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ユーリ、3才。

時が経つのは本当に早いものだ。
年齢を重ねる程それを強く感じると、誰もが言う。
きっと幼い頃見聞きする物事には初めてのものが多く、また自身の細胞自体も若く、ひとつひとつを見逃さないような本能の仕組みになっているのだろう。
それはちょうど子供が列車に乗って車窓で興奮するのに似ている。

それがいつしか加齢して流れる車窓にも無感動になってしまい、ぼうっと眺めるようになる。
なのに「あれっもう次の駅か」と驚くようになって─。

ボクにとっては、それが時の流れというものを感じる最近の慣例だった。

ユーリ、キミが来てもう3年になるのかという思いはそれに似ている。
けれど、キミとの時間をつぶさに思い出していくと、それが如何に様々な記憶に彩られていたのかを実感するし、それはとても豊かなものだったと言える。

今日はボクたちが決めたキミの誕生日だ。
ユーリ、本当におめでとう。
キミはちゃんと育ってくれた。ただそれだけで嬉しい。

反するようだけど、この一年で何よりまず思い起こされるのは、キミが“病弱”という土台に立脚した生き物であるということだ。

ボクとその仲間たちにはグミという愛犬がいる。
彼との10年はあまりに過酷で、難病との闘い、その連続だった。報われることと絶望の淵に叩き込まれることが同じくらい起きた。
そんな時ボクらの助けになったのは動物の保険制度だった。手術や投薬があまりにも多いグミは、トータルで見たら年間の保険料、それも年々高くなっていくそれより、治療費の方が今も上回る。
保険で半額以上免除されて本当に良かったとみんなで話すこともっぱらだ。

一方、銀次郎は健康そのものの上に元々の飼い主が保険に入っていなかった。
アトムもサスケもそうだった。

ならば猫ならそう手はかかるまい、グミのようなケースは稀なんだからと、ボクらは完全に高を括っていたのだ。

結果的にそれは計算違いもいいところだった。
グミの医療費をも軽く飛び越える程キミの病院通いは常となった。その癖、恐ろしく病院が苦手なキミは、まるでディズニーのキャラクターが定型的に震えるようなリアクションを毎回した。

最初にマキさんが保護した時から、キミは群れに見捨てられ、あるいは付いていけずに落伍した、典型的に弱肉強食の理に断じられた生き物だった。

キミは他の猫より免疫力が弱く、ここ一年でも顎ニキビで下顎を黒くしたり、好酸球性肉芽腫で上唇を腫らしたりして通院した。
そしてその通院は今も続き、改善は見られず一進一退だ。

かかりつけの獣医さんは「若いうちに治さないと一生治らない場合がある、だから強い薬も試しましょう」と仰る。
症状を見ながら強弱をつけながら、ずっとキミは投薬生活だ。

何の心配もなく健康で自由に生きる猫は数多いるのに、キミときたら運がないとしか言いようがない。
でもきつい投薬生活はボクだって同じだ。それならもう、受け入れて粛々と生きていくしかない。

翻ってボクらにはグミと一緒に闘病したかけがえのない経験がある。
キミの不調はそれに比べたら随分軽微で、十分克服出来るものだとも思えたし、ボクらの中に悲壮感はまったくなかった。

そんな中でも“担当者”イズミさんの献身は大きなものだった。
キミが太り過ぎと見るや、オーガニックなフードを次々試し、遂に適した一品を見つけたのだ。それからは適正体重でナイスシェイプなキミになった。
食の細いキミだから、イズミさんの苦労は大変なものだったろうと思う。愛情とは苦労という成分も含む、そう思えた一年だった。

キミがボクらに見せてくれた楽しいことなら、それは山程ある。花束なら抱えくれないくらいのボリュームをキミは与えてくれた。

その中でも特に愉快なものを幾つか挙げよう。
ベルボーイ事件。
キミを担当するイズミさんの部屋には昔からガラスの風鈴がぶら下がっている。
独りで過ごす時間も少なくないキミは、注意を引こうといつしかそれを鳴らすようになった。
エサが欲しくて鳴らす猫は動画で見たことがあるけれど、寂しくて鳴らす猫はあまりいないように思う。

ボクとマキさんがメゾネットの上階、キミの部屋にあまり行けないのはグミの分離不安を慮ってのことだった。
まずはグミと居られる時間を作ってそれが基本となってから後のことを設計している。

それでもキミが下の階を窓から見下ろし、ベルを前脚で器用に鳴らす時、仲間の誰かが上へ駆け上がっていきキミの背中を撫でることになる。
ああ、そんな癖がついたらどんどん鳴らすようになるよと、勿論ボクの頭の端にはあるのだけれど、こんな戯れな事々もやはり幸せに感じるし、みんなが微笑ましく思っている。

もうひとつ挙げるならお尻ポンポン事件だろうか。
尻尾の付け根を触られることを、猫は好む。
それは性感帯のようにデリケートなもので、あまり安易に多用してはいけないのだと色んな人が言う。
でもそれをキミ自身が頻繁に、いや執拗にリクエストしまくっているならどうだろう。どうしたらいいのだろうね。

最初、猫の扱いが分からないボクはついキミを犬の様に扱ってしまい、かなり忌避されていたとさえ思い当たる。
幼少から10数年ニャンプーという猫と過ごしたマキさんは、仲間の中で一番猫のコントロールに長けていた。
彼女がキミのお尻をポンポンと叩く様子を当初は奇異に感じたものだ。

やがてキミはボクにお尻を向けてくるようになり、ボクは何の気なしにマキさんの真似をしてみた。それは割と最近のことだ。

するとキミは間もなく「こればかり」要求するようになった。

ボクがキミといられる時間は僅かなので、その決められた枠を目一杯使ってポンポンしたこともちょっとやそっとではない。

近頃ときたらキミはイズミさんのトレーニング・コーチをボクがしている時さえ割って入ってくるようになってきたね。
ダンベルの間をすり抜けてお尻を突き出してくる。
これもすごく微笑ましいけど、すごく危ないんだ。「後でやってあげるから」。この言葉が通じたらいいのだけれど。

その時キミは鳴き声を上げてゴロゴロ転がる。それは最も一緒に過ごしているイズミさんさえ失笑する程だけれど、ボクはいつも「こんなことでいいのだろうか」とも考え込んでいたりする。やっぱりこればっかりは良くないようにも思える。
そう思いあぐねながらも、今日もキミはボクを見た途端、口角を一杯に広げて鳴き「お尻ポンポン」をリクエストする。そして転げ回って甘い声で鳴くのだ。

そんなキミとの一年で大きく変わったことといえば「日照権」のことだろう。
キミはメゾネット北側の部屋で育った。そこで直接日光が当たることなく2年を過ごしてきた。
みんな心配していた。「一生、直接に紫外線を浴びないなんて、生き物としていいの?」

この頃のキミはイズミさんの鞄や服を噛じるような悪さはすっかり影を潜めていたので、ボクらは遂に決断した。
連結しているもう一部屋、元々はヒロさんがいた部屋を開放することにしたのだ。
ヒロさんは漫画「もふもふ犬まみれ!」で描いたように今では銀次郎の部屋で寝ているので、ここは殆ど使っていない。そして南に面した場所なので夏はとても暑くなる部屋だ。

この部屋にキミは昨秋から足を踏み入れはじめた。
繊細なキミだから、当然おっかなびっくりになっていたけど、すぐに慣れてくれたね。
今では昼の何時間かは必ず日を浴びて外を見て過ごしている。これでキミの免疫力が少しでも上がればいいね。
イズミさんは夏場が近づく最近「浴び過ぎも良くないから夏は時間を減らすか部屋を閉めよう」と提案してきた。それもいいかもしれない。
いずれにしてもキミの一日の彩りにはなったはずだ。

さて、ここまで書いて一言も触れていないことがある。
キミの妹分のレイラのことだ。
それについては10日後と設定した彼女の誕生日に書こうと思っている。

レイラとの出会い、それはキミのこの一年で最も大きな出来事だった。
いいことだけでは決してなかったけれど、やっぱりレイラがいてくれてよかった。
同族とはじめて出会ったキミは様々な感情に揺らぎながら確かに成長した。

あらゆる事象に意味があると信じたい。そうしてボクはその意味を考え続けて生きていくだろう。これからも。

キミがいてくれる意味も、これからやって来るだろう病の怖れも、やんわりと退廃的なお尻ポンポンも、段々グミに似てきた分離不安も。

いいことだけでなく、禍々しいことや持って生まれた欠点も、一緒に受け入れて並走しながら生きていこうと思う。
多分何も変えることは出来ないだろう。それでも、いや、だから生命は素晴らしいと思う。

キミのしなやかさや穏やかさはボクには得難いものだ。
あまり会う時間がなくてもキミを想い続けている。

これからも健やかに。
おめでとう、ユーリ。

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