ濡れ、膝元に丸い染みがいくつもできた。木綿子はドライヤーを止めず、ただ孫の頭をなでた。「怖かったなあ、うん」杏は何度もうなずいた。
杏は冷水で顔を洗い、目を冷やした。髪は乾き、ふわりと頬に触れている。女将が持ってきてくれた浴衣に着替え、体もあたたかくなってきた。まだ目の奥が痛む。鏡の中の自分は、目のまわりを真っ赤にしていた。祖母がとなりで鼻をかんだ。
そのとき、誰かが後ろに立った。鏡を見上げると、森田美花が立っている。
「おばあちゃん、ごめんなさい」美花が言った。「これ、花音が勝手に持ってきてしまったみたいなの。おばあちゃんのポケットから落ちたのを見て、拾ってそのまま持っていたって」
美花が手を開いた。
そこには石がふたつ並んでいる。
「あら、これは」祖母が石をつまみ上げる。
美花は、娘の頭を押して下げさせた。
「本当にごめんなさい。私も気が付かなくて、勝手に持って行ってしまうところでした」
「おばあちゃんからおっこちて、ずっとゆかにあったの」
「このお部屋にかい?」
「そう、そこにあったの」花音が床を指さした。「なんか、きれいだったから、ひろっちゃったの」
「ちゃんと謝りなさい」
「ごめんなさい」花音は泣き出した。
木綿子は石を見つめた。花音の足元にかがみ込み、彼女のことも見つめた。
「私がここで落として、柚があんなことになった・・・それをあなたが拾って持っていて、あなたとお母さんが来てくれて柚が助かった・・・なるほど、やっぱり、この石はすごい」
「おばあちゃんごめんなさい」
「いいの、いいのよ。むしろ、私からお礼を言わなくちゃ。あなたがこの石を持っていてくれたからおばあちゃんの大切な子が助かったのよ。本当にありがとう」
花音は首をかしげた。鼻水が垂れる。
「ほれ、もう泣かない。これ花音ちゃんにあげよう。この石は、次こそあなたのことを助けてくれるはずだ。使い方、分かるかい?」
花音は首を振った。美花と杏が顔を見合わせる。
「後ろを向いてごらん」
木綿子は、桃色の浴衣に包まれた背中にむかってふたつの石を打った。乾いた音が響く。花音は、音を聞くなり笑顔になって足踏みをした。もう一度、打つ。花音は拍手した。そして石を受け取ると、木綿子に、杏に、最後にお母さんにむかって打った。
「上手だ」木綿子が言った。「本当にありがとう、花音ちゃん」
花音は大きくうなずいた。
親子は何度もお辞儀をしながら去っていった。木綿子と杏もそれに応えた。
ふたりの姿がのれんの奥に消えると、杏と木綿子は見つめ合った。
「あの石、何?」
「何かの拍子でポケットに入ったんだろうね・・・今朝、光ちゃんに打ってやって・・・あのあとしまっておいたつもりだったのにね」
「ああ、あれ、あの石だったんだ」
「あれが柚を守ってくれたにちがいないよ」
木綿子はのれんの奥に向かって手を合わせた。杏も続いた。
休む部屋を近くに用意したと、女将がやってきた。
木綿子は女将について歩き始めた。杏は目を開け、ゆっくりと手を下ろして、つぶやいた。
「森田花音・・・どっかで聞いたことがある・・・」
【つづく】
こちらに参加させていただきました。
私、、主催であり第19話の執筆者tsumuguitoさんからのバトンをつるんっと落としてしまい、川に落っことしてしまいました。消毒作業や梱包、配送に時間がかかり、一日遅れでのお届けとなってしまいました。
非常に反省しています。
やっちゃったもうわたしばかばかばか!!!
滞らせてしまい、本当にすみませんでした。
みなさんが小説を紡ぎ、物語がどんどん進んでいく様子がとても楽しかったです。これからどうなっていくのでしょうか、、( *´艸`)ワクワク
サポートをお考えいただき本当にありがとうございます。