楽しくない食事
ゴールデンウイークのある日、東京に遊びに来ていた母と洋食屋でランチをしました。
お店は少し混んでして、席が空くまで並ぶことになりました。
わたしたちの後ろに、4歳くらいの男の子とそのお父さんが並びます。
どこにでもいる普通の親子。微笑ましい休日の光景です。
ただひとつ気になったのは、その男の子がびっくりするくらい大人しかったことです。
お店の回転は速く、思っていたより早く席に通されます。
しばらくすると隣のテーブルに先ほどの親子が通されました。
そのお父さんは、男の子に座る場所、カバンを置く場所などを細かく指示し、手を拭いてあげます。
そのあたりから、わたしはなんとも言えない違和感を感じ始めましたが、まあ他人のことですから気にしてはいけません。
わたしと母は久しぶりの2人だけのランチだったこともあり、会話が弾みました。
お料理も出てきたので、食事をしながらたわいもないような会話をしていました。
食事の時間というのは、ただ単に食べ物で空腹を満たすというだけでなく、誰とどこで何を食べて、どんな話をして・・・そういったことすべてから成り立っている気がします。
ですから、同じ物を食べたとしても、シチュエーションが違ったら味も違うと感じるものです。
そのうち隣の親子のテーブルにもお料理が運ばれます。
どうやら一つのメニューをシェアすることにしたようです。
まあ、子供が小さい時はよくある光景だと思います。
お父さんはすべてのメニューをきっちりと分け、ナイフが必要なメニューはすべて切り分けた上で子供に差し出しました。
そして「いただきます。」を言って2人も食べ始めました。
わたしと母も親子で食事をしていたわけですが、何かが違う。
子供の歳が違う。それはごもっとも。
しかしそれだけではない何か「違和感」がやはりある。
食事をする間終始、そのお父さんは食べ方まで指示します。
そしてそれが守れないと叱るわけです。
こんな小さな子が洋食レストランで上手に食べられなくたっていいじゃないかとわたしは思ってしまうのですが、きっとそのお父さんにはお父さんのなりの思いがあるんでしょうけれど、食べ終わるまでずっとです。
「左手を出しなさい。」「出せとは言ったけれど、食べのもは触らなくていい。」といった調子です。
わたしと母の会話はそのうち無くなり、食事をさっと済ませてそそくさと店を出ました。
そのあとの会話はお察しがつくでしょうけれど、当然先ほど隣にいた親子の話です。
「あの子は、食事の時間が苦痛で仕方ないと思うわ。」と母は言いました。
当然わたしも同じことを思いました。
「うん、そうだね。あんな神経質になったら可哀想ね。」と答えてからふと思い出してこう言いました。
「でも、わたしの小さい時もそういえば結構うるさかったよね。」
母は申し訳なさそうに「・・・そうね。」と言いました。
わたしの実家は父の両親と同居だったのですが、校長までやった祖父は典型的な昔の先生で、とにかく厳しい人でした。
なので、わたしはいわゆる「優しいおじいちゃん像」というものを知りません。
わたしにとっておじいちゃんは口やかましい人でしかなく、家の仕事をやらないと夕食の時間の間中あの子と同じように怒られてばかりいました。
そんなことをふと思い出しました。
けれど、今となってはふと思い出すレベルの話で、だからといって食べることは今でも大好きなので(生粋のくいしんぼうなんだと思います)、まあ良かったんですけれどね。
それにあの子とわたしの話は少し違うような気もしますし。
いずれにしても、あの子が妙に大人しかったことも、とても聞き分けが良かったこともすべてが繋がった気がして、なんとも哀しい気持ちになったのは言うまでもありません。
わたしはまだ子供がいないので、子育て経験もないのに偉そうなことを言うなという話かもしれませんが、そんなに細かいことまでやってあげなくても、口を出さなくても、子供は賢いし、ちゃんと育つんじゃないのかなぁと思うわけです。
あれこれ言われてばかりいると、抵抗することも面倒になり、殻に閉じこもってしまうように思います。
子供だって意思があるし、尊厳があるし、なにより一人の立派な人間です。
「こういう人になってほしい。」という願いは子を持つ親御さんならばみなさんお持ちでしょうけれど、子供は持ち物ではない。
子供を信じて、その子の才能をいいところをどうか殺さないでほしいなと思います。
もちろん、やってはいけないこと、他人や他の生き物を傷つけるようなことをしたらしっかりと叱るべきです。
いつも甘やかすのも、いつも怒っているのもなんか違うんだと思います。
もちろん自分が親になる日がきたら、うまくいかない時もそのことを忘れずにいなければならないなと思います。
わたしが育てているサボテンは、小学生の時の家族旅行で買ってもらった物ですから、かれこれ20年近くのお付き合いです。
最初は小さなサボテン一つだったのですが、毎年子供が生まれてこんな状態に。
けれど養育係の放任教育は大したもので、水やりは四半期に一度で、土を変えたのはいつだっけな(今年こそは変えます!汗)という感じですけれど、唯一、日当たりだけは20年間最高の南向きをいつも確保してきました。
そう、わたしは彼らの生命力を信じているのです!!(ということにしておきましょう。)
サボテンと子育ては全然違うけれど、なんでも口出しするのはどうなんでしょうねと思う今日この頃です。