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K子  #同じテーマで小説を書こう

 K子が学校に来なくなって一週間が過ぎた。腹痛。熱っぽい。家族の用事。頭痛。日ごとに変わっていく欠席理由を、朝の会で一応はと担任が伝える。「えー、今日もS原さんはお休みです。理由は・・・」でも誰も聞いていない。K子がいないことにすら気づいていないように見える。みんなはスマホを見たり、窓の外の大雨を気にしたり、ペンをいじったりして、いつもと変わらない風景だ。

 最後に学校に来た日、K子は髪を切ってきた。K子はもともと強い天然パーマで、音にするならくるくるとちりちりの間くらい、肩まで伸びると外国のポップ歌手みたいになるし、結うと後頭部の後ろにもうひとつボールができる。どっちも雑誌に載るような髪型だけど、K子のおとなしげな顔にはあまり似合わなかった。生徒指導の先生に何度も疑われてはトイレで泣き、クラスメイトから触られてはぎこちない笑顔でうつむく。一年二組ではずっと同じ風景が連続していたのだが、その日K子は突然、ベリーショートになって学校に来た。全員がK子を見た。私はすぐに視線を逸らした。前の席のY田くんもさっと教科書に顔をもどし、しばらくしてまた見た。声を出さずに見つめている子もいた。A美と、その取り巻きのB子たちが駆け寄っていった。

「K子!おしゃれじゃーん!」

「かわいい!めっちゃかわいいよ!」

 K子は目を丸くして彼女たちを見て、少し微笑んだ。

「マジでかわいい、」A美がK子の髪をなでながら言った。「ブロッコリーみたい」

 耳に刺さるような笑い声が教室中に響いた。




 K子は、いつでも席に小さくなって座って本を読んでいるような人で、授業中は黙り込んでノートに顔をうずめ、終わるといつのまにか教室から消えていつのまにか戻ってくる。めったなことでは声を出さないし、先生に当てられてもかすれた小さな声しか出ない。でも、私たちの高校での出会いはK子の方からだった。「久しぶり」その声と髪型で、私はすぐに分かった。私たちは小学校でいっしょだったのだ。同じ六年二組で、同じ黒板係だった。 

 黒板係のとき、K子はある事件を起こした。

 本当は起こさせられたのに、みんな書くときはそう書くし言うときはそう言う。正しい日本語なんて、ない。

 休み時間の始まりから終わりまで、D子とM美は私たちを使って遊んでいて、楽しくなり過ぎたM美がチョークの粉をK子の髪にふりかけた。K子は静かに頭を振って粉を落とそうとしたが、突然、体操着の半ズボンのポケットからハサミを取り出してM美の机に突き立てたのだ。刃はM美の小指のすぐ脇に逸れて刺さった。あの時のあの音、あの風。あの目。K子は駆けつけた担任の先生にどこかへ連れて行かれて、私とD子とM美はとなりのクラスの先生に呼び出された。おとなしい子ほど何をするか分からないもんだな、と先生がつぶやいた。D子とM美は大げさに同意した。先に粉をかけてきたのはそっちでしょう、という簡単な文章が私の唇から出て行こうとして、消えてしまった。K子はそれ以来一度も教室に来なかった。

 小学校にD子やM美がいたように、高校にはA美とB子がいた。もはや同じ映像の再生だ。髪を触られて、はにかんで、笑われて、はにかむ。ばれないようにして目尻を拭っているところを何回も見た。私と目が合うと、またはにかんで首を振ってみせる。『ナンデモナイヨ』それは小学校の頃からの癖みたいになっていた。たまに夢を見ると、小さくて古い体操着のK子とセーラー服のK子が交錯しながらはにかんでいる。静かにうつむいているK子とハサミを突き立てたK子が交錯してひとつになる。K子はきれいな補色と補色が混ざって灰色になってしまうみたいにいつも困っていて、私は私で言葉が出てこなくていつも困っていた。





 「理由は、えー、法事だそうです」担任が五回目の欠席理由をクラスに伝えたとき、私の口からひとりごとがこぼれた。「あー、K子やってるわ」腹痛。熱っぽい。家族の用事。頭痛。法事。上手な言い訳を思いつけないんじゃない。K子がわざとそう連絡しているんだ。そうとしか思えなかった。となりの席のA美がこちらを見る。あわてて窓の方に顔を向けると、一時間目のチャイムが鳴った。

 そのとき、緑色の何かが目に入った。

 一年二組は三階にあり、窓際の私の席から校庭が見渡せる。校門から、制服を着た人が傘も差さずに歩いてくる。その髪が、緑色なのだ。まるで新鮮で健康的な野菜のような、鮮やかでけばけばしい色。

 K子だ。

 K子の髪が緑に染められている。

 K子は、今まで見せたことのないような力強い足取りでこちらへ歩いてきた。

 生徒玄関から入ろうとして先生に止められる。生徒指導のあの先生だ。K子は先生の手を振り切ろうとしてもう片方の腕も掴まれ、もみ合いになる。校門の外に軽自動車が止まり、運転席からビニール傘と女の人があわてて出てきた。女の人は同じ道をまっすぐ走ってきて、K子の腕を掴んで引き寄せ先生に頭を下げる。傘の中にK子を入れようとする。K子はよろけるようにしてその手も振り切ると、全身を使って叫んだ。

 A美がこちらを向く。

 担任も気づいて、窓から下をのぞいた。

 K子はふらつきながら校庭に入った。叫ぶ。また叫ぶ。鞄が水たまりに落とされる。ビニール傘が追っていく。一年二組は大騒ぎになって、みんな窓に張り付いて下を見ようとした。

 彼女は校庭の真ん中まで行くと、校舎を振り返ってまた叫んだ。

 その瞬間、K子と目が合った、

 ような気がした。

「え、K子じゃん!」

「やばい!本当にブロッコリー!!」

「何か言ってんじゃん」A美が身を乗り出した。「あれウチに言ってんの?」

 ちがう。

 ちがう、たぶんそうじゃない。

 ビニール傘がK子に追いついた。引っぱられるようにしてK子の体が後ろを向く。また押しのける。引こうとする。振り切る。傘はK子から離れて車のほうへ向かった。

 だめだ。

 このままじゃ、また、いなくなってしまう。

「ウチにブロッコリーって言われたから?当てつけのつもり?」

 だめだ。

「マジきもいんですけど、自分からブロッコリーになるとか」

 いなくなる。

「ねえ、」私の腕が勝手にA美の肩を押した。「黙ってろクズ」

 私は教室を飛び出した。廊下を走って、階段を駆け下りる。生徒玄関で先生とぶつかって、転んで、手を出してもらったけど無視して、外へ出る。

 雨が冷たい。

 湿った土が重たい。

 K子の背中が目の前まできた。髪がまぶしく光るくらいに緑色で、目をつぶるとピンク色の残像が暗闇に浮かぶ。四年前、先生に腕を掴まれてつれていかれたあの背中が重なって、消える。

 私は彼女の名前を呼んだ。

 K子は止まって、ゆっくり振り向いた。

「K子」私の声は震えていた。「待ってたのに」

 K子は下からゆっくりと私を見た。あの日と同じ目。私たちは見つめ合った。落ちた水滴が広がるように、いつものK子の目がゆっくり現れた。

「濡れちゃうよ」

「K子こそびしょ濡れ」

「私は平気、」K子は頭をかいた。「このくるくるのおかげで頭皮までは濡れないから、傘いらないの」

 私とK子は目を合わせて、はにかんで首を振った。K子が笑い出した。制服も、上靴も、頬も、靴下も、髪も、全部びしょ濡れになって、二人で笑った。後ろからたくさんの足音と声が聞こえてきたけど、笑うのを止めることはできなかった。





 こちらの企画に参加させていただきました。

しほさんの、天才的なアイディア「ブロッコリーを傘にする女」

最高に楽しかったです。




 





 

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