1000記事書いてから、多分ぼくは文章を自由に書けるスタートライン
僕はまだ1000記事に達していないけれど、920記事書いてきた今、ようやく「1000記事目」が見えてきた。この道を振り返ると、正直なところ、何度も挫けそうになったり、辞めたくなったりしたことがあった。だけど、そのたびに「次に行けば少しは楽になるかも」と自分を奮い立たせて、なんとかここまでやってきた。
最初はひたすら書くだけ
最初に記事を書き始めた頃、思った以上に難しくて驚いた。書こうと思っても、頭の中は真っ白で、何をどう書けばいいのか全然わからなかった。しばらくは、無理やり言葉を並べて、形だけ整えることに必死だった。最初はただ「書いた」ということだけが自分を支えてくれていた。
でも、その「ただ書く」ことが、実はすごく大事だったんだと思う。何も考えずに書いているときって、意外にも自分の中の隠れた思いとか感情が見えてくることがある。そんなとき、ふと「これ、私が言いたかったことだ!」と感じる瞬間があって、少しずつ自分の文章が形になっていくのが嬉しかった。
葛藤と失敗の繰り返し
でも、思うように書けない日も、そりゃ、めちゃくちゃ多かったですよ。1000字を超えるとすぐに「もう無理」と感じて、途中でやめたくなることがしばしばあった。たとえば、深夜に書いているとき、何も思いつかず、1時間かけて書いたものが全然うまくいかない。それに気づいた瞬間、「こんなに頑張っても、全然ダメじゃん」と、自分を責める気持ちが湧いてきて、心がどんどん落ち込んでいった。
そのたびに、思った。「どうして自分はこんなにうまくいかないんだろう?」と。
でも、そんな気持ちの中で気づいたのは、「自分がうまくいかないのは、うまくいかなかったことに対する恐怖や不安があるからだ」ということ。
完璧を求めるあまり、いい記事が書けない自分に、何も書けない自分にイラだって、嫌気がさしてしまっていた。でもそのときに思ったのは、「失敗して、誰と何が困る?」と自分に言い聞かせることが一番大事なんだということ。
書いてみないと、何が出てくるかはわからない。失敗することも、立ち止まることも、全部が必要な過程だって思えるようになった。そして、失敗してもその先に何かが見えるかもしれないと感じるようになった。むしろ、noteは、失敗という気持ちへのトレーニングジムなのではないか?🏋️と思うようにもなってきた。
「自由に書く」ことへの不安
何度も書いて、何度も失敗を繰り返し、920記事。ようやく自分の文章に少し自信が持てるようになったけれど、それでもまだ、「自由に書くこと」への不安があった。
最初のころは、どうしても自分の言葉に縛られていた。何かに従って、ルールを守らなければならないような気がして、自分の思うままに書くことが怖かった。
「これでいいのかな?」と何度も迷い、「もっとこうした方がいいんじゃないか?」と頭の中で無限に試行錯誤していた。そうしているうちに、次第に自分の書きたいことを抑えつけるような形になっていたんだと思う。
でもその頃、ふと思ったんだ。「何が正しいとか、間違っているとか、やっぱ、きっと、関係ない気がする」と。大切なのは、ただ自分が書きたいことを、自由に、素直に表現することだということ。
それに気づいてからは、少しずつ書くことが楽しくなった。でも、まだその自由に書くことができる自信はなかった。自分の文章が本当に自由になってくる許可を出せるのは、ぼくにとっては、やっぱり1000記事に到達したときだと思う。
自分の記事を批判できるようになること
書き続けてきた中で一番変わったのは、「自分の記事を、あとから批判できるようになった」ことだと思う。最初は、記事を書くことに精一杯で、自分の記事に対して何も言えなかった。けれど、書き続けるうちに、自分の記事に対してもっと冷静に見ることができるようになり、その結果として、「ここをこう直せばもっと良くなるんじゃないか」という気づきが増えた。リアルタイムはちょっと厳しくて、しばらく公開して寝かせたあとだけど。
最初は、「自分の記事がダメだ」と思っていた。でも、その気持ちが、「自分の記事をより良くしたい」という欲求に変わったんだと思う。だんだんと、自分の記事を批判することができるようになると、次に書くときに「こうしたらもっと伝わるかな?」という視点が自然に出てきた。
自分を信じてなくても、書き続けることの大切さ
1000記事目に向かって書き続けている中で、僕が最も学んだことは、「自分を信じてなくても、書き続けること」の大切さだ。きれいに言えば、自分を信じて書きたいけど、たとえ信じられなくても、自分の思ったことを素直に書き続けることが、最終的に自由な文章へとつながる。
自分の文章がまだ完璧じゃないと感じることもあるけれど、その気持ちすらも受け入れることで、少しずつ自分のペースで進んでいけるようになってきた。
結局、文章を書くことに正解なんてないし、自分にとって大切なのは、やっぱり結局「書くことを楽しむこと」だと思う。楽しんで書いていると、気づけば自分らしい文章が出来上がっているんだろうなと感じている。そして、その「自由な文章を書く」というスタートラインを、1000記事で迎えられたら、次のステップに進める気がする。
でも、この「楽しむ」っていうのも、解像度というか、その微細な細部が、書き始める前とは違っている。やっぱり、やったらわかるという、言葉にならない感覚があるんだと思う。
今はその一歩手前にいる。まだ全然完成形じゃないけれど、その一歩を踏み出せたときに、noteだけじゃなくて、もっと自由に、もっと自分らしく表現していいと思えんだろうな。